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はい、おつかれさまです。環境経営。

「こんばんは。今日もおつかれさまです。」

noteを開くと、こんな“気の利いた挨拶”が、本文記入欄に埋め込まれている。果たして、自分は、「今日も疲れている」のだろうか。世間様が望むような“疲れ”を獲得できたのだろうか。

今日は、平素よりお世話になっている他人を喜ばすことができたのだろうか。あの人は、こころから「おつかれま」と思ってくれているのだろうか。それとも、定型業務の一環として、「何卒よろしくお願い」してくれているのだろうか。はて。

noteで記事を書くときは、これぐらいの #ennui “アンニュイさ”が必要だと思う。そんな今日この頃。

環境経営的バズワード

この記事を何遍読み返しても、「スッ」と頭に入ってこないんスよね。最後の「反ESGの動きは、ESG投資の本来あるべき姿を冷静に再考するよう促している」という締めに関しては、特に。

そりゃあ、 #ESG イズムに反旗を翻しているからこそ、「本来あるべき姿」に疑問を抱いているわけでして。

多分、文章のムズカシサは、当該記事の筆者の責任ではなくて、この「環境・社会・企業統治」みたいな、これからの人間たちの営みに深く関わるテーゼに対して、不遜にも、「『E, S, G』の3文字で括っておけば、下等生物共でもわかるだろう」的な為政者なり役人が抱く厭世観、これが強く滲み出ていること、そこに問題があるのです。

問題の神髄を一言で申し上げると、副題の通り、「バズワードが独り歩きしちゃってる」のだと思います。しかも、そのワードが、そこまで「バズってない」という事実だけでなく、新手の“それ”が、空からパラパラと、次から次へと舞い降りている現状があります。反芻する前に、新しい干し草が、どんどん胃袋に詰め込まれるから、食べる側としては、もう、ゲーゲーするしかないわけです。

「ヨーロッパでは、もうやってる」だとか、「日本の企業統治は、遅れている」だとか、さんざんケツを叩かれ、めそめそしていると、「明日から、どこぞの恵まれない国々のために、祈り、食事を制限しましょう」みたいな論理的思考が破綻した“押し付け”が始まるわけです。

終いには、「より良い国防体制を構築するために、消費税を上げさせていただきます」ときた。もう、なにがなんだか、なんのための環境なのか、社会なのか、企業統治なのかわかりません。国策企業の内部留保、多少なりとも掠め取れば、不足分の国防費分ぐらいは、余裕で準備できるんじゃなかろうか。

動脈と静脈の垣根が取り払われるとき

先日、とある展示会に参加したんですが、すごかったですね。なにがすごいかと言うと、目を引く出展企業のブースには、これでもかと言うほど「カンキョウ」と銘打たれているわけです。

「環境に配慮した製品です!」と、これでもかと喧伝するわけです。「〇〇を原料にした再生材料」も流行ってるし、「この機械を使うと、これだけ脱炭素に貢献できる!」も流行っていますよね。

じゃあ、“それ”つくるのに、どんだけ環境に負荷かかってるのさ

今回、展示会だけでなく、名だたる大企業の基調講演も同じ会場で開催されていたんですね。私は、大手製鋼所の自動車向け製品の責任者様の講演を拝聴しました。

やべえな、と思ったのは、講演者の「本気で静脈とりに来てるな」と感じさせる意気込みでした。

いわゆる、話の中心は、「アルミのリサイクル、もっと盛り上げていこうぜ!(キラーン)」的な、ここ何十年も叫ばれ、ぺらっぺらになるほど使い回された薄い常套句ではあったわけですが、昨今の「車輌ボディーへのアルミ展伸材の適用(BEV車の航続距離を伸ばすための使用部材の肉薄化)」といったニーズの高まりに呼応し、現在、この“陳腐な目標”が、切実かつ現実的な経営課題のひとつとして成立しているのです。

件の“目標”を達成するための機は熟したのです。再生する技術も開発され、マーケット規模も膨らみ、再生材を使用することで、脱炭素クレジットも得られる。

こりゃあ、素材メーカーも本腰入れて、都市鉱山開発に力を入れますわな。中小が、大手に囲い込み戦略で太刀打ちできるわけもないですから、これから、どんどん、「きれいなゴミ」は市中末端には回ってこず、「きたないゴミ」しか排出されなくなるのでしょう。

スクラップ屋は、みんな揃って、スモーキーマウンテンで野垂れ死ぬ運命にあるのでしょうか。(いや、そうではない。)

「きたないゴミ」って美味しいらしい

さて、これから、大手が色んなモノに唾を付けて、「これ、俺のだから、よろしく!」みたいな動きをして、がっつり「きれいなゴミ」を差し押さえてゆく、そんな時代になることが確定している世の中ですが、我々のような静脈産業に身を置く中小一般は、どのように振舞ってゆくべきでしょうか。

仮に、「動脈(産業)が、静脈機能を取り込んでいる」ことが事実なのであれば、その波に「身を委ねる」のがベストな処世術ではないでしょうか。

自分には縁のない事柄ですが、ヨソを取り込む必要もないし、新規事業で多角経営を標榜する必要もない。なにも抗う必要などないと思うのです。

誰もやりたがらない、「きたないゴミをきれいにする」ことで儲けようではありませんか。(?)

私は、真顔で言いますが、この変革の時を「静脈(産業)が、動脈機能を取り込む絶好の機会」であると信じています。

当たり前を再定義する

総務省発行の日本標準産業分類によると、製造業とは、「(1) 新たな製品の製造加工を行う事業所であること、(2) 新たな製品を主として卸売する事業所であること」とあります。

ちなみに、動脈側、自動車部品の製造会社は、同分類上、下記のように定義されます。

・大分類…E 製造業
・中分類…31 輸送用機械器具製造業
・小分類…311 自動車・同附属品製造業

反対に、静脈側で、自動車部品の製造会社から、非鉄金属のスクラップを買い取っている業者は、下記のように定義されます。

・大分類…I 卸売業,小売業
・中分類…53 建築材料,鉱物・金属材料等卸売業
・小分類…536 再生資源卸売業
・細分類…5363 非鉄金属スクラップ卸売業

静脈側は、どんだけ頑張っても、「製造業」にはなれないわけです。たとえ、素材メーカーの要求に従って、素晴らしい原料づくりをしようとも。どんなにハイテクな加工設備を持っていようとも、結局は、卸売・小売業の域を超えないわけです。

ただ、これからの時代、「動脈産業に静脈的要素が組み込まれてゆく」のであれば、それは、「静脈産業に動脈的要素が組み込まれてゆく」ことを意味します。実際に、静脈産業が今後、機械化を推進してゆく中で求められるであろう、「生産効率の向上」然り、「歩留まり率改善」、「組み合わせの最適化」などとリンクするであろう話でもあります。

どちらかが呑み込むとか、乗っ取るとか、そういった話ではなく、両者は融合せざるを得ない状況にあると思うのです。

つまり、話は毎度のごとく飛躍しますが、今後、淘汰される運命にある対象は、「卸売・小売業界に所属する、再生資源卸売業者」ということになります。言い換えれば、動とか静ではなく、「製品(原料)の製造加工をする業者は、これからも必要とされるよね」ということはないでしょうか。

ちゃんちゃん。

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