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アートとサイエンス

アートとサイエンスというのは、いろいろ目にしたことがありますが、私が印象に残っているのは第5回小児理学療法学会のテーマです。
その時から頭の中に残っているのですが、それから数年経って自分なりに思うことを書いてみようと思います。いちおう付け加えると私自身は子どもや先天性の障がいのある方たちとリハビリをしているので、その視点からの内容になっています。

どっちも大事


学会の時にもどちらも大事というメッセージだったのですが、やはりどちらも大事ですよねというのが結論です。
そんなこと当たり前じゃない?という声も聞こえて来そうですが、ちょっと説明していきます。
頭では分かっていてもしっかりと両方実践できているか、ちょっとジレンマを感じる部分でもあります。

アート

Artは辞書で調べると芸術のほかに熟練という意味が出てきます。
理学療法の世界では熟練の技は芸術的に感じたりします。
でもこのアートは熟練の技のみでなく、クライアントとの相互作用の中で生まれてきます。
この相互作用を良い形で生み出すために技術と心が必要になります。
そのために高い技術を身につけ、心を磨く、コミュニケーションスキルを身につける必要があります。
哲学やコミュニケーションの勉強、休息やリフレッシュなどの自己管理も大切ですね。
この相互作用の部分で子どもと関わる上で大切にしたい考え方が書かれているのが
鯨岡峻著 関係の中で生きる-接面の人間学に向けて-という本です。
客観主義が重要視する観察者からは感じ取れない人と人が関わる時にその当事者間で生まれる心のやり取りや感じる感覚のようなものが接面の中で生まれるという考えとその記録方法としてエピソード記述が紹介されています。

サイエンス

Scienceを辞書で調べると科学の他にわざ、術というのが出てきます。Artと共通する言葉があるのは面白いですね。
科学と来れば客観的データは重要ですね。
次々生まれるテクノロジーもサイエンスでしようか。
客観的データの重要性は分かってるよ、と言われそうですが、その大切さを教えてくれた本はベストセラーになったFactfullnessです。
10の思い込みとデータを見ることの大切さを教えてくれる本ですが、理学療法の世界でも陥りやすい思い込みもあります。
コロナ禍の今だからこそ、より活きてくる本だと思います。
不安、決めつけや思い込み、偏った情報などよく考えて判断するためにデータを重要視する必要があります。
リハビリテーションでいえば客観的評価を大事にしましょう、ということになると思います。

アートとサイエンス

ここまでそれぞれについて書いてきましたが、改めて重なる部分と相容れない部分があるのがアートとサイエンスです。
人間関係でもそうですが、相容れないというのは視点を変えれば補完関係にあると言えます。
アートとサイエンスも同じです。
もちろんデータは大切、研究やデータの積み重ねかれ生まれるエビデンスは大切ですよね。人の記憶や思い込みは時間とともバイアスを強くかけていきます。
でもデータが示すのは物事の一部分であり、それが全ての人に当てはまるわけではなく、個人因子、環境因子にも大きく左右されます。価値観によっても変わります。
データは大切にしつつ、それを加味した上での直感的な人と人の間に生まれるものが最終的に決め手となるのかな、と思ったりしています。
いずれにしても決めるのはクライアントであって医療者ではないので、データを大事にするか、直感を大事にするのかというのも個々のケースで異なります。
医療従事者側としてはクライアントの価値観に寄り添えるだけの幅を持てるかが腕の見せ所になり、そこに経験が活きてきます。

どちらが大事ではなく、どちらもできるために日々研鑽を重ねないといけませんね。

そうした積み重ねとともに素敵なストーリーが紡がれていくのかもしれません。
改めて良い職業だと思いますし、AIに取って変わることもないのが人と人の相互作用の中にあります。
(機械の方が気兼ねしない、安心という場合もりますが..,まあ、そこはちょっと置いておきます。)

最後に、見出しの画像はみんなのフォトライブラリーから黒猫T郎さんのものを使わせていただきました。この絵からは子どもの気持ちがひしひしと伝わってきて今回の内容にピッタリと思い使わせてもらいました。

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