見出し画像

midnightblue その1


去年の一生忘れられない出来事を書こうと思う。

長くなっちゃうから前後編にする。

オレのガキの頃からのメインの遊び場って言うなら
やっぱ横浜になる。関内、ザキ、福富町、寿町…
まあ玄人しか来ねーエリアだけどな。

だけど野毛のこのお店が美味しい!とかそんなのは、なんも知らなかった。
なんでかって言うとオレが出入りすんのは殆ど賭場(カジノ、マンション雀荘)か飲み屋だった。

オレは昔、シャレにならないギャンブル中毒だったから。

食いもんなんか賭場のタダ飯ばっかだったしな。
でもそれが死ぬほど美味い店もあってさ。
いいハウスはプライドがあるから原価無視の最高の肉を使ってハンバーグなんかを作って、元一流のシェフ(前科モン)が焼くんだよ。
すげーしつこく黒服が勧めてくるから、仕方なく食ったけど確かにめちゃくちゃ美味かった。
悪いけど横浜で一番美味いハンバーグはそこだったよ。ハングリータイガー(横浜の有名なハンバーグ屋)目じゃないよ。タダだし。
こっちは勝負に行ってんだからメシなんかどーでもいいんだけどな。
あの店はドバイに逃げてる暴露野郎や闇営業でクビになって焼き肉屋やってる芸人YouTuberとかよく居た。

先日コータローさんがジャニーズのバックでギター弾きに横浜来たから関内の後輩の店の個室とって飲んだんだけど、丁度そのカジノの裏で懐かしかったね。

当時からいまだに通ってんのは太源てラーメン屋と
野毛の阿武茶、シベールくらい。
全て深夜オープンで早朝にかけて食える店ってのがミソだ。
まあ、この三店はあの辺りで遊んでる人間で知らなきゃモグリだけど。

当時のルーティンは関内のハンバーグの店で目が出なかったら、福富町移動してフェラーリのビルの前の箱でサビをガジッて、んで運良くタネが増えたら鳳凰のステンドグラスがある螺旋階段のGビルで大っきく勝負しに行く毎日だった。
札を絞るのが仕事みてーなもんだったな。

ほぼほぼオケラになって終わるんだけど、そんな時は家帰ってシャワー浴びてウイスキー飲んで寝る。
決まってBGMはコータローさんのセカンドアルバムの「mountain top」。
そん中の「midnight blue」って曲が大好きだった。
バカやらかした後にとにかく沁みる曲なんだよ。

まあふざけた毎日だったよ。

当然スポンサーでも居なきゃそんな毎日が続く訳もなく。
時計やネックレスなんか質屋を行ったり来たり。
たまに儲かったってキャバクラでバカみてーに飲んで終わりだよ。
金なんてまともに借りれるとこなんかとっくに天井まで借りてるし、個人の金貸しがお友達って状況だったね。回収しにくるのはケツモチの不良なんだけど。


ある日の金曜の夜、史上最強についてない夜にポッケに200はあったのにバカラで全部溶かしたのちに、土日の野球全12試合を全て外して月曜の野球の集金(野球賭博は試合の無い月曜日が締め日)のアシが300になっちまった。つまり二日間で上下で500スベッた訳。
当時の社長に土下座してつめてもらって、そんかわり死ぬほど働かされる羽目になって強制的に真面目サラリーマンになったってわけ。
クビ吊ったり飛んじゃうヤツも沢山見てきたからまあラッキーだったかも知れねえ。

仕事ってのも真面目にやってみると中々面白くなってきて、営業てのが向いてたのかそれなりに何年かしたら結果もついてくるようになった。自然と稼ぎもよくなってきてさ。会社でも役がつくようになって。
その頃は博打も遊び程度になって、お客を連れて中華街や野毛で普通に飲む機会が増えた。
ぴおシティとか安い飲み屋とかの楽しさも知るようになってきてさ。

知らずと少しずつ健全な人間になってってたんだな。


すっかりまともな社会人になったある日、コータローさんとブクロで飲んでる時に横浜で飲みてーなってコータローさんが言い出したことがあった。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?