1983年東京大学日本史第1問

【設問要求の把握】
「次の文章は、数年前の東京大学入学試験における、日本史の設問の一部と、その際、受験生が書いた答案の一例である。当時、日本史を受験した多くのものが、これと同じような答案を提出したが、採点にあたっては、低い評点しか与えられなかった。なぜ低い評点しか与えられなかったかを考え(その理由は書く必要がない)、設問に対する新しい解答を150字〔句読点も1字に数える)以内で記せ。」
※過去の設問
「藤原実頼・頼忠が朝廷の人々から軽視された事情と、藤原公実の要求が白河上皇に聞き入れられなかった事情とを手がかりにしながら、(ア)(イ)のころの政治と(ウ)の頃の政治とでは、権力者はそれぞれ、どのような関係に頼って権力を維持していたかを考え、その相違を150字以内で述べよ。」
→①実頼・頼忠が軽視された事情 
 ②公実の要求が白河上皇に聞き入れられなかった事情
 ③摂関期・院政期の権力者がいかなる関係に頼って権力を維持したかの「相違」   
の3点を踏まえる

【資料文の読解】
(ア)摂関政治期
・関白藤原実頼と冷泉天皇の関係:外戚関係なし
→実頼は師輔(冷泉天皇の外祖父)の子の伊尹らを抑えられず、「名前だけの関白」にとどまる。
⇒摂関は天皇との外戚関係と無関係に決まるが、実権の有無は天皇との外戚関係により左右された。
※冷泉天皇の即位時点(967年)で既に外祖父師輔(九条流の祖)は没しており、伊尹が摂政になるのは時期尚早とされた。そのため、師輔の兄実頼(小野宮流の祖)が一族の長老として摂政に就任した。

(イ)摂関政治期
・関白藤原頼忠と花山天皇の関係:外戚関係なし
→関白頼忠にかわり、花山天皇の外戚である義懐が実権を掌握。
・藤原兼家の地位:懐仁親王の外祖父
→「自分が将来置かれるであろう立場」とは、天皇の外祖父を指し、それゆえに「野望」を抑えた。
⇒国政の実権は、天皇との外戚関係によって機械的に定まるが故に、兼家は「野望」を抑えた。

(ウ)院政期
・藤原公実と鳥羽天皇の関係:外戚関係あり
↔白河上皇は公実を摂政に任命せず。
⇒摂政の人事は上皇が掌握しており、天皇の外戚となった藤原氏がなるものではなくなった。
※公実は公季にはじまる閑院流の出身で、公実の子の代から三条・西園寺・徳大寺の三家に分立した。

→以上より、
①実頼・頼忠が軽視された事情
…摂関期には、天皇との外戚関係が実権の有無を左右
②公実の要求が白河上皇に聞き入れられなかった事情
…院政期には、上皇が摂政の人事権を掌握
③摂関期・院政期の権力者がどのような関係に頼って権力を維持したかの「相違」
…摂関期の権力者(藤原氏)は、天皇との外戚関係によって権力を維持した。摂関は藤原氏の代表が就任。
…院政期の権力者(上皇)は、天皇の直系尊属の地位を根拠に権力を維持して、摂関の人事も掌握した。摂関の地位は天皇との外戚関係と無関係に、道長の子孫が継承した。

【想定解答】
アイの頃は、藤原氏の代表が摂関に就任したが、実権は天皇と外戚関係を持つ者が掌握したため、天皇と外戚関係を持たない摂関は実権を握れなかった。ウの頃は、上皇が天皇の直系尊属の立場から天皇家の家長として実権を握り、摂関の人事も掌握した。この時期の摂関は、天皇との外戚関係と無関係に、道長の子孫が任命された。(150字)
※採点基準
●摂関期の政治
・権力者は何との関係で権力を確保するか:天皇との外戚関係を持つ者が確保
・摂関人事:藤原氏の代表が就任≠外戚関係
●院政期の政治
・権力者は何との関係で権力を確保するか:天皇の直系尊属(多くの場合上皇)が天皇家の家長として確保
・摂関人事:外戚関係と無関係に、道長の子孫が上皇によって任命される


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