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エッフェル塔とチェンバロ

1889年のパリ万博からなかなか抜け出せずうろうろしています。
1889年5月6日~10月31日まで開催されたパリ万博はチェンバロの復活の契機ともなりました。
現代のチェンバロ復興は1882年にシュケによって偶然発見されたタスカンのオリジナル楽器から始まります。現代のバロック世界の始まりです。勿論、楽器としてはそれまでも保存会や愛好家の中では存在し続けていたのですが。
1882年にトマシーニの修復を経て1889年の万博で披露されました。
前年よりパリ音楽院のピアノ科教授に就任した Louis Joseph Diemerがチェンバロの連続演奏会を催しています。
一方、音楽以外の19世紀末のパリは「世界の政治・経済・文化の中核的位置を占めていたといっても過言ではなく、パリは世界の大都市のなかでも人口集中が著しく先進的な都会だった。全般的に生活が裕福に成るのと反比例するように出生率が減少し、パリには地方・農村からと同時に外国人の移住が目立つようになった。(パリの世紀末)
1891年10月にポーランド・ワルシャワからパリに移り住んだノーベル物理学賞を受賞したマリ・キュリーもいました。
マリ・キュリーはソルボンヌ大学まで乗り合い馬車で通っていたというけれど、1890年代には馬車を廃止し、電車や地下鉄の工事が始まっていたそうです。
ワンダ・ランドフスカも1900年にワルシャワからパリに移住しました。

1889年のパリ万博のために作曲されたジュール・マスネの「Esclarmonde](1888年作曲)が期間中に50回以上、上演されたということでちょっと調べてみました。
アメリカのオペラ歌手、Sibyl Sanderson(1864~1903)がタイトル・ロールになっているオペラです。Sibyl Sandersonはアメリカのオペラ歌手で1886年にパリへ移りパリ・オペラ座の歌手となり、特にジュール・マスネの作品に出演しました。
彼女のタイトル・ロールには
マスネの「Esclarmonde」、サン・サーンス「フリュネ」、マスネ「タイス」などがあります。
「タイス」は1894年3月16日初演はシビル・サンダーソンがソプラノに名前が残っています。タイス(高級娼婦)役。
因みにタイトル・ロールとは作品名を冠した名前の主役のことで、重要な人物です。

マスネはディエメにも深く関係していて、またの機会に1906年の作品のことも書きましょう。

よく間違われる人物としてSibyl Sanderson Faganがいます。
19世紀末から20世紀にアメリカで活躍した口笛吹き(演奏家?)です。
少し時代は違いますが、マスネから辿って知った素敵な音なのでお借りします。


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