2022年東京大学日本史第1問

リード文の分析

 (1)文書には「正文」(しょうもん。原本のこと)と「案文」(あんもん。原本と同じ効力を持つ写しのこと。)がある。律令制の文書行政では、中央の指示を正確に地方に伝えることが重要であるから、京で作成された原本が放射状に地方へ送られ、各国の国司が写しを作成して国内で施行した。
たとえば、『江家次第』の改元の項目に、改元詔書の諸国への送達について、「給諸国八枚者謄詔書」(「謄」は「写す」の意)とある。
また、鐘江宏之「計会帳に見える八世紀の文書伝達」『史学雑誌』102-2、1993(2023年に同氏『律令制諸国支配の成立と展開』吉川弘文館に収録)によると、

全国に同一内容の符を頒下する場合には、中央では八枚の符を用意して畿内・七道のそれぞれへ逓送させ、各国司はこれを写し取って国内に施行するという方法が採られていた…このように、道別に一通の符が下された場合に、山陰道では、伯耆国までの各国司は自国の分のみ写し取ればよいが、出雲国司は、隠岐国司と石見国司の両方へ送るために、自国の分も含めて少なくとも二国分の写しを作成せねばならないことになる。…逓送に際して、経路の分岐点と想定できる国は、全国的に見れば、出雲国の他にも数国あり、それぞれの場合でも検討していくことが必要だろう。」

鐘江宏之「計会帳に見える八世紀の文書伝達」43頁

とあり、(2)の出雲国が文書伝達ルートのハブ的な位置にあったことがわかる。

 (2)「出雲国が中央政府や他国との間でやりとりした文書の目録」は出雲国計会帳である。計会帳について、早川庄八氏は以下のように述べる。

「計会帳は各官庁相互に受授された公文書が過誤なく遅怠なく確実に伝達されたか否かを確認することを唯一最大の目的として作成された公文書である。」

早川庄八「天平六年出雲国計会帳の研究」(坂本太郎博士還暦記念会編『日本古代史論集 下巻』吉川弘文館、1962、265頁)

 すなわち、計会帳とは文書のやりとりの記録であり、これを各国が作り、中央で作成した文書の発出記録(いつどの文書を出したか)と照合すれば、文書がきちんと地方に伝達されたかがわかるという仕組みであった。

 (3)木札の全文は「いしかわの遺跡」8号(2000)に掲載されている。また、石川県埋蔵文化財センターによる解説動画もある。木札の穴から、実際にこれが屋外に掲示されたことがわかる。
 指示の流れとしては、国符を受けて郡司が田領・刀禰らにその遵守を命じたもので、設問Bが設問A(中央→諸国)と異なり、諸国における文書伝達の経過を問うものであることと対応する。
 特に、国司の指示を受けた郡司は「(田領らに命じて)各村毎に(国司からの命令内容を)届け廻し愉〔諭〕すべし」と指示しており、民衆への伝達は木札の掲示のみではなく口頭伝達にもよっていたことが注目される。


 (4)出典は『令集解』儀制令の春時祭田条。インターネット上でアクセス可能な文献として、義江明子「古代の村落祭祀と女性・経営―「春時祭田条」ノート―」『総合女性史学』11号、1994がある。義江論文の読みに従って、当該条文を示す。

「凡そ春時祭田の日、郷の老者を集めて、一たび郷飲酒礼行へ。人をして尊長養老の道を知らしめよ。其れ酒肴等の物は、公廨を出し供せ。(儀制令春時祭田条)…
(一云)…祭田の日、飲食を設備し併せて人別に食を設く。男女悉く集まり、国家の法を告げ知らしめ訖る。…」

義江明子「古代の村落祭祀と女性・経営」1-2頁

 この条文は「日本の古い農耕儀礼(祭田)と中国の養老・尊長の郷飲酒礼を結びつけて立法化したもの」とされ、基本的には唐令の引き写しだが、「一云」説には8世紀頃の地方村落の農耕祭祀の実情が描き出されているという。

解答方針


・中央→周縁に放射状に文書が回覧されたことの指摘
・文書原本が移動し、写しが各国で作成されたことの指摘

・文書による伝達:国司→郡司→管轄下の役人
・口頭による伝達:役人→民衆

解答案


道毎に文書を一通作成し、都から放射状に国府経由で回送した。国司は文書の写しを作成して国内で施行し、次の国に原本を送った。(60字)


国司から郡司、郡司からその管轄下の役人への命令は文書で行われた。役人は郡司の命令を記した木札を道路沿いに掲示して通行する村人に読み聞かせ、祭礼の場に集まった村の大人に命令を告知して、非識字層の多い民衆に文書で指示された内容を口頭で周知した。(120字)

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