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廃墟ホテルを巡る「マヤ遺跡ガイドウォーク」のススメ|神戸ホテル

廃墟はなぜ美しいのだろうか。

「廃墟」という言葉の響きには、過去の栄光。建物だけが知る隠された記憶。もしくは、永劫なる時間を想起させるからだろうか。

今を生きる私たちが決して手に入れることのできない煌めきが、そこにはある。

太古は洞窟で暮らしていた人類は、道具を使うようになると人々の手により大なり小なりの建物がつくられるようになった。その流れは衰えることなく、建物は近代には特定、もしくは不特定多数の人が利用して初めて完成する「巨大な工業製品」となった。

さて、近代の産物である建築物だが、巨大な工業製品の終焉を設計した人間はいるのだろうか。私は知らない。建物が朽ちる風景なんて、アニメの世界でしか見たことがなかった。

しかし、今、私の目の前にはねずみ色をした壁面には樹木が茂り、 木漏れ日が微かにゆらめいている。開口部は鉄サッシのみが残されており、風が抜けていく。

年月が生み出した亀裂には、風雨で飛ばされてきた土が溜まり、小さな命が芽吹き、誰にも邪魔されずにすくすくと茂っている。

近代の象徴でもある巨大な工業製品が、まるで野山と化しはじめた姿に、なぜ私は感動しているのだろう。

誰も想像していなかったであろう建物の姿が、そこにはあった。彼女の名は、旧摩耶観光ホテル

◆マヤ遺跡ガイドウォーク

さて、知る人ぞ知る廃墟ホテル、旧摩耶観光ホテルを拝むにはどうしたらいいか。それには「マヤ遺跡ガイドウォーク」に参加する必要がある。

マヤ遺跡ガイドウォークは、神戸の三宮駅から1駅隣にある摩耶山(まやさん)をハイキングするツアーだ。このツアーでは、約15ほどの中世/近世/近代/現代の歴史的遺構スポットを2時間ほどかけて巡る。

冒頭の旧摩耶観光ホテルは、本ツアーの2大近代遺跡の1つだ。

摩耶山は兵庫県神戸市灘区にある標高702mの小さな山で、昔から地元の人たちに愛されている。休日のレジャースポットで、ケーブルカーとロープウェイを乗り継いでほぼ山頂まで簡単にのぼることができる。

1925年に営業開始した摩耶ケーブル
神戸市街を眺められるロープウェイ

昭和時代にはハイキングやレジャーブームで一躍を買い、茶屋や展望台のほかに、摩耶山遊園地なんかもあったそうで、多いに賑わっていたそうだ。

今でもその名残として、ロープウェイの終点にある展望台ではバーベキューができたり、カフェがあったりする。ロープウェイとケーブルカーの年間パスもあるので、日常的に利用するお客さんもいるんだそう。

ツアーではほぼ頂上までのぼり、基本的に舗装された山道をくだっていく。普段、運動はほぼしてないがほどよい疲労感だった。小学生も親同伴なら参加可能なので、親子で参加するのも楽しいかもしれない。

展望台から山頂までは3分ほど
山の湧き水を貯めてた跡

ツアーは、ガイドさんが行く先々で立ち止まって「この遺跡は、いつの時代のもので、なにに使われていたのか」を丁寧に説明をしてくれる。

ハイキングコースにある跡地だから、順番はもちろん新旧バラバラで、私たちは山を歩きながら、縦横無尽にタイムトラベルする。

1000年以上前から信仰のあった旧天上寺や院跡。昭和初期につくられたホテルや洋館跡地。令和最大と言われた台風によって倒れた巨木。

天上寺は火事に見舞われてしまい、今では天上寺跡しかない。当時、摩耶山に住んでいたお坊さんたちは、山を離れてしまったのだが、実は山の中にはそんな彼らがいた証がところどころにもあり、ガイドさんがちらっとこっそりと教えてくれる。

アサヒビールも小さな遺跡の1つ

◆旧摩耶観光ホテル

さて冒頭で紹介した「廃墟の女王」とも呼ばれている旧摩耶観光ホテルは、地元の人にはマヤカンの愛称で呼ばれている。

2021年にはモダニズム建築の価値が評価され、廃墟では珍しい国の有形文化財としての登録が決定した。彼女の歴史を読み解くと、旧摩耶観光ホテルは、栄枯盛衰を3度も繰り返した変わった経歴を持つ。

建設されたのは1929年。実は、はじまりは会社の利厚生施設『摩耶倶楽部』だった。のちに一般の人も宿泊可能になるが、太平洋戦争のため営業は中止する。

ひさしをめぐらした曲面的なデザイン。大きな窓、丸窓を設けた開放的な外観。まるで軍艦のような趣だ。

曲線が優美なアールデコ様式の建築だ。

内部には大ホールやステージがあり、こちらにもアールデコ調のデザインが施されているそう。

「船」は当時、最新鋭の機械であり、それは強き国家の象徴だった。そこにアールデコの優美さが掛け合わされたデザインをとりいれられ地上に君臨した。

これだけ手入れをされていない廃墟にも関わらず、彼女の立ち振る舞いには「機能的な美」を超えた、新しい時代への期待を今も感じられる。

戦後に『摩耶観光ホテル』として営業再開するが、その命は短く、台風で復旧できないほどの被害を被り、たった7年で営業を停止する。

1974年に、3度目の営業再開。「廃虚に泊まれる」という謳い文句のサークル合宿専門『摩耶学生センター』として利用される。1994年まで、20年間営業していたが、クローズ。

その後は人が立ち入ることはなくなってしまった。現在は、不法侵入があると警備会社に通報が行くようになっている。

現在は、竣工時の美しい姿に修繕するのではなく、廃墟ゆえんの輝きを残していく仕組みを整えている真っ最中だという。その一環として彼女の美しさを伝えるためのツアーがこの「マヤ遺跡ガイドウォーク」なんだそう。

今日も彼女は、摩耶山には人に使われるためでもなくただ静かにたたずんでいるのだろう。

◆摩耶花壇

二大遺跡のもう1つが摩耶花壇だ。こちらもトレッキングが一大レジャーだったころの宿泊旅館の跡地だ。

旧摩耶観光ホテルと同時期に、療養所を第一の目的としてつくられた木造モルタルの洋館で、今は1部の建物だけを残して、ちょっとした広場になっている。

ツアーでは、摩耶花壇のオーナーの許可を特別にもらっているため、中まではいることができる。

「え?中に入れるって言ってもただの小屋じゃん…」と侮るなかれ。左側に見える、まるでRGPゲームに登場するような、唐突にあらわれる階段を降りるのだ。

狭く暗い階段をそろりそろりと降りると、パッと視界がひらける。突如広がる、丁寧に整えられた芝生の庭とまるで廃墟を絵にしたようなむき出しになった鉄筋コンクリートの骨組み。

朽ちた廃墟と新しい庭のコントラストに、脳の処理が追いつかず、まるで自分が本当に物語のなかに入り込んだような錯覚を起こす。

こちらの廃墟は、オーナーとその仲間たちによって少しずつ整備されている。最近、発掘されたという浴場跡は大人の隠れ家になっている。

まるで現代文明が滅びたあとに生き抜く人々が生活しているような、不思議な空間だ。

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さて、今回紹介したマヤ遺跡ガイドウォークだが、実は摩耶山の麓にあるMAYAゲストハウスで【マヤ遺跡ガイドウォーク付きの宿泊プラン】が販売されるということで、お声がけをいただき東京から神戸まで行ってきた。東京なら羽田空港~神戸空港のスカイマークが早くて快適だ。

MAYAゲストハウスは、ゲストハウス初心者でも安心な個室の部屋もある。もちろん安く泊まれるドミトリーもある。

▼15秒紹介動画


この宿泊プランには遺跡ツアーがだけでなく、オーナーさんが案内してくれる「街歩き食べ歩きツアー」もある。食べ歩きツアーは、商店街のおいしいをめぐりながらオーナーさんが街のお店や人たちを紹介してくれるツアーとなっているのだが、こちらもおススメだ。

マヤ遺跡ガイドウォークの個人的な感想としては、旧摩耶観光ホテル「歩く」という身体的な連続した身体運動をしながら、非連続的な時代を思い描く体験は私の人生にはいままでにない新しい体験で、不思議な感覚を味わえる。ぜひホテル好きや遺跡好きな人は、参加してみてほしいツアーだ。

INFORMATION
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