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幻想小説 幻視世界の天使たち 第1話                

(前書き)
遥かな時を超えて、歴史上の謎の解明に挑む者たちの物語です。物語の主な舞台は現代の日本と中央アジアですが、まずは 千年ほど昔の出来事から始まります。

(プロローグ 中央アジア古からの伝承)
深い緑の草原を青年が馬を走らせていた。目の前にはなだらかな弧を描く丘が見える。あの丘を越えると村がある。青年はその村に住むこの辺りでは只一人の医者の許に急いでいた。
青年はリョウという名前であった。リョウは村から馬で三十分ほどのところにある岩場の近くで、年老いた母親と二人で小麦を育て、牛を飼って暮らしていた。
その日の昼過ぎ、母親は夕食の調味に使う味の濃い苔を取りに出掛け、そこでこの地で突然起こる竜巻に巻き込まれた。岩場では咄嗟に取り付くものも無く、母親の体はそのまま辺りで一番背の高い栃ノ木のてっぺん程の高さまで舞い上げられ、そして地上に叩きつけられた。母親は頭をひどく打って意識を失い、夕刻、母を探しに来たリョウが見つけた後も意識が戻ることは無かった。
リョウは家までの長い道のりを意識の無い母親を背負って連れて帰った。家に帰って母親の体を寝台に横にして置いた。意識の無い母親の体をくまなく見たが、目立った傷は見当たらなかった。母親は苦痛も無く静かに眠っているようであった。
もうすぐ日が暮れる。このまま安静にしておけば、暫くして母の意識が戻るような気がした。明日の朝一番で、村まで馬を飛ばして医者を呼びに行くことにしよう。リョウはそう考え、台所に行き、母親がリョウと二人だけの夕食にと準備をしていた小麦をヨーグルトで煮たお粥を食べた。リョウが十九歳になった今までに、朝、夜に何千何百回と食べた味であった。リョウは粥の入った器をもって母親の寝ている寝台ところまで行って「母さん、お粥を食べるかい」と声をかけたが、相変わらず返事はなかった。
昼間の畑仕事に加え、夕刻母親を背負って長く歩き家に連れて帰ってきたことですっかりと疲労困憊し、リョウは夕食を食べた後食卓でそのまま眠ってしまった。夜中に目を覚ますと、よもやと思い母親の様子を見ると、もはや息が弱くなっていることに気づいた。まずい、早く医者に見せないと手遅れになる。リョウはこれから村の医者を急いで呼ぶことにした。
リョウが目指したのはこの辺りでは一番大きな村であった。医者も一人だけいて、マイラムと言う老人であった。リョウは夜明け前に村に着いた。すれ違う村人もいないが、リョウは馬をゆっくり歩かせて、医者の家に着いた。馬を入口の脇に繋ぐと、入口の戸を大きく三回叩いて「お願いします」と大きな声で読んだ。しばらく待ったが中からは、何の返事もなかった。リョウはもう一度同じ動作を繰り返したがやはり返事は無かった。しびれを切らして、リョウは頑丈そうな板の戸を押してみた。戸はなんなく内側に開いた。中に入ろうとすると眠そうに眼をこすりながら痩せた男が現れ、リョウをいぶかしげに見た。リョウは勢い込んで「お願いします。母を助けてください」と男に言った。
「ああ、患者さんか。ちょっと待ってくれ。いま先生を呼んでくるから。中に入って待っていてくれ。あ、おれはテミル、マイラム先生の弟子だ」
そう言うとテミルは家の外に出て行ってしまった。リョウは自分がこの村の医者マイラムの顏をほとんど知らないことに気が付いた。ここに来たのはずっと以前、今は亡き父親が馬から落ちて足に大けがをして母親と二人で抱きかかえながら来た時以来だ。その時はさっきの男が治療していたので、てっきりあの男が医者と思い込んでいた。
少し時間が経ち、ようやく辺りも白んで来たころマイラムとテミルが家に戻って来た。マイラムは白髪で日に焼けた顏をした老人で、リョウはこの老人は前に見たことを思い出した。父親が無くなる前リョウの家まで来て父親の治療にあたってくれたのだ。
テミルは大きな木の板を抱えるようにして運んでいた。テミルは戸口のあたりにそれをどんと置くと「先生、鏡を使うときは私に言ってくださいよ。こんなに重いんじゃ練習場まで運ぶのは大変でしょ」とリョウにも聞こえるくらいの大きな声で言った。マイラムはそれには答えずにリョウに向かって言った。
「リョウ、アイさんが、怪我をしたそうだな」
リョウはマイラムが自分の名前を知っていることに驚き、少し安心して答えた。
「昨日の夕方、竜巻で地面にたたき落とされてしまって、それ以来意識が戻らないのです」
マイラムはテミルのほうを見て言った。
「馬の準備をしてくれ、これからすぐ出発するぞ。お前はそれを持って行ってくれ」
「わかりました」とテミルが言うと、マイラムはリョウに「少し、待ってくれ」と言って、慌ただしく往診の準備をし始めた。
 リョウの家にはリョウ、マイラム、テミルの三人がそれぞれに馬に乗って行った。テミルは、今朝がたマイラムと家に戻った時に重そうに持っていた木の板を馬に括りつけていた。
家に着くとマイラムはリョウの母のアイの容体を見て、顔色をあまり変えず顏を覗きこんだり、手を取って脈を測ったりしてからリョウの方を見て言った。「お袋さんは、幸運にも骨などは折れていないようだ。だが……」そういうとマイラム少し険しい顏でリョウに言った。
「事故が起きた時に頭を強く打ったようだ。意識が戻るかは難しいかも知れない」
リョウはあまりのことに声を出せなかった。その様子を見て、マイラムは言った。
「このまま意識が戻らないとすると、物を食べることも水を飲むこともできない。体が弱ってしまって遠くないうちにこと切れるしかない」
リョウはのどを詰まらせながら「何とかならないのですか」と言った。
マイラムは首を振りながら答えた。
「ともかくも意識が戻るように出来ることはやってみよう」
そして馬に載せて運んで来た大きな皮の袋から、更に小さな袋に小分けした粉末を取り出し器に入れて水に溶かした。マイラムはアイの頭を起こさせ、口を指で開けて器の液体を注ぎ込んだ。そしてアイの体を横にして胸や腹のあたりを手の甲で強く押した。しばらくそのまま押し続けると、少し生気が戻ったようにアイの顏が赤みをおびた。しかしその眼は閉じられたままであった。
 

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