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846/1096【感覚変容】あなたはひとりのゲームキャラ。コマンド操作を身に着けろ!

吾輩は怠け者である。
しかしこの怠け者は、毎日何かを継続できる自分になりたいと夢見てしまった。夢見てしまったからには、己の夢を叶えようと決めた。3年間・1096日の毎日投稿を自分に誓って、今日で846日。

(この毎日投稿では、まず初めに「怠け者が『毎日投稿』に挑戦する」にあたって、日々の心境の変化をレポートしています。そのあと点線の下から「本日の話題」が入っているので、レポートを読みたくないお方は、点線まで飛ばしておくんなましね。)

846日目。今年に入ってからサポート費を送ってくださった方たちへ、御礼申し上げます。すべてのお方へ個別の御礼をお送りできていませんが、おひとりおひとりに心から感謝しております、涙

メッセージもすべて読ませていただいて、その際に勝手に愛を込めて心通信を行っております。サポート費をくださったすべての方に、お知らせを頂いた日のうちにお祈りをお送りさせていただいています。本当に、ありがとうございます!!(サポートの際のメッセージに、欲しいお祈りの内容を書いてくだされば、その内容についての浄化も込めさせていただきます。しかしあくまでも個人的にしっくりくるオリジナルの名もなき祈り法ですので、ゆる~くご理解いただければ幸いです)

今日ふと、毎日朝起きて身支度をしてすぐにブログを書くというルーティンが、自分の身についた習慣となりつつあるのを感じた。850日目前にして、やっとそれを「微かに」感じた。やっと…!!

この微かな感覚がただの序章なのか、それともこれで最大なのかはわからない。けれどもこの約2年と4ヶ月の間の繰り返しの反復により、自分にとってブログ執筆は毎日の安定の要素になりつつあるのだと思う。パッとなくなったら、きっと落ち着かなくなるのではないだろうか…こんな疑いをハッキリと持ったのも、今朝のこと。

まだあと8ヶ月の間、どんな変化があるのかわかったものではない…!それがいつも想定外で、意外性に満ちていますように。

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わたしは1994年に任天堂から発売された『MOTHER 2』というゲームが好きでした。もうプレイする人はほとんどいないだろうからネタバレに気遣う必要もないのかも知れませんが、最後のボス戦において、ボスを倒すための決定的な要素となる”あること”に気がついたとき、涙腺が崩壊…いや、まさに決壊しました。今思い出しても涙が出てきます。

19歳当時の自分は生きることにあまり希望を見出せずにいたのだけれども、「人間はこんなにも心のこもったものを作るのか」と感動し、とても単純に、ゆえにとてもクリアに「世の中は素敵なところだ」と思いました。とてもいい思い出です。

わたしは小学生の頃にゲームを好きになりました。王道すぎますが、ドラクエに出会って感動しすぎてもうなんと表現してよいやら、とにかく心臓を捧げてしまった(進撃の巨人参照)ため、以来自分はゲームばかりをして生きております。この現実世界もゲームだと思ってみるとなんだか楽しい…!
この、最も”リアリティ”のあるゲーム。

今日の記事は、「このリアリティを、本当にゲームだと思ってみる」という変てこりんなことをして遊んでみませんか、というお誘いです。

みなさんは、バイオハザードなどの、主人公を自分で操作して進めるタイプのゲームで遊んだことがあるでしょうか。画面に写っている主人公は、あなたがコントローラーで左を向ければ左を見て、右に向ければ右を見てくれます。歩く命令で歩き、走る命令で走ります。好きなようにどこでも見に行って、触りたいものを触って、拾いたいものを拾って、基本的に自由に動いて進めることができます。コマンドリストの中から命令したいことを選んでキャラクターに行わせることで、武器や薬を使ったり、道具を使うことなどもできます。

このタイプのゲームのように、この現実世界をゲームの舞台、主人公を自分だとして考えてみましょう。わたしたちはこの現実世界に生きているので、自分さんというキャラクターの肉体に意識を移し、このキャラを内側から直接操作していると考えて、動いてみるのです。

このとき、特に重要なのが体感覚を伴うことです。

部屋に一人になったときなどに、試してみてください。まず、「左を見る」と命令してから、その命令どおりにゆっくりと左に首を回してみます。そしてそこで目に映るもの見てください。廊下が見えたら、脳内に『進む』というコマンドが出てきます。あなたがそれを選んで進んでみることも、選ばずにいることもできるのを自覚してみてください。

ドアが見えたら、『開ける』『閉める』などのコマンドがあることを自覚してみてください。鏡を見たら、『調べる』『映る』などのコマンドを思い浮かべてみてください。そして今度は「右を向く」と考えてから、右にゆっくりと首を回して、右側にあるものを見てみましょう。あなたの操作するキャラの網膜画面には、なにが映りましたか。そしてそこにあるモノたちについて、またそれぞれを通したいろいろなコマンド命令があるのを意識してみてください。

あなたはゲームキャラなので、立つときにも、なんとなく立つのではなく、『立つ』と意識して選んでから立つ。歩くときにもなんとなく歩き出さずに、『歩く』というコマンドを選んだつもりになってから歩いてみてください。止まるときには、『止まる』というコマンドを選んで止まります。自分を精巧なロボットのように見立ててもいいですね。微妙な方向転換まで、コントローラーを動かしているような意識でやってみるのです。

しばらく試してみるとわかるのですが、これをしていると、非常に不思議な感じがしてきます。「生きているというのは、”選択の連続である”ということ」が意識の中から立ち上がってくるのです。それから「自分の周囲には、意識してみれば無数の選択肢があった」ということへの気付きが起こってきます。

そこから、「それを選んでいるのは常に自分だったのだ」ということもハッキリ自覚されてきます。これは、意識の使い方が広がり、柔軟になり、錆びついた思考回路をリフレッシュする強力な働きがあります。しかしそれ以上に、自分が自由であると感じられることが大きなポイントです。これは、意識の覚醒にとても有効なことです。

普段なんとなく動いてなんとなく暮らしている感覚になってしまいがちなわたしたちですが、これは決まりきったルーティンの中にいるのと同じようなものです。これでは、いつもと同じ選択肢しか目に入りません。選択肢の少なさというのは、それすなわちその世界への退屈を意味します。

例えばスマホを触るたびにいつもついつい思考を介さず自動的に開けてしまうアプリ。一旦『開ける』『開けない』というコマンドがあることを意識してみて。そこでたとえ開けるのだとしても『開ける』を選んだことを意識してから開けてみてください。

他にも例えば、見るたびに嫌な人とし見ている相手。一旦『嫌な人として見る』『良い人として見る』などのコマンドを意識してみて。そして、そこで選び直してみてください。もちろん、嫌な人として見てもいいのですが、いつものように選択肢があることに気づかぬまま自動でやるのではなくて、”自分で選んで”それをしているのだと、自覚してみてください。(反対に”自分の行動はすべて決められている”と意識して動いてみるのとの差を味わってみてくださいね。これらの両極は、極まると同じ一点でつながります)

ちょっと種明かしをすると、自分が思ったとおりに自分が動く、という自覚を高めることはエフィカシー(自己効力感。自分が望んだことを自分で現実にできるという見込み)を上げてくれます。

それから、現実世界を見て「自分にはどんな選択肢があるのか」と考えてしまうと、わたしはちは自分にできそうなことだけを選択肢に入れようとしてしまい、その分視野が狭まってしまいます。しかし、「選ぼうと選ぶまいと関係なく、ゲーム上の選択肢としてどんなコマンドが考えられるだろうか」という観点に立ってみることで、よりフラットに偏見なく選択肢を思いつくことができるようになります。

さらには、「結局のところどこまでいってもわたしたちは、自分が思いついた選択肢からしか選択することができない」のだという気づきにつながっていきます。当たり前なのですが、自分の見えてるものしか見えてねえじゃん!!ということなんですね。じゃ、見えているものは自分で選んで見てんじゃん!!ということになります。じゃあ、そうです、自分の見えているものに文句言ってんのおかしいじゃん!ということになってきますよね。そこには本当は『見ない』『去る』『やめる』というコマンドがあるのだから。

そう、こんなふうに、現実を見る目を変えるためにできること、意識すること、試せることっていっぱいあるのです。この、現実世界をゲームだと思って、コマンドをハッキリと意識して自分を操作するという方法は、つまりは自分の状態に常に意識を置く練習になるのですが、これは極めようとすると『禅』の修行にも通ずる大変奥深いワークです。

歩くのを例にとると、右足を繰り出す、着く、左足を繰り出す、着く、という連続した動きの瞬間瞬間に常に気がついていくという特殊な意識体感への目覚めに繋がります。また、思う、そう動く、思う、そう動く…という循環に気がついたまま身を置くことで、突如として強烈な幸福感に襲われたり一種の目覚めやワンネスの体感を得る人も多いのですね。それもまた、楽しいハプニングだと思います。

というわけで今日は、わたしのゲーム好きによって試すようになった『意識と体感のワーク』のうちのひとつをシェアしてみました。どなたかの刺激となってくれますように。

それではまた、明日ね!


毎日無料で書いておりますが、お布施を送っていただくと本当に喜びます。愛と感謝の念を送りつけます。(笑)