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重い女と軽い馴れ初め



みどりという名前で、好きな色が緑だなんて、ナルシズムで、ギャグのようだが、仕方ない。事実、私の身の周りには、緑色のもので溢れている。
 例えば、初代自家用車はモスグリーンのミラジーノだった。車に関して十分な知識がない私のために、父が探してくれた、丸みを帯びたフォルムと、くりくりとした目のようなヘッドライトが可愛らしいミラジーノ。下手な運転をする私にうんざりしながら懸命に動いてくれた相棒。意識して緑色を選んだわけではないのだが、当時はフォルムの他にも、その色にも「びびっと」来たのだろう。
 友達の結婚式用に購入したワンピース。黒地にミントグリーンの刺繍があしらわれ、一目ぼれだった。フリマアプリで安く購入したアニエスベーの半袖ニット。ピスタチオのような渋いグリーンが身に付けるとしっくりきて、飽き性ながらも長年愛用している。他にも、破損してしまい泣く泣く処分した卓上ランプも、ガラスシェードが鮮やかな緑色だったし、お気に入りのマニキュアも、キャリーケースも、ハンカチも、推しのメンバーカラーも、気が付けば、あらゆるものが緑色だった。自然と、緑色のものを集めてしまうのだ。
 そして、現在使っている財布も、偶然にも緑色だ。二つ折りでシンプルなデザインの革財布は、使い始めてから、かれこれ五年程経過している。財布の買い替え時期は三年、とよく聞くが、特に派手に傷んでいる様子はない。もともと深緑色のそれは更に色に深みが加わり、むしろ味が出てきており、わざわざ手放すほどではないかな、と考えている。

 私が今の財布に買い替えたきっかけは、当時片思いしていた人と同じ財布にしたかったからだ。
こういうのって、世間一般的には、付き合ってからお揃いにするものだろうが、当時の私は相当浮かれていて、後先考えず、即決してしまったのだ。彼とは、何度か二人で遊びに行ったが、お付き合いするに至らなかった。現在、連絡を取り合うこともない。真似っこして購入した財布だけが、手元に残っている。
そんな忌々しい財布、さっさと手放せばいいのに、と思うだろう。いくら使い勝手が良くても、過去に縋り付いているわけでないのなら、買い替えたほうが無難だ、と。しかし、買い物して財布を取り出すとき、毎度胸を痛ませているわけではないし、ドラマのように時が止まり、彼との回想が繰り広げられることもない。財布は、思い出をひっくり返す隙間もないくらいに、日常にしっかり馴染んでいる。
彼をなぜ好きになったか。そんな、はっきりとしたきっかけはないが、何回か遊ぶうちにかっこいいな、と思うようになったとか、ありふれたものだったと思う。年上で、落ち着いていて、私の知らない音楽をたくさん知っていた。コーヒーが好きで、子供の舌を持つ私に、ブラックコーヒーの美味しさを教えてくれた。盛岡が本格的に寒くなる前、コーヒーフェスティバルというイベントに一緒に行った。彼はラルフローレンのブルゾンに、コーデュロイのパンツを合わせていた。身に付けていたものがすべて洗練されていて、おしゃれだった。私は、ビームスで買ったオレンジの薄手のニットに、太めのデニムを履いていて、そのニット可愛いね、と彼から褒められた。そういえば、ニットの上には、緑色のライナーコートを羽織っていた。やはり、緑色は、思い出のあらゆるところに潜んでいるようだ。彼は海外旅行が趣味で、学生時代、あらゆる国を旅行したそうだ。イタリアで買ったんだ、と見せてくれた黒の長財布は、革製品を取り扱っている有名ブランドのものだった。彼が持っていることで、よりかっこよく見えた。しかし、自分もそのブランドの財布を買おう、という行動力は、重すぎてしまったか。これが、ハンドクリームとか、リップクリームとか、手軽な消耗品なら重い女にならずに済んだのだが。
彼と年明けに会った時に、財布を新調したことを伝え、見せてあげた時の彼のリアクションははっきりとは覚えていない。特別顔をしかめることも、喜んだ様子でもなかったように思う。彼は私のことを恋愛対象として見ていなかった。それでも、二人で会えるだけでいいと思っていた、最初のうちは。恋愛においてタイミングが重要だ、と言われているが、「忍耐力」も必要だと感じる。粘り強さ。私にはなかった。財布をお揃いにする勇気はあったのに、振り向いてもらおうとする根気はなかった。あの頃、私がせっせと連絡を送り続けたり、何か別のアクションをとっていたりしたら、また違う結果になっていただろうか。積極性、忍耐力、気の引き際、これらを含めて「タイミングが重要」というわけか。そんな簡単なもので片づけられたら拍子抜けするが、そんな簡単なものに振り回され、泣いたり、はしゃいだり、次会う時何着ようか悩んだり、財布を新調したりするのだ。
これらの思い出は、失態とか、苦くしまっておきたい過去という認識ではなく、ああ、そういえばそんなこともあったな、とふとした時に思い返す様な、プレイリストに保存している一曲の様な、そんな思い出だ。ブラックのコーヒー、オレンジのニット、緑のライナーコート、彼がおすすめしていた音楽、一緒に訪れたカフェ、お揃いの財布。至るところにエピソードはあり、そのエピソードが、今の自分を作っている。

 手のひらに収まる、若さ、単純さ、勢いがぎゅっと煮詰まったそれに対して、愛着が湧いているが、実は現在、目星をつけている財布がある。しかし、先程も話したように「まだ使える」状態であること、愛着があること、他にも欲しいものが泉のように溢れているため、現段階では優先順位が低いことなどから、購入には至っていない。
 ボッテガ・ヴェネタ。縞目模様が美しいその姿は、そのブランド唯一無二である。財布はもちろん、ボッテガ特有の、ビビットなグリーンカラーの箱にも目を惹かれる。貧乏くさいだろうが、あの鮮やかな緑色がインテリアとして飾られているだけで、わくわくするだろう。

 なぜ、数あるブランドの中から、ボッテガの財布を選ぶかって?推しが、使っているからである。
お気づきだろうか、私はこの五年程で、大して成長していない。

好きな人が持っているから、自分も真似したい。財布という高額な買い物を、そんな単純な動機で決めてしまっていいのか。自分でも呆れるが、この勢いで、人生を駆け抜けきたのだ。いつかは眩しい緑に見合う女性になりたい。しかし、今はこのままでいいかな、という結論に至る。
人との出会いも、ものとの出会いも、馴れ初めがある。ものに出会うということは、誰かに出会うことだ。

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