そのこだわりを手放そう

アメリカの子どもたちの服装はとってもラフ。だいたい男の子はスウェットとかジャージみたいなパンツ(女の子はレギンス)にTシャツかパーカーそんな感じ。そんな中、うちの息子はジャージをパジャマにしているので、彼にとってはジャージはパジャマ。なのでチノパンかジーンズをはいて学校に行くのが彼の身だしなみ。

今日は学校帰りにテニスがあるので着替えの短パンを持っていこうかどうか悩んでいたのでジャージで行けば?と提案した。しかしかれにとってはジャージはパジャマ。パジャマで学校に行くのは許されないと感じている模様。自分にとってはパジャマでもほかの人から見たら普通にジャージだよ、それ。お!今日、ジャージじゃーん!なんて誰一人言わないだろうし気が付かないと思うよ?そんな自分が不自由になるようなこだわりはいらなくない?と一通りやり取りした後、納得したのかしないのかわからないけれど、ジャージで行った。

端から見たらどうでもいいこだわりは別にあってもいいけれど、それによって不自由になってしまうなら手放した方がいい。自分で決めたちょっとしたマイルールに縛られるのって全く滑稽なんだけど意外とあったりする。自分にとって当たり前で、かつ自分に不自由でないことって意外と疑わない。例えば、あたしは男が好きだから別に女が男と結婚するのは当たり前だしそれで問題ないんだけど、もし私が女だけど女が好きだったとしたら悩むと思う。あたしが変なの?でも誰が決めたの?そのルールって。不自由になる人がいる限り、そのルールは疑うポイントなのだと思う。だってそういうもんだし、当たり前じゃん!ってのは考えることに対しての怠慢だよね。

これまでは効率とか合理的なことが優先されてきたけれど、そのルールに不具合を感じる人がいるのなら見直す必要があるのだろう。今の世の中、当たり前とされていることに少し無理があるところない?経済成長ってずっとずっとしなきゃいけないことなの?お金は便利でいいものだけど、お金に支配されるような生き方になって苦しい人がいるのなら見直そう。学校は学びに行くところで、自分の可能性を見出すところなはずなのに、学校に行きたくない子がたくさんいるのはどうして?学校にいけない子どもがおかしいの?これだけ時代が変わるなかで、今までのルールを惰性や習慣で続けようとするのは難しくないか?問題がないならそのまま続けたらいいけれど、問題や改善点が見えた時にそれを見過ごしてしまうのはやっぱり怠慢なのだと思う。私たちは楽に幸せに生きられるようにきちんと選択しなおすタイミングにきているのだと思う。いらないルールは手放してみんなが楽に幸せに過ごせるようにまず意識して選択することが社会を変えていく一歩になると思う。たかがジャージ、されどジャージ。いらないものは手放して楽にいこう。

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