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302/1096 謙虚って、面白い!

吾輩は怠け者である。
しかしこの怠け者は、毎日何かを継続できる自分になりたいと夢見てしまった。夢見てしまったからには、そう夢見る己を幸せにしようと決めた。3年間・1096日の毎日投稿を自分に誓って、今日で302日。

(この毎日投稿では、まず初めに「怠け者が『毎日投稿』に挑戦する」にあたって、日々の心境の変化をレポートしています。そのあと点線の下から「本日の話題」が入っているので、レポートを読みたくないお方は、点線まで飛ばしておくんなましね。)

302日目、、母と娘と前夫とともに母方の祖父祖母のお墓参りをしてきて、ひとつの気がかりを良い形で消化できた心地よさと、亡くなった人への思いが想定外に大きな尊敬と深い感謝に変わったのを感じたのとで、とても満たされた気分で書いている。

自伝を読んでくださったお方ならご存知の、純真クロマニョン(祖父)と障害グルメ官能(祖母)のお墓に行ってきたのだけど、お墓を掃除してお花を供えて、お寺のお地蔵さんの前の花が枯れていたので捨てて花入れを洗ったり水を変えたりしているうち、亡くなったお方に対する、生きて亡くなる経験をしたということへの尊敬がふつふつと湧いてきた。

ゆえにそれは自分の祖父や祖母にだけ限定したものではなくて、これまでのすべての人の「死」という経験と、わたしたち生きるものの経験するこれからの死に対しても、みんなみんなにその気持が広がっていって、改めて人間を愛おしく思った。ああ、わたしたちはそれだけで大変だ、生まれ、生きていたいと思い、死を恐れ、死を超えなくてはならない。ほんとうにご苦労さま、わたしたちよ・・・・

今日も、もうとても広くて何に対してなのかわからないようなこの慈しみの気持ちを持ったまま、毎日投稿を書こう・・・お盆も近いのだしね(笑)

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日本にいると、日本にいるときの人格でいるのがよく分かる。意識して切り替えているわけではないのだけど、イタリアに行くとイタリア用人格が出てきて、そっちで過ごしているのだ・・・!
いろいろな前提や心構え、人に接する時の感覚などが違っている。

だから、日本に帰ってくると、イタリアに居る間のことが夢の中のことのように思える。麻酔から目が覚めたかのように、まるでその間の時間は経過していないような感覚。イタリアに帰ると、今度はまた反対に日本にいた間のことが夢の中のように思える。そしてイタリアで麻酔から目が覚めたようにあちらでの生活に戻る。

誰もがそうであるように、わたしにはいろいろなわたしがいる。
わたしはこの毎日投稿の冒頭に書いてあるように怠け者で、でもこうして毎日の投稿を続けてもいられて、日本に馴染んでいて、でもイタリアに馴染んだ人でもあって、前夫といてとても楽しくて、でも夫と母国語を介さずに生活を作っている面も持っていて、過去のことは大変だったとも幸せだったとも言えるし未来の自分はわからない。

マッチョでダンディなデイヴィッド・ギャンディ氏を最高に素敵だと思うのに、でもジョングクを見るとこの王子さまこそ最強と思う。それぞれを好きなわたしは、同じわたしなのに別々のわたしだ・・・

いったい、自分というのはなんだろう?果たして、これが自分だと言えるものは存在しているのだろうか。このことを、こうして肌で、実感で、心と体を伴って、疑問に思うのが好きだ。

「自分のことをわかった気にならない」ということは、自分が何者なのかを知るうえで、最初の一歩であり、極めようと思えば本当に奥深いことだと思う。

わたしたちが夢や希望を思い描いたときに、

「いや、まずもって無理だ」
「自分なんて所詮今のまま」
「どうせ自分なんてこの程度」

と、自分の能力や自分の未来までをもわかった気になってしまうとき、わたしたちは自分という『宇宙の創造物』をナメ腐って(言葉遣いゴメンw)いるのだ。そうして自分をわかった気になってしまったときに、その「この人間についての未来の可能性についてすべてわかっていますが、なにか?」という高慢さを捨ててみると、

「はて?自分とは本当はどういうものなのか、どうやら自分にはわかっていないようだ!」と謙虚になる。

そのとき、自分の可能性や自分の未来のことが「わからない」ということに子供のようにワクワクし、未知に対して開いて、自分のポテンシャルを決めつけられなくなり、自然と生きることが面白くなり、希望が湧いてくる。

人は本当に謙虚なときにこそ、自然な自信や希望が湧いてくるのだ・・・!

不安なときは、自分のことをわかった気になってしまっているだけなのだ。
わたしはそういうとき、自分に「バーカバーカ」と思っている。
そんなバーカバーカのとき、とにかく不安なままでいいから「いや~これもわたしの勝手な決めつけよな~」と思ってみる。その、自分の決めつけを疑ってみるというだけ、このことに慣れてくるだけで、

やや、わたしまた自分という宇宙の創造物をバカにしちゃったみたい。テヘペロ!って、なんだか笑えてくる。

「自分とは今の自分が知っているもの」と思うことを諦めてしまえば、わたしたちが自分の可能性をすべて読めてなどいないとわかる。
そうわかってくると、わたしたちの自分でも知りもしなかったナチュラルパワーがリリースされてきて、未知で自然で想定外な自分との出会いが起こってくる。

自分をなめんなよ?ということなんだ・・・
わたし自身が、いつもこれを忘れないようにしようと思う!

というわけで今日は、わたしたちっていろんな面があるよね、自分というのは「これが自分」と決めつけられないものだよね、わかった気になっているときは自分をナメちゃってんだよね、でもわからないと思うと未知の可能性が嬉しいね、子供の頃のように未来にワクワクするね!という感覚のシェアでございました。

それではまた、明日!!

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