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カメラ任せではなく自分で撮る写真「見えていないモノの写し方」

まだパンデミック騒動始まる前の新しく綺麗になった新国立競技場での事、目の前に懐かしい顔と突然出会しました。スポーツ写真に限った話ではなく「ほんとこの人の撮る写真は面白い」と思える数少ない日本人のひとり、スエイシナオヨシさんでした。

そして驚くべき事になんとスエイシさん、最新ソニーαを持っていた。

「えぇー、らしくなぁーい!(笑)」

そう驚くボクに、期待通りの応えを返してくれるのがスエイシさんでした。

「うぅ〜ん、面白くない」

そう、”それ”が味すらしない究極のバカチョンカメラなのはスエイシさんにとっても同じだったのです。

普段からつまらない写真しか撮れない人々が「なんでも撮れる」と称賛するカメラほど、実は何にも撮れないものなのです。

はっきり言ってしまうと、スエイシさんレベルの人は、何のカメラを使ったとしても撮影された写真は大して変わる事はありません。しかし観なくても、考えなくても押せば撮れるカメラではつまらない。仕事であっても手抜き云々以前の問題、撮影に対しての姿勢、つまらなさを感じてしまうカメラでは創作意欲を削がれてしまうもの。何でもやってくれちゃうカメラはお節介であり、そんなカメラ設定すら出来る人はしません。

その逆も然りで、自称プロだったり経験も実力もない人はこぞってソニーαを使いたがるようで、こちらの方々も実は何のカメラ、どんなに優秀なカメラを使おうと下手のままなのです。撮る写真はカメラ任せの物語背景も風の動きや息遣いもない目の前の記録写真。だって自分の下手さを知る事もなく、自分が失敗した写真ですらカメラの機能が劣っていると言い出す方々の写真です(苦)。カメラが撮ってくれている写真とPhotoshopが創作してくれる創作絵画が撮影者自らの想像をはるかに超えたモノであり、それを自分の写真であると自己暗示して、カメラの優秀な出来を自分の才能と勘違いしているのですから。

まっ、写真を撮ると言う事から離れて、写真をもとにしたコンピュータグラフィック製作者なら話は違ってきてしまうのではありますが(汗)

話を戻して、そもそもなぜ下手なのか? それは下手な人って学びがないから、同じ立ち位置から動こうとしないからなのです。そして他人から学ぼうとしても、知識も技術もない、故に仕事もなく時間を持て余している人が先生や講師をしている写真業界だからいつまで経っても下手の連鎖、新たにカメラマン、写真家と名乗り始める人々も下手になってしまうのです。

そんな方々に共通している事は、常に優秀なカメラ任せに撮ってもらっており、それだけで喜んでいてそれ以上でも以下でもない当たり障りのない写真。そして(カメラに)撮ってもらっている身でしかないのに、その写真を自慢したがるのは常なのです。

露出も安定した明るめなカメラ任せの均一、AFも安定で優秀なカメラでの撮影。瞳オートフォーカス搭載で量産されるのは「#ファインダー越しの私だけしか喜んでいない私だけの世界」なのです。失敗した事もなければ、設定を間違えた事もない自称優秀なプロ(苦)。

今のデジタルの技術は撮影後にピント、フォーカスを合わせる事が出来ます。性能の悪いレンズでも優秀であるかのように思い込ませる事に成功しています。光学的に劣っているレンズ、ピント合わせが苦手でも硬い仕上がりにしてしまえば「シャープ」というカタカナで逃げる事が出来るのがデジタルカメラです。

高感度フィルムの粒子がデジタルノイズに取って代わって久しいですが、そのノイズを無理に消さずに粒子のように表現する事を目指しているメーカーがある一方で、人工的にノイズを消してツルツルにしてしまい、ありえないモノを良しとする人、あとでギトギトに加工して幻想などとほざいている人に選ばれているのが今のソニーαです。

写真に限らず人は失敗する事によって多くの事を学んできました。撮れない状況を克服する事によって新しい発想が出来てきました。ピントを外すことによってピントの無い写真の面白みを掴んできました。

ピントを外した写真を撮った事がない人は、ピントが外れた写真の良さを知る事はないし、同様にカメラ任せだけで露出間違いをした事がない人は、ハイキー、ローキーの中に浮かび上がる像の切なさ愛おしさを知る機会すらありません。

最新カメラを買うよりも贅沢な事は今でもマニュアルフィルムカメラを使う事。だからこその飽和した今でこそいつものカメラのオート機能、カメラ任せを全部解除しての撮影、自分ありきで撮ってみるのはどうでしょう。

これまで失敗と思っていた写真こそ失敗してみて実際撮ってみて、それが本当は自分が求めていた写真かも知れないし、新たなる表現方法を探し当てられるかも知れない。そしてそれこそまさにこの1枚、最高の1枚がまぐれ当たりだったとしても、それは確実に自分で撮った自分の写真であり自分の実力として誇れ悦にいる事が出来る最大の成果。趣味、仕事として贅沢を味わえると同時に写真を撮るという行為自体のこれ以上ない自分称賛な写真になる事は間違いありませんので是非ともお試しあれ。

そして一度経験しておく事で、カメラオートの使い方が撮影者本位として撮影出来るようになる。もちろん撮影者のその後の自覚次第ではありますが(笑)。

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