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【アーカイブス#72】ブロードサイド *2015年10月

 迂闊にもずっと買いそびれていたCDを最近ようやく買い求め、ここのところ時間があればそればかりずっと聞いている。発売されたのが2000年ともう15年も前のことなので、それこそ迂闊どころではない話なのだが、正確に言えばそのCDはボックス・セットのCDで、5枚のCDと158ページのスパイラル綴じの大型本が箱に入っているものだ。発売当時かなり高くてなかなか手が出なく、そのまま歳月が過ぎてしまっていたというわけだ(それにしても15年とは長すぎるし、今にして思えばそれほど高価な商品でもない)。CD5枚の収録時間を合計すると5時間22分32秒。時間がうんとかかるので、そればかり聞いているという状況になってしまう。全部をしっかりと三回繰り返し聞いたらそれこそ一日が終わってしまう。

 ぼくが手に入れたのは2000年9月にスミソニアン・フォークウェイズ•レコーディングス(かつてのフォークウェイズ・レコード)から発売された『The Best of Broadside 1962-1988』(SFW CD 40130)。これはまさにタイトルどおり、1962年から1988年までの26年間アメリカで発売されていた「Broadside」という「出版物」の「いちばんいいところ(ベスト)」が纏められたものだ。
「出版物」という中途半端な書き方をしてしまったが、フォークソングの楽譜と歌詞、その曲の解説、フォークソングに関するさまざまな原稿、ニュースや写真などが収められている「Broadside」は、タイプ印刷で、A4判で20ページ前後の本体はホッチキスで製本され、音楽新聞とも音楽雑誌ともどちらともつかないものなので、敢えて「出版物」と書いてしまったわけだ。
 創刊号の第一面には「Broadside」というタイトルの下に「A Handful of Songs About Our Times(わたしたちの時代についての一握りの歌)」というサブ・タイトルが入っていて、それは号を重ねるにつれて「The National Topical Song Magazine(この国の時事的な歌の雑誌)」から「The Topical Song Magazine(時事的な歌の雑誌)」へと変化していった。

『The Best of Broadside 1962-1988』の5枚のCDには、「Broadside」で紹介された曲が全部で89曲収められ、158ページの大型本にはそれらの曲の歌詞、曲や作者についての詳しい解説、掲載当時の写真やスクラップ記事のほか、「Broadside」の成り立ちや歴史、その役割についての長い文章、「Broadside」に曲を取り上げられたフォーク・シンガーたちが当時の思い出などを綴った文章も数多く収められている。


「Broadside」は、アメリカでモダン・フォーク・リバイバルの動きが大きな広がりを見せた1962年、1909年生まれのアグネス・“シス”・カニンガムとその夫でやはり1909年生まれのゴードン・フリーゼンの夫婦によって創刊された。創刊号は1962年2月に発行され、その時に刷られた部数は300部、定価は35セントだった。
 それから1988年までの26年間、通算187号まで「Broadside」は続けられたが、70年代の終わりにはいったん休刊状態となり、数年を経て1982年に復刊するが、80年代の「Broadside」はシスやゴードンに代わって、ジェフ・リッターという若い世代のミュージシャンが編集を引き受けるようになった。

 シスとゴードンの時代、とりわけ1960年代前半から後半にかけての「Broadside」に曲を取り上げられたり、曲を提供していたのは、その頃「ガスリーズ・チルドレン」(アメリカの新しいフォーク・ソングの世界を切り拓いたウディ・ガスリーの子供たち)と呼ばれていたフォーク・シンガーたちが中心で、まさに彼らこそがこの音楽出版物を育て、彼ら自身も一緒に育っていったと言える(もう一冊「Sing Out!」という1950年に創刊されたフォーク・ソングの雑誌があって、そちらももちろん当時のフォーク・シーンの中でとても重要な役割を果たしていた)。
 そのガスリーズ・チルドレンの名前をざっと挙げていってみよう。ボブ・ディラン、トム・パクストン、フィル・オクス、エリック・アンダースン、パトリック・スカイ、リチャード・ファリーニャ、レン・チャンドラー、バフィ・セイント・メリー、ジャニス・イアン、アーロ・ガスリーなどなど(ジャニスやアーロあたりになると「ディランズ・チルドレン」と呼ばれることもあり、そうなるとウディのほんとうの息子のアーロは、音楽的にはウディの孫ということになってしまう)。
 こうしたガスリーズ・チルドレンと並んでウディと同世代のフォーク・シンガーのピート・シーガーやピートと異母きょうだいのペギー・シーガー、ウディよりも一回り歳上の1900年生まれマルヴィナ・レイノルズなども「Broadside」に積極的に関わり、「Broadside」の編集長のシス・カニンガムもフォーク・シンガーとして活動していたので、彼女の歌も数多く登場している。

『The Best of Broadside 1962-1988』では、そうした60年代に大活躍したフォーク・シンガーたちの歌はもちろんのこと、70年代後半、80年代になって活躍するようになった次の世代のフォーク・シンガーたち、サミー・ウォーカー、トム・パロット、ルシンダ・ウィリアムス、マイク・ミリアスたちの歌も、CDで聞くことができ、歌詞を確かめたり、曲やその人物の背景を詳しく知ることができる。

 ここでようやく「Broadside」とぼくとの繋がりについて書くことができる。すでにいろんなところで何度も書いているように、ぼくは1960年代の中頃、中学二年生か三年生の時にアメリカのフォーク・ソングと出会い、きっかけはブラザーズ・フォアやキングストン・トリオ、ピーター・ポール&マリーといったモダン・フォーク・コーラス・グループだったが、彼らが取り上げて歌っている曲の作者がウディ・ガスリーやピート・シーガー、あるいはボブ・ディランやトム・パクストン、エリック・アンダースンたちだということを知って、ぼくの興味はそうしたフォーク・シンガーたちに移っていった。そして高校生になると、彼らの世界に深くのめり込んで行ったのだ。
 しかし今とは違ってアメリカのフォーク・ソングに関する情報はまだまだ少なく、ぼくが興味を覚えたフォーク・シンガーたちのアルバムも(もちろんまだLPレコードの時代だった)すべて日本に紹介されるというわけではなかった。しかし60年代の中頃には日本でもモダン・フォーク・コーラス・グループの人気がうんと高まり、フォーク・ブームの波が押し寄せて、いろんなフォーク・シンガーたちのアルバムが次々と発売されるようになっていった。

 熱心なフォーク少年というか、フォーク高校生だったぼくはお小遣いをためて日本で発売されるフォーク・シンガーのアルバムを一枚、一枚と買い集め、それと同時にアメリカのフォーク・ソングの雑誌も、輸入楽譜を取り扱っている店(当時はヤマハすなわち日本楽器しかなかったように思う)で見つけたりすると、貴重な資料になるということで何が何でも買い求め、ヤマハの店頭で売っていない時はお店の人に頼んでアメリカから取り寄せてもらったり、インターナショナル・マネー・オーダーという国際郵便為替を郵便局で作ってもらい、それで自分でアメリカの出版社に送って注文したりしていた。
 その時のフォーク・ソングの雑誌が「Broadside」と「Sing Out!」で、アメリカのフォーク・ソングを学ぶ高校生のぼくにとってはこの二冊の音楽出版物はまさにバイブルのような存在だったのだ。

 高校生の頃、手に入れた何号もの「Broadside」、そして1964年にオーク・パブリケーションズから出版された「Broadside」に載った曲を集めて作られたソングブックの『Broadside Vol.1』も入手し(ソングブックはその後続けて68年にVol.2、70年にVol.3が出版された)、ぼくはそれらの中の知っている曲に英和辞典と首っ引きで日本語の歌詞をつけたり、聞いたことがなくても興味深い曲はギターで楽譜のメロディを確かめ、やはり日本語の歌詞をつけたりしていた。そして密かに歌っていた。
「Broadside」のお世話で、高校生のフォーク少年のぼくのレパートリーとなった曲には、フィル・オクスの「Too Many Martyrs(The Ballad of Medger Evers)/多すぎる殉教者」、トム・パクストンの「What Did You Learn in School Today?/学校で何を習ったの?」、ピート・シーガーの「Waist Deep In The Big Muddy/腰まで泥まみれ」、マルヴィナ・レイノルズの「Little Boxes/小さな箱」などなどがあり、1967年3月、ぼくが高校二年生から三年生になる春休みの時、大阪で開かれたベ平連の集会で高石ともや(当時は友也)さんと出会い、高石さんに誘われて人前で初めて歌った曲のひとつが(それまでも高校の中では歌ったりしていたが、「社会」の中で歌うのは初めてのことだった)、フィル・オクスの曲を日本語に訳した「多すぎる殉教者」だった。

『The Best of Broadside 1962-1988』には、まさにそうした曲の数々や、同じ作者の別の歌などが数多く収められている。5枚のCDは時代の流れに沿って選曲がなされているのではなく、テーマごとに曲が選ばれていて、そのテーマは「原爆と核問題」、「ベトナム戦争」、「公民権運動」、「ブラック・パワー」、「移民」、「労働者問題」、「フェミニズムと女性の権利」など多岐にわたり、当時のフォーク・シンガーたちがどんな問題をトピカルなものとして捉えて歌っていたのかがとてもよくわかる。
『The Best of Broadside 1962-1988』のCD5枚の89曲、5時間22分32秒を聞き返すのは、ぼくにとっては自分のフォーク・ソングのルーツに戻り、それをもう一度確かめる行為だ。歌に耳を傾け、歌詞を見たり、そこに書かれている解説を読んでいると、その頃自分が何を思い、何を考え、何をしようとしていたのか、何をしたがっていたのかが、鮮やかに甦ってくる。
 そしてぼくは歌に耳を傾け、歌詞を見つめながら、50年前の自分自身をただただ懐かしがっているわけではない。1960年代半ばから後半にかけ、フォーク・ソングと純粋に、真剣に、情熱を燃やして取り組んでいた自分自身に今一度立ち返りながらも、2015年の今、66歳になったぼくは、自分の気持ちや志がその時とまったく変わっていないことを確かめ、これからいったい何をどう歌えるのかひたすら考えているのだ。

中川五郎(なかがわ・ごろう)
1949年、大阪生まれ。60年代半ばからアメリカのフォーク・ソングの影響を受けて、曲を作ったり歌ったりし始め、68年に「受験生のブルース」や「主婦のブルース」を発表。
70年代に入ってからは音楽に関する文章や歌詞の対訳などが活動も始める。90年代に入ってからは小説の執筆やチャールズ・ブコウスキーの小説などさまざまな翻訳も行っている。
最新アルバムは2017年の『どうぞ裸になって下さい』(コスモス・レコード)。著書にエッセイ集『七十年目の風に吹かれ』(平凡社)、小説『渋谷公園通り』、『ロメオ塾』、訳書にブコウスキーの小説『詩人と女たち』、『くそったれ!少年時代』、ハニフ・クレイシの小説『ぼくは静かに揺れ動く』、『ボブ・ディラン全詩集』などがある。
1990年代の半ば頃から、活動の中心を歌うことに戻し、新しい曲を作りつつ、日本各地でライブを行なっている。

中川五郎HP
https://goronakagawa.com/index.html

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