スクリーンショット__480_

ラッセル・ウェストブルック2008 最初の試合,全ての試合

"なぜオレは過酷なトレーニングを続けるか
夢を叶えるため?
違うね 諦めるためだ
己の限界を知る それは非常に気分がいい
夢 理想 期待 希望 可能性
自分を縛る鎖から解き放たれたいのさ
才能ってのは底なし沼みたいなもんでね
楽になりたいんだ やるべきことを全てやって———
お前らにはわかるまい"

-中田春彌『Levius est』 vol.1

2008年というと僕はまだ中学生で,NBAはおろかバスケットボールにさえまったく興味がなかった。バスケの思い出というと,体育の授業でバスケをしたとき「ジャンプシュートはまったく入んねえけどレイアップはわりといける」自分に気づいたことを覚えている程度だ。2008年,生徒会が体育祭のメインテーマを募集していたので「オイルショック2008 ~あとは、勇気だけだ~」を提案したが見事落選したころ,おいおいてめえらCRサイボーグ009のCM見てねえのかよと憤慨していたころ,オクラホマシティ・サンダーがラッセル・ウェストブルックをドラフト指名した。

1.ヘンなやつがやってきた(2008/10/29)

ラッセル・ウェストブルックのキャリア初試合は,ホームでのミルウォーキー・バックス戦だった。ウェストブルックのキャリア初試合を,NBA.com/Statsの『Play-by-Play』の記録を基に辿ってみよう。

ラッセル・ウェストブルックは2Qから出場した。
2Q10:48,ウェストブルックはヨハン・ペトロのレイアップシュートをアシストする。のちにあらゆるスタッツを乱獲した罪に問われるルーキーが最初に記録したスタッツは「アシスト」だったのだ。
続けて2Q9:53,ウェストブルックはルーク・バー・ア・ムーティのレイアップをブロックする。登場早々自分より10cm以上身長の高い選手をブロックするポイントガードに,当時のOKCファンは何を感じたのだろう。
2Q9:37,ウェストブルックはオフェンス・ファールを犯す。キャリア最初のターンオーバーだ。「若気の至りだなあ」などと呑気に笑っているOKCファンにかける言葉を,中学生の僕はまだ持ちあわせていない。まだウェストブルックの存在さえ知らない。のちに我々は7ターンオーバーまでならノーダメージという最強スキルを身につけることになるのだが,それはもう少し先の過去でのことだ。
2Q9:03,ついにウェストブルックがキャリア最初のシュートを放つ。フリースローサークルあたりから放たれたボールが放物線を描く。何千本と放つことになる,ジャンプシュートだ。外した。おめでとう。これが最初の一歩だ。これから君はこのオクラホマという街で15,253本のシュートを放ち,そのうち8,627本のシュートを外すことになる。おめでとう。これが最初の一歩だ。

2Q7:18,アンドリュー・ボーガットからファールをもぎ取ったウェストブルックは,フリースローを2本放つ。1本目。成功。おめでとう,キャリア初得点だ。これから君はこのオクラホマという街で4,685本のフリースローを沈め1,161本のフリースローを外すことになる。だがまずは,おめでとう。2本目を放つ。外した。しかしウェストブルックは,リムからこぼれるボールに誰よりも速く飛びつく。自分のフリースローミスを自分でオフェンスリバウンドしてみせるルーキー。僕はまだ中学生で,ウェストブルックの「自らとーる!」ムーヴがキャリア最初の試合から始まっていたことを知らない。自らオフェンスリバウンドをもぎ取ったウェストブルックだったが,勢い余って足がラインを踏んでしまう。ターンオーバーだ。こうして,キャリア初のフリースローミス,キャリア初のオフェンスリバウンド,キャリア2つめのターンオーバーはわずか3秒の間に記録された。
ウェストブルックは2Q6:21にキャリア2本目のシュート(レイアップ)を外している。
2Q:6:01,タイムアウト明けにケビン・デュラントがコートに帰ってくる。前季ルーキー・オブ・ザ・イヤーを記録したケビン・デュラントと,ここまで1得点(FT 1/2)1リバウンド(1オフェンスリバウンド)1アシスト1ブロック2ターンオーバーのラッセル・ウェストブルックが居並んだ。
しかしその後も,ウェストブルックは得点では見せ場を作れなかった。再度放ったレイアップも外れ,ウェストブルックは3本のシュートミスと2回のターンオーバー,2回のパーソナルファールを引っ提げてベンチに下がることとなった。このとき彼はどんな顔をしていたのだろう。

中学生の僕がブラウン監督率いる広島東洋カープで孤軍奮闘するコルビー・ルイスに心躍らせていたころ,ウェストブルックは4Qの冒頭から再度コートに立った。この時点でチームは59-81の22点ビハインド。オーケー,控えめにって絶望的だ。
4Q9:34,ウェストブルックの放ったジャンプシュートが決まる。キャリア初のFG成功で,スコアは66-84になった。
4Q8:52,ウェストブルックは立て続けにレイアップを放つ。外れる。66-84。
4Q8:04,ケビン・デュラントのジャンパーにより,スコアは70-88となる。4Qが始まって4分間,点差はなかなか縮まらない。

4Q7:28,ウェストブルックは再びリムに突撃する。今度は決まった。キャリア初のレイアップ成功で,スコアは72-88。
今度はデズモンド・メイソンへのアシストだ。4Q6:58,76-90。得点差は徐々にだが縮まっている。
4Q6:22,デズモンド・メイソンが外したジャンプシュートを,ウェストブルックがオフェンスリバウンドし,そのままプットバック・レイアップを決める。これで76-90。
まだだ。4Q5:11,ウェストブルックが放ったキャリア初のスリーが決まる。79-90。
わずか2分の出来事だ。ルーキーが演出した9-2のランにより,OKCは2008-09シーズンの初戦での大逆転勝利を射程に捉えた。

しかし,OKCの反撃は,マイケル・レッドチャーリー・ビラヌエバチャーリー・ベルの得点により勢いを断たれた。ウェストブルックもスリーを外し,残り2分半の段階で79-97となった。オーケー,そうは言ってもよく頑張ったよ。最初は22点差もあったけど,良いところまでいったじゃないか。よく頑張ったよ。

まだだ。ニック・コリソンが外したレイアップに,ルーキーが飛びついた。オフェンスリバウンド。そのままシュートに持って行ったウェストブルックだが,ビラヌエバのシューティング・ファールによって阻まれる。ウェストブルックはフリースローを1本だけ決める。
次のオフェンス。ジェフ・グリーンが外したジャンプシュートに,ルーキーが飛びつく。オフェンスリバウンド。そのままシュートに持って行ったウェストブルックだが,アンドリュー・ボガットのシューティング・ファールによって阻まれる。ウェストブルックはフリースローを2本とも沈めた。勝負が決したタイミングでの2本のオフェンスリバウンドと4本のフリースロー,3得点。わずか40秒間の出来事だ。

このときアリーナには,どれくらいのOKCファンが残っていたのだろう。キャリア最初の試合で最後まで喰らい付き続けるルーキーを見届けた彼らのうち何人が,ケビン・デュラントではなくそのルーキーが,のちに僕たちのヒーローになることを予感したのだろう。

バスケットボールを知らなかった中学生の僕だったが,勝った負けたと同じくらい,勝ちに向かう姿勢そのものが大事であるということをブラウン監督率いる広島カープから学んでいた。学んでいたつもりだ。とはいえ,判定にブチ切れてベースをぶん投げることが勝ちに向かう姿勢なのかどうかについて当局は関与を否定している(※)。

(※) "2006年5月7日の対中日ドラゴンズ戦で、3回表にマイク・ロマノが真鍋勝己審判に暴言を吐いて退場処分を受けた。ブラウンはこれに抗議した後、一塁ベースをグラウンドから引っこ抜き、内野のフェアゾーンに放り投げた。これが侮辱行為と判断されて退場を宣告された。ブラウンはその後、退場を宣告した審判と観客に対し帽子を上げお辞儀した。(略) ブラウンは「なぜ(ロマノは)この程度で退場なんだ、退場になるというのはこういう事だ」ということをアピールするために行ったと後にコメント"
Wikipedia『マーティ・ブラウン』より引用

この試合,バックスは3選手(チャーリー・ビラヌエバ,リチャード・ジェファーソン,マイケル・レッド)が20得点を記録し,最終的にOKCを87-98でくだした。ベンチから22分の出場だったウェストブルック(先発PGはアール・ワトソン)は,13得点4リバウンド4アシスト1ブロック2ターンオーバーを記録した。この4リバウンドはすべてオフェンスリバウンドだ。また,13得点のうち12得点は4Qに上げたものである。この試合から全てが始まっていたのだ。

キャリア1年目のウェストブルックは,最終的に平均15.3得点4.9リバウンド(2.2オフェンスリバウンド)5.3アシスト3.3ターンオーバー1.3スティールを記録した。シュート成功率は39.8%,スリー成功率は平均1.6本の試投で27.1%だった。

続く。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?