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写真に携わるものとしての「私たちは消された展」

「コンプライアンス」便利な言葉だと思いますが、ボクはこれの正式な意味がわかりません。

これまでも日本人は外来語をカタカナにして濁して、本来の意味なんかよりも、その中身などは有耶無耶にしながらも「みなまで言わせるな」と阿吽を求めて来ました。外国の言葉もカタカナにした瞬間から日本人的な意味合いになります。

先週はそんなコンプライアンスがうごめく週となりました。

「法令遵守」とは言わず「コンプライアンス」とか言った方が柔らかくなる⁉︎ のかもしれません。そもそもこのカタカナは企業や個人が法令や社会的ルールを守ることを意味しているそうで、つまりは「みんなマスクしてんだから効果なんかどうでもいいからマスクしろよ!」と言うことらしいのです。なんかひと昔前に流行ったカタカナを交えた業界用語がカッコよく思っている全くその業界とは関係ない人達が言葉だけでマネして使っているようにしか思えないのです(IT系の人達。関係ないけど「ケツカッチンでシーメクーイーの…」は音楽業からの流れのテレビ業界語w)。

そしてもうひと単語、この単語にもかなりバタバタさせられました。

「公序良俗」

写真撮ったり撮られたり、観たりなどと写真に関係している方々ならば何処かで一度は耳にした事があるのではないでしょうか?

ボクはボク自身がまだ仕事として写真を撮る前までによく耳にしていたのは中学•高校生時代でした。もちろんその頃から写真に携わり、その時は先輩も含めて誰に気兼ねする事なく暗室が自由に使えるというだけで写真部に属してました。

時はまだまだこの国が華やかなりし頃でした。写真界も浅井慎平さんがテレビのクイズ番組大橋巨泉のクイズダービーにレギュラー出演なされていたり、篠山紀信さん(当時38歳)が”かの”吉田拓郎さんの歌にも歌われた歌手の南沙織(当時24歳)さん、シンシアとご結婚なされたりしていた華やかなりし1979年の事でした。撮影者が被写体である芸能人くらいに名前が知られ、雑誌には被写体と並んで『誰が撮影したのか』も同等くらいの扱いを受け始めていた時代、世の中に写真家という職業の地位が上がっていた時でした。

昔は憧れの的として今では悪名高きになってしまった広告代理店「D通」勤めだった荒木経惟さんは1971年には「センチメンタルな旅」を発表します。当時同僚であった奥様の陽子さんとの新婚旅行で撮影した写真で構成されていました。

そんな荒木経惟さん以降、撮影者が被写体と緊密な関係を撮影したものはその時から「私小説」という表現に合わせて「私写真』と呼ばれる写真表現スタイルが確立していきます。

このアラーキー(敬意を込めて敬称略)により始まった「私写真」にはもちろんあるべき姿、性も描かれており、奥様になられた陽子さんの口での愛撫、撮影者であろう?”それ”はアラーキーのモノであろう?男性器チンチンを咥え、お堅く言うと「口腔性交」いわゆるフェラチオしている写真が発表されたりもしています。

東京都写真美術館にも愛蔵されているこの写真、この事は「このフェラ写真は公衆における立派な表現であり芸術である」と証明されている事になります。

ボク自身、公序良俗と耳にする度にアラーキー、荒木経惟さんの写真がその反対側として頭に浮かんでいました。

この公序良俗とは文字からして「性器が出ちゃダメよー!」とか「セックス写真を露わにしてはダメよー!」という事かと思っていました。

しかしそれ自体、その単語自体は『公の秩序や善良の風俗の略』なのだそうで、『それに反する法律行為は無効とされる事』として意味を成しているという事らしいのです。

民法第90条は「公の秩序又は善良の風俗に反する法律行為は、無効とする」

つまり…うぅ〜ん、やっぱ分からん。

なんでこんなに分かりにくく書くのでしょう?これたま難しそうな感じにさせて濁している。「公の秩序は国家および社会の一般的利益を、善良の風俗は社会の一般的倫理をそれぞれ意味する。しかし両者は同じく扱わねばならず、公序に反するか良俗に反するか、そのいずれであるかを決定する必要はない」というのが公序良俗。

という事は、生活していくためにいわゆるエロ写真を売ることは良いと仮定します。ただ売っているエロ写真の被写体はいたいけな未成年…って良心痛むよねー、やだよねー…となり、なんか意味とれない。

たぶん論点、仮の話がエロを測ろうとすると違うのだと思えてきます。ボク自らがそう思うとともにそんな事より青少年育成なんとかかんとかだろ、これ!となるのです。そもそも契約と言う事だから、未成年のエロ写真販売の販売契約、売る側と買う側に取引の契約がある。しかし被写体が未成年者である為に撮影いいよ!といった撮影者と被写体の雇用契約が無効になるというのが公序良俗という事になるのではないでしょうか。

わかりにくいので「善良な風俗」に絞ってみます。しかも性風俗限定にします。

…でもそうなると、善良な風俗、性風俗って認識上やはり個人差が激しくて仮定出来ない事が分かります。本番行為NGのお店で、お姐さまが追加料金払えば良いというのでやったが店にバレて罰金を払わされた。というのは本番行為はダメだけど、お姐さんはOKであり、しかし店としてはダメだったから罰金で出入り禁止。ただ刑法上のグレイな灰色は存在しており本番行為を生業とするソープランドは認められている。売春行為はダメだけど、籍を入れた夫婦がセックスで夫婦間に金品授受があるのは合法。籍が入ってはいないが、知り合い、親しい間柄でももちろん合法であり、高価なプレゼントを渡したからといって売春防止法は成り立つはずもなく、姦通罪は日本にはもうない。なんてどうでしょう。

やはり考えながら話を進めていくと、局部出てる写真、交わっている写真に関しては、刑法の方が合ってくる気がしているのですが、猥褻物に関してもどこまでがファッションで、どこからが卑猥ととるのかもこれまた個人的な感覚になる気がします。辛いものが苦手だけどインドカレーが好きな人が食べた人が食べれる辛さなどその人にしか分からないというものです。

葛飾北斎の北斎漫画も時に悪にされたり、評価されたりしながら今に至っていますが、猥褻罪が制定されたのは、まだまだカメラなど手に入らない明治時代に始まり、大正、昭和戦前戦中もやはり「わいせつ」基準がかなり厳しかったようです。時代背景が男女が手を繋いで歩いただけでも警察、憲兵に連れて行かれてしまった時でもあったので致し方ないという感じ。そして戦後になり、高度経済成長が始まってから写真は庶民にまで認知されるようになってきました。そして大きな変革のそれは文頭の写真、写真家が地位を獲得するまで待たねばなりませんでした。

まずはバストの露出。これは1960年代、つまりはボクがこの世に性を、いや生を受けてから一気に来たのだそうです。ひとつの良い方向はそんなヌード写真を扱う雑誌が増えたという事。まだまだ高級嗜好品ではあったのでしょうが、カメラが普及してきた事だったのではないでしょうか。ビデオデッキの普及がエロビデオであった事と同様にカメラ機材も少なからず影響はあったと願います(笑)。まぁ銭湯は男女混浴は明治23年に法律で禁止されてからも戦後のGHQ統制、1964年の東京オリンピックまで続いたのですから、おっぱいを放りだしたところでお咎めはなかったようです。

そしてボクは今でも履いていませんが、やはりパンツを履いた猿達として取り締まりの大きな基準としてアンダーヘアに移っていきました。

想い出としての学生時代、雑誌のそこにあるべき姿、毛を夢見て「学校給食のマーガリンが落ちるらしいよ!」という都市伝説に乗じて挑んだアメリカ版PLAYBOYへの挑戦。しかしシンナー、ベンジン、有りとあらゆる手段で落としたそこにあったのはご丁寧にもマジックペンで塗られている下のスクラッチ。関税で塗られる前に削られていたというオチはボクら世代の共通の笑い話です。

やがて映画先行で強行されたヘア部分表現は雑誌に移りました。全部が全部許された訳ではなく、ある雑誌はスルー、ある雑誌は口頭注意、そして摘発という名前で警察に潰されたりしていました。まだまだ具ではなく、今となっては「たかだか」ヘア論争の時代でした。

やがて1990年5月に篠山紀信さんは『TOKYO NUDE』、1991年1月伝説の樋口可南子写真集『water fruit 不測の事態』が発表されました。警察の口頭注意という事で逮捕を免れて、これが事実上のヘア解禁となった出来事でした。

ボクが写真撮影を生業にして5年目の事でした。しかし高校時代、進路を決めるのに大学行来たくないだけで選んだ写真家への道、雑誌グラビアを観て決めた道でしたが、その時はすでにスポーツ写真撮影で歩み始めていました。

ヘアヌード解禁。ここで一気に具まで行くかと思われもてはやされた写真業界でしたが、1992年4月の『写狂人日記』でアラーキーは捕まってしまい、それに続いたのが加納典明さんも1994年には『ザ・テンメイ』で警告を受け、さらに突っ込んで1995年2月『きくぜ2!』では竹書房社長とともに逮捕されてしまって以降は全くと言ってよいくらい勢いを無くしてしまっています。しかも年々落ち込む出版業自体も廃れてしまっています。

時代はインターネット、そしてグローバル。パソコンを開けばヘアヌードどころか結合写真やら動画が無修正で溢れています。洋書を扱う書店には海外の写真集が性器丸出しのまま販売をされていまるくらい関税もスルー。そんな状況からして今を変革出来るような起爆剤は全くない。この間も有名写真家はチラホラ捕まってはいますが、そのほとんどが野外ヌードの公然猥褻罪で、具材解禁への動きは全くもってない状況になってしまっております。

一概に具が出ていたら良い写真なのか?と問われたら答えはNOです。

しかし具が写っているからというだけでモザイクかけろだ、印刷出来ないだという問題にされてしまうのであって、写真どうこうでは観ることをしてくれない、立ち位置の低い写真という表現が現状です。

カメラ任せでとりあえず写る。スマホでも写る…具が!ではないと思うのです。しかしそもそも加工が嫌いなのに、モザイクをかけたらそれが逆に強調されて写真が写真でなくなってしまうのではないでしょうか。

芸術という言葉もあやふやで好きではないのですが、芸術写真がモザイクを入れる事で逆にポルノになってしまうのです。黒く塗り潰したらそれこそボクらの高校生時代にまで退化してしまう。

猥褻とは観た人が猥褻と思ったら猥褻。で、バナナ見て猥褻と思う人がいたら八百屋はバナナを店頭に並べるたびに軽犯罪を犯すと言うことでしょうか。

ボクらがこれからやるべきことはなんなのでしょう。これまで写真家が闘って来たものは何だったのでしょうか?そこにあるのは何ものにも制限を受ける事のない表現の自由であり、写真なのであったはずです。

今年も「私たちは消された展」が2023年2月13日から19日まで始まります。今年で5回目になります。個人的には初参加という事でいろいろな制約、壁、法律、常識?に悩まされて考えさせられて調べ、また考えて少しばかりは成長できたのかも知れません。もがき悩む姿の現状における結果を是非観に来て下さい。

そして結論出ないながらに言えることは、
先駆者に続け、新たなる開拓者たれ写真家達よ。

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