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Harmonium

Peter Piel の「学習と教会のための60のハルモニウムまたはオルガンのための曲集」Op.85 


ハルモニウムはどの辺に位置する楽器なのか?
この曲集は当初はペダルなしのハルモニウム用であったが、ペダルを追加することによってよりオルガンのような効果が得られた、とあります。

楽譜には小さくペダル部分が書き加えられ、いかにもその部分は弾かなくても良いように考えられます。

しかし、追加して弾いてみれば、その効果は素晴らしく、3オクターブを同時に弾けるため重厚な音が得られます。

ハルモニウムは

パイプオルガンの設備投資が余りにも高額なため、アコーディオンのようなリードを用いてオルガンの代用を図って生み出されたのがこの楽器である。20世紀初頭にはKunstharmonium(芸術的ハーモニウム)とまで呼称され、オルガンを模したさまざまなストップが備え付けられた。特徴的なのが、鍵盤を一回押しただけであとは自動で持続されるProlongement(プロロンジュマン)と呼ばれる特殊装置であり、この持続音に乗ってカンティレーナが歌われる形式の作品も生み出された。(wiki)

フランスの発明家。アレクサンドル・フランソワ・ドゥバンAlexandre François Debain(1809-77 )は、ハルモニウムを開発したフランスの発明家です。彼は、鍵盤の音を押すとバルブが開き、楽器から音が出るという新しいアクションシステムを作りました。4個ストップの楽器を製作し,〈ハルモニウム〉と命名,彼は 1842 年にパリでそれの特許を取得しました。


ピアノ製作者: アレクサンドル・フランソワ・ドゥバン
日付:およそ1854~1855年
村/町:パリ
国:フランス
所有者:アンジェイ・シュワルベ コレクション、ブィドゴシュチュ近くのオストロメツコ宮殿。 1981年にカトヴィツェのクリスティナ・ウィソッカから購入


昔、学校にあった足踏みオルガンに似ていますね。


ここでまた私のライフワークである1800年後半、1900年近辺、パリ万国博覧会にたどり着きました。


1842年にハルモニウムの特許を申請したアレクサンドル・ドゥバンは、すぐに認められる実業家になりました。 1849 年にパリの万国博覧会で銀メダルを獲得し、1855 年にラファイエット広場に巨大で豪華な展示ホールをオープンしました。その後、彼は 150 人近くの労働者を雇用し、10 年後にはサントのラ・シャペル工場で 600 人の労働者を雇用しました。彼が 1865 年に建設した Ouen (セーヌ サン ドニ)。
一方、1860年にはレジオンドヌール勲章の騎士に叙爵された。
1867年、パリ万国博覧会では「競技外」に分類された(審査員のため、競技には出場できなかった)。彼は 50 ストップ、つまり 3,050 枚のリードを備えたハーモニウムを発表しました。
Alexandre Debain の死後、彼の工場 (Debain & Cie) は活動を続け、 1878 年の万国博覧会で金メダルを受賞しました。
アレクサンドル・フランソワ・ドゥバンは、同時代人たちから「ドクター・エス・ハーモニウム」というあだ名で呼ばれることになる。(wiki 仏)

教会で使用されていたドゥバンの製作



余談ですが、
インド音楽でも使用されていて

インドがイギリスの統治下におかれてから、ハーモニウムも当然輸出されたが、インド音楽の伝統に添う形で改良され、いすに座って演奏するのではなく鍵盤を含めた個体が軽量化され、ひざの上に載せて演奏する形に変わっていった。現在もインド音楽で用いられる(wiki)


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