#3 アートにエールを! G・F Handel Prelude C・B Balbastle Le D'Hericourt

コロナ対策の1つ。東京都の支援を頂きましたビデオです。モダンチェンバロの魅力を生かして作ってみました。

ヘンデルはバッハ、スカルラッティと共にバロックの3大巨匠の一人です。3人とも同じ年1685年生まれ。ちなみに1685年は日本で言えば貞享2年、元禄時代の前ですね。乙丑(きのとうし)でした。丑年の巨匠たちです。
ヘンデルはハレ大学に法律を学ぶために入学するも、法律家には成らずハレ大聖堂のオルガニストとなり、その頃終生の友となるテレマンと知り合っています。活動的なヘンデルはハンブルグでオペラに目覚め作曲に勤しみ、またブクステフーデに会うためにリューベックに旅し、それからイタリアへ。
イタリア各地を巡りオラトリオの作曲やスカルラッティとの有名なチェンバロやオルガンの競演もこなしました。結局オルガン演奏ではヘンデルの圧勝だったと伝えられます。そのイタリア時代では1706年〜1710年と短い期間でしたが、数々のオペラの上演で大成功を収めます。その後、25才になったヘンデルはハノーファー選帝侯の宮廷楽長になります。これが運命の出会い。のちにハノーファー候がイギリス王ジョージ1世となり、ヘンデルもイギリスに帰化することとなりました。74歳でウエストミンスター寺院に埋葬されるまでイギリスで活躍しました。
スカルラッティとの逸話はありましたが、もう一人同い年のバッハとはどうだったでしょう?1719年と1729年の2回、2人は会うチャンスがあったにもかかわらずとうとう会えなかったということでした。会っていたらどうだったのか?会えなくて良かったのか?など、いつまで経っても解答のない話です。
ヘンデルのチェンバロ作品はHWV426〜433はまとまって1720年に組曲8曲が出版されました。他は1700年〜1738年の間に多くのチェンバロ曲を作曲しています。この曲は1720年の第1組曲のプレリュードです。

さて、もう一人
Claude-Benigne Balcstre (1724〜1799)はフランス革命と共に散っていった作曲家です。音楽をオルガニストの父からとクロード・ラモーから学ぶ。クロード・ラモーとはジャン・フィリップ ラモーの弟です。ちなみに、デイドロの小説「ラモーの甥」の甥はこのクロードの息子ジャン・フランソワのことらしい。
バルバートルはルイ16世の弟プロヴァンス伯(後にルイ18世)のオルガニストでマリー・アントワネットのクラヴサン教師でもありました。が、フランス革命勃発で職を失い、貧困のうちに没したということです。今ではフランス国歌となっているラ・マルセイエーズ、サ・イラの編曲で有名です。
この曲は工兵大尉ルージュ・ド・リールが一晩で作詞作曲したという説とイグナツ・プレイエルが作曲したという説とがある。
プレイエルは作曲家でありピアノ製作会社プレイエルの創設者でもあります。モダンチェンバロの歴史で最も重要な役目を果たす会社でもあります。いずれにせよ、編曲はバルバートルということです。そして、作品はバルバートルのチェンバロ曲集に収められています。

Hericourtはスイスとドイツの国境に近いフランス東部ブルターニュ地域の県です。
これに関しては調べ中。追記をお待ちください。

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