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859/1096【これが基準】選択に迷ったとき

吾輩は怠け者である。
しかしこの怠け者は、毎日何かを継続できる自分になりたいと夢見てしまった。夢見てしまったからには、己の夢を叶えようと決めた。3年間・1096日の毎日投稿を自分に誓って、今日で859日。

※この毎日投稿では、まず初めに「怠け者が『毎日投稿』に挑戦する」にあたって、日々の心境の変化をレポートしています。そのあと点線の下から「本日の話題」が入っているので、レポートを読みたくないお方は、点線まで飛ばしておくんなましね。

859日目。発達するテクノロジーを思うと純粋に嬉しくなる。わたしは機械が好きだ。家電もスマホもパソコンもカメラも好きだ。機械を扱うと、そこにはいつも地球人を感じる。人の作ったもの。その意匠や発想や努力に思いを馳せるといつも胸が熱くなる。

同じようにゲームにも地球人を感じる。どこかで誰かが、たくさんの人が楽しめるように意図して創ったもの。アプリもソフトも好き。いかにも地球人が大好きなもの。地球人はなんと愛らしい生物だろう。可愛らしいわれらは、空想に思い描いたものは必ず創り出す。

今はもう車は運転手なしで走り、フェイク・ミートのハンバーガーが売られている。いつかわれわれは重力を制し、それはわたしたちの世界を塗り替えることだろう。

いつかAIがブログを書くことがあるのだろうか。そう考えてみれば、わたしは、わたしにしかできないことをしたいという、オリジナルであることへの欲求があったようだ。あまりに当たり前になっていて、見えないほど透明だったけれど。さて、今こそそれを捨てようじゃないか。そのあとに残るものを見てみたければ、先に捨てなくてはならない。

オリジナルであろうとすることを捨てたとき、わたしたちには一体何が残るのだろう。自分のすることなど、AIがそのうちやれることなのだと考えようとすると、そこには不可能があるのがわかる。同じ知能を再現するのは容易なことだけれども、記憶や経験やこの神経この細胞でないと感じられないものを、どうしても創り出すことができない。わたしたちは、わたしたちの命がある間だけの、天上天下唯我独尊の存在だ。このDNAとこれまでの環境と経験の奇跡の組み合わせ。

だから誇らしく居よう。生きているだけで。
もし可能なのなら、たとえ死んだあとにだって。

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みなさんはなにをしているのが好きだろう。わたしはそう聴かれると、いつも今まで、ゲームだとかパソコンを触ることだとか手先を使うことだなどと答えていた。でも、真剣にその問いに答えてみようと思うと、ううむ。

好きなことは変わる。わたしは昔、手芸が大好きだった。そのために生まれてきたのだとなにかを悟ったかのような遠い目をして思っていた。他に、料理が大好きだった。ジェイミー・オリバーを敵視せざるを得まいと思い始める勢いだった。模様替えと大工仕事と土木工事が寝食を忘れるほど、死ぬほど好きだった。アイデアさえ湧けば、夜中の2時に起き出して始めるほど。毎日毎日やってもやっても飽きなかった。でも、今はそれらのどれもやっていない。今はデジタルなものが好きでたまらない。

そう考えると、好きなものなどコロコロ変わる。次の日にはどうなっているかわからないのだもの。つまりそれらは、消化してみたい好奇心だった。その時々の、マイブームだったのだろうと思う。

それで、本当に好きなことは何かと考えてみたら、ひとつあったのだ。それは、地球人で居ること。そうさ、生きること。これこそが好きなんじゃないか…!!それだってマイブームと言えるのかも知れないけれども。でも生きている間、つまりは好きなことそのものをしている間は変わらないだろう。それが嫌になったら、自分は死んでしまうと思うから。

もっと迫ってみれば、意識体であることが好きだ。いや?それは”好き”ということなのだろうか。”好き”と表現するのは不自然だ。意識でいるということは、観察眼であるということだけれども、観察の源は、好奇心だ。

意識体であることは、好奇心そのものであるということだ。意識体の本質は好奇心そのものなのだから。そもそも、意識というものは、純度100%の「知りたい」「知ろうとする」でできている。それが意識の正体だ。自分が好奇心であると、好奇心を感じるよね!と言うのは変だ。いや、だってそれそのものでしょう!となってしまうものね。猫になってみると、自分に常に猫を感じるのだろう。それを忘れるほどに。そりゃあそうだ。

もしわたしが本当の、真の自己紹介をするのなら、「わたしは好奇心です」と言うより他ないのだ。ときどきそれを忘れるほどに。ここに自分は降伏している。ああそうさ!俺は所詮、好奇心さ!とね。すみません、自分なんだかんだ言って好奇心でした!と。

あなたは人間に化けた好奇心だ。

ここに降伏することは、わたしたちをぶっ飛ぶくらい楽にしてくれる。自分を好奇心だと認めると、迷ったときに、どうすれば満たされるのかがわかってくる。だって、ねえ。好奇心って、知りたいことが知られればいいのだ。もう知ってることを無理して続けたりするのは、好奇心の好むことではない。知りたいと思っていないことをするのも、好奇心の好みではない。

本を読みたいのも、旅行に行きたいのも、人に会いたいのも、ヌードが見たいのも、好奇心。好奇心好奇心好奇心。それを満たしていくことで、わたしたちは豊かに楽しく生きられるようになっている。

われらは好奇心である。ここを基準にして自分で選ぶということを、地球人でいるに当たって、わたしは占いよりも雲を龍に見立てることよりも大切にしている&面白いと思う。宇宙の真理を学ぶことよりも大切だよ。他に、これ以上に大切&面白いものがあるだろうか!

自分が好奇心であることに従っていれば、それは自分の本質そのものでいるということ。そのとき、その人そのものが真理だと思う。

だから、迷ったら好奇心の働いている方を選ぼう!!

それから、そう、これを書いている好奇心つまり自分は今、地球人で居たいのだ。だから生きなくちゃな!!食べて、寝てさ。この好奇心がここ地球で好奇心を満たしていくため、身体という乗り物をケアしなくちゃね。

あなたという好奇心が、知りたいことを知られるように、味わいたいものを味わえるように、食べて、寝て、元気でいてね。そして迷ったときにはきっと、一度でも、『我は好奇心なり』というところから選択するのなら…と考えてみてね。きっとそれは、あなたにとって大切な答えであるはずだ。

なにを選ぶにもそれを基準にするのがわたしは好きです。すると、その選択は時々とても怖かったり大変だったりすることもあるのだけれど、それがまた自分の好奇心を満たす最高の冒険であり、いつも選んでよかったと思うことばかりなのです。心豊かにいられると、それはさまざまな豊かさを引き寄せてもくれますね。お金だったり、人脈だったり、新しいアイデアだったりします。

それから、好奇心の向かうことをしているときが、わたしたちが最も能力を発揮するときでもあります。記憶力や理解力判断力だけでなく、忍耐力も上がります。パフォーマンスが最大になるのは、好奇心の働くことをしているときです。面白くてしょうがない、というとき、わたしたちは予想を超えた力を出すことができます。

わたしたちは好奇心でできています。だから、能力を発揮したいと思うのもまた、自然なことなのですね。余計な欲だと考えたりする人がいますが、とんでもないことです。

というわけで今日は、われらの本質は好奇心であることについて。好奇心はわれらの本質そのもの。本質そのものであるとき、わたしたちは心豊かに生きられます。迷ったときにも、行き先を””好奇心””でダウジングしていたら、魂の望むほうに、豊かで面白い方に、幸せに満たされる方に、それらを欠くことのない経済力をもって生きるほうに、己を導くことができますね!という、わたしの好きな観点のシェアでございました。

それではまた、明日ね!


毎日無料で書いておりますが、お布施を送っていただくと本当に喜びます。愛と感謝の念を送りつけます。(笑)