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角川短歌賞佳作魚谷真梨子さん「対岸」にぶちのめされて、選考座談会にお説教される(第67回角川短歌賞感想)

角川短歌賞佳作魚谷真梨子さん「対岸」にぶちのめされる

第67回角川短歌賞の結果が発表されました。

結果としては、「該当作なし」ということですが、角川短歌2021年11月号において、選考結果、予選通過31作品の得票数、選考座談会の様子とともに、次席2作品、佳作3作品が掲載されていました。

応募総数633篇中、予選通過は31篇。

筆者も、応募していたのですが、32位で惜しくも予選通過なりませんでした(白目)。

掲載された次席・佳作作品や選考座談会について、とても興味深く読ませていただいたのですが、なかでも佳作を受賞された魚谷真梨子さん「対岸」がマジでヤバかったです。

正直、この作品を読むだけのために、角川短歌11月号買っても損がないくらい、感動したとともに、32位(自称)の同じコンテスト参加者として、「このレベルで佳作なのか。。。」とぶちのめされました。

「でも幸せでしょう」って声を逃すため冬の窓いくつも開けたけど

1首目にあるこの歌でいきなりハードパンチを喰らいました。

辛いことや悩んでいることがあって、周囲に話しても、「でも幸せでしょう」という言葉で受け流されてしまう悲しみ。

周囲から見ると幸せそうに見える自分と自分の抱える悩みや苦しみとのギャップを感じ、頭の中にこびりつくその言葉を解放するために、窓を開けた「けど」、そう簡単に悩みは解消されない。

全編を通して、子育ての大変さや義理の親からの出産の期待など家族にまつわる悩みや苦しみが読み取れるのですが、1首目にこのめちゃくちゃ憂鬱な歌が来ることで、その後の救いがたい憂鬱さに一気に引き込まれます。

句切れとして、
でもしあわ/せでしょうってこえを/のがすため/ふゆのまどいく/つもあけたけど
と1~3句、4~5句の句またがりになっているのも、不穏な感じがあって効果的です。

児をひとり殺めし家の冷蔵庫もヴーンと鳴りしか夜半にヴーンと
歯止め、と誰かが囁く窓際に刃物のように冷たい風は
わたしにも狂気の手首ぶらさがることを黙して振る冬の雨

「児をひとり」の歌は、選考座談会でもたびたび取り上げられ、今年1年を代表するほどの秀歌ですが、さらに「歯止め」「わたしにも」の歌も負けず劣らず狂気に満ちています。

この連作のすごいところは、共感性です。

よき母であることを期待される子を持つ母、義理の親から子を期待される嫁、というストレートにここに歌われていることに共感することができるだけでなく、あらゆるステレオタイプに期待される役割とそれを強要される無言の圧力の息苦しさに置き換えられる普遍性を感じます。

ここで謳われている普遍的な苦しみや微妙な心の動きは、例えば、「父親」でも「婿」でも、場合によっては「子」でも共感できます。

一見、期待された役割どおりに振る舞っているけど、少しでもバランスが崩れれば、秘めたる狂気が顔を覗かせかねない人間の弱さや難しさは、こういった詩歌でないと表されない絶妙なものです。

また、「歯止め」の1句目は、字足らずになっていますが、「、」で一呼吸置くと、韻律が崩れず、短歌としての定型を保ちながら、強い印象を残す技術も光ります。

この時間とわたしの時間がまざりあう水際に石をひろってあそぶ
産まなかったほうのわたしが対岸にときおり手を振るから振りかえす

2首目はタイトルへ引用されているクライマックスのような秀歌ですが、1首目とセットで読みました。

日々のなんてことはない河原でこどもとあそぶ光景も、上記のような不穏な歌の数々と併せ読むと、賽の河原で積み上げた石は何度も鬼に倒されてしまうように、一生懸命我慢して積上げてもふとしたときに崩れてしまうもろさを暗示しているような歌が1首目であり、そして、対岸からパラレルワールドの違う選択をした自分につながっているような、幻想的でありながら、刃物を胸に突き付けられるような、鋭角な感情に心が震える。

春だから春を許したりはしない目の奥にいつまでもはなびら

最後の1首ですが、冒頭の1首目が「冬」の歌で、最後に「春」を歌うという、季節の変化、時間の経過を表しつつ、爽やかで息吹のある「春」という季節だけで許したりはしない、という強い言葉と、目の奥に浮かぶ花びらという抒情的な言葉が並ぶことで、不穏で不安な毎日が続いていくことを暗示しているようで、一つ一つのワードの爽やかさに対比して、ちょっと嫌な読後感があります。

また、句切れとして、
はるだから/はるをゆるした/りはしない/めのおくにいつ/までもはなびら
と冒頭の1首目同様に、1~3句、4~5句の句またがりになっているため、対比の面白さがあります。

初学者のため、間違っている読みが多々あるかもしれません。
先にお詫び申し上げます。

他にも、数々すごい歌がありますので、是非まだ読んでない方は、50首全部読んでいただきたいです。

ただ、もうすごいなと、感銘を受け、自分もがんばんなきゃなと強く刺激を受けました。

選考座談会にお説教される

そして、選考座談会なのですが、指摘されている内容が高度過ぎて、そして、ダメ出しの内容があまりに自分に当てはまってしまい、ずっと廊下で立たされているような気分で読みました。

てゆうか、辛すぎて一気に読めなくて、全部読むのに4日かかりました。

今後、推敲の度に思い出したい金言ばかりでしたので、まとめて書き残します。

<既視感のある言葉遣いはやめろ>
p85;言葉の技術を持っているけど、比喩の「よう」が多い。「かも」「みたいだ」といった表現も多くて、そこが気になった。意外と普通に着地している感じ。
p86;「大学生はみんな寂しい」「手の中で命のような」という通俗的な表現に惜しいところを感じた。
p93;言葉の上でもう一つ掘ったり飛んだりしてほしかったけど、かえって嘘っぽいのかな、そういうことすると。(中略)一方、結句の平凡さ(中略)などなど、落とし所はもう一つ工夫がいる。
p94;「あの日から今日に向かって吹く風」とか「たましいの避難経路」という表現は既視感がある。その辺がもったいなかった。
p103;ただ、テンプレートな青春がなぞられていて、ありがちな青春増に疑いを持っていないあたりが厳しい。自分の中のものだけを使って詠っている感じがして、自分を揺らしてくる他者が感じられなくて、平板になった。
<言葉選びは厳しくやれ>
p89;ただ、「ふと思い出す」「あえかな夜」「ぼんやりと」といった不用意な表現があった。特に下の句がもったいない。
p94;歌のテクニックは甘いし、言葉選びはもっと考えた方がいい。
p98;「いらないのかな」じゃあ甘過ぎる。この人は歌を作り出してから長くはないのでしょう。
p103;ただ、結句の惜しい歌が多かった。(中略)収め方が予想の範囲内。
<説明しすぎるな>
p95;自分にしか歌えない素材で勝負するのはいいなと思って読み始めたけど、材料が多過ぎて散文的になっている。
p95;俵さんが言うように説明しすぎのところが多い。
<もっと勉強しろ>
p100;そういう中で、自分の中にある違和感が、文学の世界では以前からしっかりと追及されてきていることを学んだほうがいいと思う。歌だけではやっぱり駄目です。
p101;この人のテーマは八〇年代から九〇年代のころで一度終わったものだと思いました。
p102;ただ、私の世代から見るとどうしても焼き直し感がある。この先に行ってほしいのになって思うんですよ。
<読者がわかるように詠め>
p106;わからない歌が多過ぎた。
p106;だけど、読者ってそこまで意味を取るべきものなのかな。
p133;作中の「われ(わたし)」「君(あなた)」の関係性が途中で曖昧になり、選者たちの腑に落ちないままで読みの不安を残す一連もありました。
<連作は配置を工夫しろ>
p115;ただ、このあたりは一字空けの歌が続いて、散文詩に近い作品が一連の前のほうに集中した形になっている。配置の工夫をいう点で、もう少しばらけた感じにした方が良かったんじゃないか。
<新人賞の心得>
p114;新人としての要件は満たしているとは思うけれども、五十首あると、このリリカルな純粋さだけで納得するかという感じが私には残った。
p131;今回議論していて感じたのは、結局作者のバックグラウンドを知ることなしに、どれだけ説得してもらえるか、ということなのかなと。もちろん、作中主体が結ぶ像が曖昧だと、歌に説得力がなくなるといいますか。
p132;新人には、表現の新しさや感覚の新しさなどとともに、新しい時代に自立して生きていくのだ、という姿を求めたいですね。

あえて、どの方の発言かとか、どの作品に対してのものか、とかは書いていません。

多分そういうことじゃなくて、気を付けないといけないし、一見矛盾する2つの金言は、絶妙なラインを突くべく、よく悩みなさいというメッセージだと思います。

目下、2022年1月31日締切の短歌研究新人賞に向けて、ひたすら30首の推敲に取り組んでいたのですが、一回、全部捨てて、書き直しています。

そういうのも含めて、短歌おもしろいですね。
精進します。

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