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創作論①世界を創るということは

前置き

 これは創作に対する個人的な考え方です。人によって意見は違いますし、私と異なる考え方も尊重します。私の言っていることは「こんな考え方もあるんだなー」程度で受け止めてください。

物書きは自分の世界の神だ

 はい、タイトルから不信感を覚える読者さんもいるかもしれません。でも、他にもこう思う方はいるのではないでしょうか。

 世界に自分の物語を届けているプロの小説家に限らず、ある程度物語を紡ぐのが得意な物書きさんにも「私は神だ」という考え方は通用すると思います。

 世界を創り、キャラクターを生み出すのは凄いことです。公募で落選した方も、これができているのは普通の人では成しえないことです。自信を持ってもいいと思いますよ。


 そこで、私の考え方はこうです。
 世界を創るのは神業です。例えばファンタジーを書いている人であれば、地図まで描いている人とかがそうですね。考えてみてください。自分の創った世界は自分の思い通りに動かすことができます。ある意味、神のようだと思いませんか? 

 自分の手で生み出したキャラクターの動きを見守り、それを文字にする。そしてそれを読者に届ける。存在するかもしれない可能世界を、物書きは豊かな想像力に任せて作り上げているのです。

 どんなに作中のキャラクターが強くとも、作者さんには歯が立ちません。悪を薙ぎ倒し無双する青年も、作者さんのペン一つに勝つことはできません。

 それに、物語が完結するのはエンディングを文字に起こした時ではありません。作者が生きている限り永遠に続きます。神が存在する間は、世界に終止符は打たれません。作者が亡くなった後も、読者がいる間は世界自体は消えないのですが、物語は途絶えます。


 想像してみてください。世界が貴方の作品を愛しているとしましょう。貴方の意思次第で現実の世界が変わるかもしれないのです。言い過ぎですか? そうかもしれません。でも貴方の気分で変えれる創造すた世界を、現実の世界は手に汗を握って見守っているのです。最強になった気分がしませんか? 自分のペン一振りで世界が反応するのです。


 さて世界の話はやめて「物書きは神」というトピックに戻りましょう。キャラクターが作者の意志と関係なく動き出す、という場合はどうなのでしょうか? ちょっとだけ私の話をしましょう。

「魔術師トリオ、世界を焼く」という作品を書いているのですが、最初の方はキャラクターに糸が付いていて私が操り人形のように動かしている感じがしていました。

 でも、彼らのことを知れば知るほど糸が切れていきました。不思議ですよね? 私が特に何もしなくてもキャラクターが勝手に動き出すのです。執筆をしていない時間も、私の頭の中で生きて動いているのです。この時ではもう自分の意志次第で操作できなくなってしまいますね。

 でも神であることには変わりありません。だって自分が生み出した「実在する」人間ですから。私は彼らの一挙一動を見れるのです。これは私以外の誰にもできないことであり、二次創作も読者のイマジネーションに過ぎません。二次創作は我々の住む世界に神が存在するとして、私たちが神の元でエッセイを書いているようなものです。


 神になったつもりで小説を書いてみてください。楽しくなりますよ。

後書き

 如何でしたか? また機会があれば創作論パート2を書くかもしれません。書くと思いますが。
 楽しんでいただけたのであれば幸いです。怖いと思ってしまった方には申し訳ございません。
 ではまたの機会に。


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