団結・絆という美名の下で児童虐待が行われているとしたら

想像していただきたい。
もし仮に、
ここに毎年国内で
年間8000人以上の
子どもがけがをしている
用具が
学校にあるとする。

けがをしている子どもの
2割から3割の子どもは骨折し、

時に半身不随になるという
重度の障害
も起こりうるし、
ほんのまれだが死ぬこともある
というような用具が、である。

このような事実が認知されれば、
当然のことながら、
販売中止となり、
購入者から製品の回収を行うのが
ふつうである。

しかし、ここで
もうひとつ条件を加えてみる。
この物騒な用具が
子どもの心の成長に役に立つ
というものだったら、
いろいろと犠牲はあるかもしれないが
そのような崇高な使命を担っている
用具の使用は仕方がないという理屈が
成立するものなのか、どうか。

おそらくは、
そのような効果があっても
そんな物騒なものは即刻使用中止。
検討以前の問題だ。
何を馬鹿なこといっているんだ!
という声が大方の意見を
占めるのではないだろうか。

「いやいや、この用具を使うことによって
子どもたちは団結心を学び、
いろいろな意味での教育的効果があるんですよ。
今後はこの用具を気をつけて使うことによって
事故を減らしていきますので、
どうか
これまで通り使用の継続を
認めてもらいたいのですが。。。」
というような使用の継続許可を求める
販売者、もしくは教育現場の声を耳にすれば、

ここまで多くの子どもが
犠牲になっているにもかかわらず、
まだのんきに
そんな非常識な発言をしているのかと
だれしも怒りが一気に沸点に達することだろう。
どう考えても
この用具はただちに使用中止せよ!
というのが常識的見解のはず。
当たり前のことのはずである。

だが、
その当たり前のことが通用しない世界が
唯一ここ日本には存在する。

それはどこか。

学校である。

その「危険な用具」とは、
毎年行われる運動会の組み体操のことである。

つい先日、
TVで組み体操の危険性について
取り上げられていた。
その内容に驚き、実際に調べてみた。

次のニュース動画をご覧頂きたい。

過去9人死亡 「組体操」巡り小学校に異例通知(16/03/25)

「組体操」を巡って異例の通知です。組体操では、特にタワーや倒立、ピラミッドの技は事故が多く、けがも深刻になる傾向があります。このためスポーツ庁は、小学校での危険な技には慎重な扱いを求める異例の通知を出しました。
馳文部科学大臣:「お子さんの大事な体を預かっているという緊張感を持って取り組んでもらわねば」
 組体操では小中高合わせて毎年、8000件以上の事故があり、これまでに9人が死亡しています。このためスポーツ庁は25日、教育委員会などに事故防止の通知を出しました。一律の禁止は見送る一方で、組体操の実施が必要か教職員で話し合い、万全な安全対策を求めています。小学校では危険な技について「特に慎重に選択する」と、事実上、制限を課した形です。国が運動会に関係して個別の通知を出すのは今回が初めてです。

このお達しを受けて、
全体の事故の件数は
ある程度は減っているのだが、
一部の学校で
このお達しが完全に無視されていることが
次の記事によって分かる。

巨大な組み方には高いリスクが潜在しているにもかかわらず、一部の地域とはいえ、なぜ学校は巨大化を志向するのか。
その答えは、巨大なものを皆でつくりあげることに、教師が「教育的意義」を見出しているからである。
たとえば、ピラミッドやタワーの練習時に「痛いと言ってはダメ!」という指導を受けた記憶がある人も多いことだろう。
組み体操における痛みを口に出してはならない理由は、子どもたちにこんなふうに伝えられる――「土台の子は、上の子が安心していられるように、痛くても重くても我慢しなさい。『痛い』『重い』と言っていては、上に乗るのが不安になってしまうでしょう。そして上に乗る子は,土台の子があなたのためにグッと我慢してくれているのだから、土台の子を信じて、勇気を出して上にのぼっていきなさい」と。
かつて組み体操の指導書や学校のウェブサイトでは、クラスメートのために自分の痛みや恐怖を抑え込むことに、組み体操の魅力が見出されていた。それが、クラスのなかに信頼感や一体感を生むというのだ。

なぜこのような頓珍漢なことが起こるのか?
理由はいろいろ考えられる。

まず理由の筆頭としてあげられるのが、
教育現場の組み体操に対する
熱い思いである。
達成困難な技に挑戦するプロセスの中で
信頼関係や絆を強めるといった
教育的効果を信じて
組み体操を子どもたちにさせたい
と思っている
校長や教師たちの存在を
ニュースなどで数多く見聞きする。
上記の記事もそのひとつである。

だが、と思う。
ここまで教育に対して
情熱を傾けることができる教師であるならば、
これほどまでに多くの子どもたちが
重大な被害を被っている事実を
直視することが
なぜ
できないのだろうかと。

ここは何か違う理由を考えないと
彼らの「熱い思い」を
なかなか納得することができない。
彼らの深層心理を推測してみることにする。

おそらくだが、
観客をあっといわせたい。
このすごい競技を指導したのは
私(たち)ですと。
誇らしい姿を見せたいという欲求が
無意識のうちに
働いているのではなかろうか。

もちろん
そうした考えは浅ましい
ということはだれしもわかるので、
表層意識に漂う
そのような考えを
無意識のうちに押し込んで、
その代わりに
団結や絆という美辞麗句を
免罪符として表に打ち出している
と考えられなくもない。

もしそうであるとするならば、
組み体操の最優先課題は
観客を喜ばせることになる。
要はサーカスの原理である。
これまでと同じことをしてみせても
観客を喜ばせる(=感動させる)ことは
できない。

そのため、
もっとグレードアップしたすごい技を
見せなくてはいけない。
そのような意識が働いて、
組み体操のピラミッドは年々高くなる傾向に
あるのではないか。

ちなみに、私が通った高校(1970年代)では
ピラミッドの高さは
せいぜい5段ぐらいだったように
記憶している。

だが、今では
10段のピラミッドもあるという。
ここまでくると異次元の世界である。

参考までに次の記事によると、
その昔
海軍兵学校でも
組み体操が行われていたが、
当時の軍隊でさえ4段だという。

戦時中の理不尽な時代でさえ、
子どもたちの安全が
守られていたことがわかる。

2つめの理由。
これまで続いてきたのだから、
この学校の伝統だから、
前例をひっくり返すわけにはいかない
という事なかれ主義も働いていると思う。

組み体操の話から外れるが
以前、うちの塾生が
宿題の提出の仕方について
学校の先生に交渉にいったことがある。
数学のワークにそのまま答えを書き込むと
問題を2回解くことができないから
(間違った問題を解き直すのは
学習上の基本中の基本である)
ノートに答を書き込んで提出したいと。
だが、断られた。

理由は
「今まで全員この方法で
ずっとやってきたのだから
君だけを特別扱いするわけにはいかない」
である。

ここには
どうすればより効果的に学習できるか
そのような視点は微塵もない。

何かふつうと違うことをして
だれかから糾弾される可能性を
怖がってのことだと思うが
そこにはただただ
保身の姿勢しか
感じることはできない。

これまでの20年間の
個人塾の経験の中で
このようなことは一度や二度ではない。
これまでも幾度となく
目にした光景だ。
すべての先生が
このような対応を取られるとは
思わないが
学校内部には同調圧力を
怖れる傾向は
多分にあるように思われる。

3つめの理由。
意外にも
親が組み体操を観覧したいということ。
実際、TV番組のインタビューで
ちらほらあった。
自分の子どもが
事故に合うかもしれないので
多少不安を感じるが、
やはり見てみたいという意見が
アンケートをとってみると
半数ほどあるようだ。

そこには
うちの子どもが
事故に合わなければいいのだ、
うちの子どもが
事故に会う確率は低いだろう、
という思いが見え隠れする。

もし仮に
わが子が事故に遭わなくても
他人の子は
そのデータ通り被害に遭うことが
容易に推測される。
というか、データ上、
まずそうなる。

そのことを知りながら
現状の継続を望むのは
年間数千人の犠牲者が出ることに
同意したことになるのだ。

冒頭でも述べたが
これが用具による事故であれば、
100%確実に
世論・マスコミによって
徹底的に糾弾され、
販売中止に追い込まれるレベルの
事故の件数だ。

それが教育現場の行事であれば、
まったくちがう反応を見せるのは
理解に苦しむ。

よく考えてみれば、
組み体操を廃止すれば
事故はまったくなくなるわけだし、
もしくは
組み体操の形を安全なものに代えるだけで
事故の件数は激減するのだ。

もちろんそこにスリルはない。
だが、運動会は見世物と違うのだ。
サーカスを見にきているわけでは
ないのである。

それでもまだ
やはり教育的効果を
無視できないと思う人がいれば、
実際に事故に遭った子どもの生の声を
是非聞いていただきたい。

今の状況を容認し続けていけば、
このような悲惨な事故が
わが子に降りかかるかもしれないし、
もしそうでなくても
確実に他の子どもには重大な被害に
遭わせてしまうことになるのである。

組体操に賛成している
ほとんどの親は
まさか
うちの子に
このような災いがふりかかる
ことはないだろうと
たかをくくっているから
教育のためなら仕方がないと
無責任に賛成できるのだ。

最初に
現場の先生の「熱い思い」と言ったが、
おそらく教育現場には
こういう危険なことは
やらせたくないという先生方が
結構いらっしゃるのではないかと
推測している。

しかし、
職員室においては
威圧的な大きな声が
多数決の是非を決める
という噂をちらほら聞く。

そのような状況の中、
なかなか問題点が是正されないまま
ずるずると看過されてしまうのかもしれない。

とここまで書いて、
休憩して yahoo news を眺めていると、
タイムリーな記事が目に飛び込んできた。

大阪府が危険性の高い組み体操を
とうとう禁止したそうだ。

国からのお達しが
3年前であることを考えれば、
遅きに失した感は否めないが
大阪府といえば、
都道府県別の毎年の調査において
事故の件数でワースト上位に入る。

その自治体が事の重大さを認識して
こうした姿勢を鮮明に打ち出したことは
おおいに評価できる。

このことに追随して
禁止を打ち出す地方自治体が
どんどん出てくるかも知れない。
喜ばしいことである。

いずれにせよ、
このような事故が
頻繁に起こるのが分かっていて
敢えて行うのは、
児童虐待といわれても
仕方がないのではないか。

もっといえば、
現行の組み体操は
ロシアンルーレットのようなものと
いって差し支えない。
回転式拳銃の弾倉に込められた銃弾は
だれかが引き金を引いた時
いつか必ず出てくるのだ。

わが子が引き金を引いた時が
その時かもしれないのである。

そのことをしっかりと
認識した上で
議論しなくてはいけない
重大な問題だ。

どこかのだれかが、重篤な被害者となる。
どこかのだれかは、わが子かもしれない。


この危険な事実に
真正面から向き合い、
できるだけ多くの方が
組み体操に対する正しい認識を
共有していかなくてはいけない。

こうしてぐずぐずしている間にも
被害者は出ているのだから。

PS
この記事を書き終わった後、
ふと思い出しました。
昔、高校生だった頃、
体育祭の組み体操でけがをしたことを。
当時の写真が載ったアルバムを見ると、
絆創膏を貼った姿の写真がありました。
なんと私自身も被害者でした。
下記の写真は
高校時代の運動会本番の日に
撮ったものです。

画像1

この事故は統計上の数字には
反映されてないでしょうから、
私のような者を含めたら、
年間1万人以上が
組体操で怪我しているかもしれません。
あごから真っ逆さまに落ちました。
漫画やアニメで
人がぶつかったとき、
顔のまわりを
星がぐるぐる回っているシーンを
見かけることがありますが、
まさに地面に顔を打ち付けた瞬間、
まぶたの裏に
いろいろな色の光が見えたのは
いまだに記憶にあります。
友だちの話だと、
落ちた時すごい音がしたそうです。
幸いにして骨折はしなかったのですが、
出血がひどかったことを覚えています。
それで、数日経っても、
写真に写っているように
あごに絆創膏を貼ってます。
ちなみに、
運動会でなんでこのような格好を
しているかですが、
草刈正雄が沖田総司を演じて
話題になった「新撰組始末記」が
当時流行りました。

画像2

この映画が運動会恒例の応援合戦の
寸劇で取り上げられ、
その中の寺田屋騒動で
新撰組に殺される
薩摩藩士の役を演じました。
その演技を見た人が
感想をもらしていたと
後から友だちから聞きました。
切られて倒される役なので
倒れる練習を一生懸命して
あごを怪我したんだろうなあと。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?