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「上手い絵を描かなければ」という呪いから手を離す〜画力向上の意外なタイミング

(なんか書き始めたの2週間以上も前なのに、色々あって書き終えるのに時間がかかってしまった)

自分の画力が向上する意外なタイミングって何かと言えば「絵を描く」というこだわりから手を離すことだったというオチなんですよ。
私の場合。
マジ話です。

なんでそんなこと思い出したのかってーと、画力向上させようと頑張ってる人のnoteを見たんですね。

その方はちょっとしたきっかけから自分の画力が低いという事実に気がついてしまった方でした。
言い換えると「ご自分の『ダメ脳内補正』に気がついてしまった」状態。

ダメ脳内補正についてはこちら


↑の原典
絵を巡る考察プレビュー版


こういう時期は私もありましたので気持ちはわかるんですよ。
この方の場合、心ならずも神絵師と自分を比較してしまう羽目になってしまった。
そこで自分の絵の歪みと(それまでの思い込みと異なる)本当の実力に気づいてしまったと。

なのでこの方は今頑張って画力を上げようと努力をされているところのようです。

うーん。
この方が虚しくなる気持ちも痛いほどよくわかる。
神絵師の気まぐれで事故に遭ったように感じるのかもしれません。

ただ、神絵師が悪いわけでもないんですよね。
神絵師とて何らかの悪意や陰謀があったわけでもない。
むしろその神絵師だって、その人より昔のどこかの時点で自分の拙さに気がついたわけです。
だからこそそれ以降技術を身につけて上手くなったわけで。

たまに見かけるけど下手な人も神絵師も同等に賞賛しろ、と強制するのは「お絵描き共産主義」ではないかと私は思います。

で、こっちが本題なんですが(前フリ長い)
もうひとつ思ったことがあります。
それはこの方の取り組む画力向上の努力は、「今の心理状態では」実を結ばないんじゃ…ってことです。
すごく残酷なこと言うようですが。
勿論本人に言えるわけがないのでこうして濁してnoteに書いてるわけですが。

たとえ万単位の投資で技法書やプロのアドバイス貰っても、今のこの方は技術が身につかない心理状態に見えるんですね。

なんでかってーとこの方の今の状態を台所の食器洗い用スポンジに例えると、汚れも水分も含んだままの状態だからです。
このままの状態では次の食器をきれいに洗うことはできません。
なのでまず汚れと水分を洗い流し、ぎゅっと絞らないといけない。
じゃないと次の新しい洗剤をつけて食器をきれいに洗うことはできないということです。
ご自分が汚れてると錯覚したままでは、新しい技術を身に付けようとしても入って来ないことでしょう。
つまりは新しいものを実際に取り入れる気持ちの余裕や遊びがない状態と思われます。

何度もあちこちで書いてますがお絵描きは思想・心情の表現です。
なので気持ちの余裕や遊びは基本的に必要です。
生きるか死ぬかの状態で絵を描ける人はまずいないと思います。
稀にいるけどそれは一握りの例外ですね。

例えば鬱だと絵を描くどころじゃないです。
ゴミ屋敷ならぬゴミ部屋で万年床に寝っ転がって口を開けたままポカンと中空を見てることしかできません。
絵とか趣味とかそれどころじゃないです。
眠れない食べられない風呂すらろくに入れない。
少なくとも私はそうでした。

でこの方の現在の状態がメンタル的に危うく見えるんですね。
鬱初期の視野狭窄状態と見受けられるからです。
それとアイデンティティの危機の状態だと思います。
そのトリガーは自分の真実の画力を知ったショックでしょう。
しかしトリガーがそれであっても、根本的な原因はそれじゃないと思います。
あくまで私の推測ですが、冴えない現実から目を逸らすためにこの方は絵を描いていたのではないかと。
なのに絵の世界でも目を逸らせない現実にぶち当たったのがショックなのでは、と。
まああくまで私の推測でしかありませんが。
何にせよ多分この状態で新しい技術を義務的に飲み込もうとしても、おそらく体に入って行かないです。

で、やっと表題に辿り着きます。
私の場合何度か絵のストーカーに遭ってるのでその度に活動停止を余儀なくされてます。
最初の時に鬱になり、それを引きずってる自覚なく次の活動してまた鬱になり、また活動停止…と何度か繰り返しましたね。

でも、活動停止してから描き始める時が一番画力上がるんですよね。
なんでかってーと絵を描くことから手を離して「空白の状態を(鬱で強制的に)作らされた」からです。
空白の状態になるとそれまでこだわってた描き方とか絵柄とかどうでもよくなるからです。
(嫌なことを思い出すから触りたくないという部分もある)
そして描かなくなっても癖でモノの形や陰影を眺める癖は残ってて、そういった観察を溜め込んでいたからです。

で前述の通り前の絵柄なんて思い出すのも嫌だし普通にリアルデッサンから描き始めて、その時ピンと来た感じで絵柄のデフォルメ具合を決めて、また描き出すのです。
別に義務感でも何でもなく。
義務感がないというのがポイントです。

そうすると、前より自由になってるんですよ。
最終的には以下の心境に至りました。
別に、他人を圧倒する画力じゃなくてもいいやぁーって。
自分がとりあえず納得できる最低ライン以上ならいいやー。って。
ストーカーが追っかけて来れないよう必死に画力で突き放そうと頑張らなくてもいいや、と。
(ストーカーもジャンル跨ぎして一次創作までは着いて来ないだろうという読みもある)
元々別に他人と競争したくて描いてるんじゃないし、自分が描きたいように描くよ。と。

そこまでが長かったけど。
何度もストーキング→鬱→やめる→空白→再開→ストーキング→鬱→やめる→空白→再開、…を繰り返したので。
それでも最終的には他人を気にすることはやめました。
またストーカーが現れたらどうなるかわからないけど。
当面はこの緩さで行こうと。

そういう緩さがあると、それまでバラバラに習得してきた技術が何となくまとまって来るんですね。
心に余裕がないとバラバラに仕入れた技術がまとまらない。

なので、技術が身になるのって、義務的に技術を必死に叩き込んでる最中じゃないと思います。

そもそも私はリアルデッサンが好きだった。
手とか足とかの難しい部分のデッサンや、動きを描く…ジェスチャードローイングっていうの?が好きで元々繰り返し描いていた。
ただ統合された訓練じゃなくて散発的にね。
そのバラバラの技術が空白期間を経て何となくまとまって来るんですよ。
やはり心にも空白…余裕や遊びができたからだと思う。

だから心に余裕のない状態では、結局身にならないと思うんですよ。
「上手くならなければ!上手くならなければ!」って焦ってる状態って言うなれば緊張状態の危機回避モード。
(私の場合は「ストーカーに追いかけられないようにしなきゃ!なんとかして突き離さなきゃ!」だった)
モノを覚えるとかいう精神状態じゃないと思う。
…し、そういう心境だと、特にダメ脳内補正外れてない人は永遠に自分の絵の歪みに気づけないと思う。
気づく心の余裕もないんだもん。

だから、絵を描くことにこだわりすぎて執着して、手を離さないように頑張りすぎると昔の私のように鬱になります。
鬱になる前に手を離した方がいいです。

本当に絵を描くことが好きならずっと絵を握り続けなくてもまたインスピレーションが降ってきます。
心の余裕ができたら。


絵の上達のために鬱を繰り返すとかアホらしいので「鬱になる前に」手を離して、心の空白を作った方がいいと、私は思うのです。
経験したから言うのですが。
で、足りない絵の技術の習得は空白期間にやる。
心の余裕のある時に。
特別目的も定めないで。
今しも背中に火が点いたような状態で技術を身につけようとしても無理だと思います。

例えば
「あの絵師を乗り越えるために必要な技術は!?」
って血眼になっても、その技術は一個だけでは足りないはずです。
もっと根本的で、総合的な技術の差のはずです。
ショックを受けるほどの差となると。
今すぐ一個だけ新たな技術を身につけても神絵師と同等以上にはなれません。
急がば回れ、です。
技術の習得にチート技はありません。
逆に
「全ての技法を全力投入して他者を圧倒しなければ!」
などの視野狭窄の状態が技術の吸収を阻む原因になります。
なのでそこから手を離した方がいいと私は思うのです。

そして「上手い絵を描かなければ」、という呪いから解き放たれてほしいと私は思います。


多分その呪いに囚われてるうちは、前より上手くなったとしてもずっと周囲と自分を比較し続けて「もっと!もっと!」と「上手くならなければならない呪いの無間地獄」に陥ると思うので。
だってやっぱり、「上手くなりたい」って焦ってる人って、「どこまで上手くなれば満足か」っていう具体的で現実的な基準、持ってないでしょ?
「あの絵師に負けたくない」ってのはあるかもしれないけど、相手だって上手くなってくわけでキリがない。
やっぱ無間地獄ですよ。
そういう抽象的な目標は主語としては大きすぎて実用にはならないです。

ファンや憧れ以外で他人の影がチラチラ目に入ったまま描くほど絵師にとって不幸なことは私はないと思います。



そして上手いにも種類というかタイプがたくさんあるので、「上手い・下手」と二元論で語るのは妥当ではないと私は思います。
むしろ私は下手なのは別に一向に構わないけど、傲慢とかマウント取りとかのが迷惑だなーと思ってます。
傲慢な人はそれこそ自分と他人を比べて自分より上手い人が現れたら発⚪︎(hakkyo)するし、マウント取りに来られてもすげー傍迷惑でウザいからです。
こっちはマウント取るために上達したんじゃなくて自己満足のためにしてるんで、ウザ絡みしないでほしいものです。

なんか脱線してしまった。

よく画力向上の秘訣として「枚数描け」とか「⚪︎⚪︎時間描け」とか結構精神論みたいのを見ることが多い気がする。
あとは小手先の「技術を盗め」とかね。
いや、もちろんそれも大事ですよ。
でも基礎がないと小手先技の応用が効かないという動かし難い現実がある。
基礎デッサンやってからの小手先技と基礎のない小手先技では結果に天地の違いありますから。
前者は他でも応用できる、後者はその場限り。
だからホントのところは何をするにも基礎デッサンの土台があると一番の早道だと思う。

だけどその一方で完璧なデッサンが必要ってわけではないとも思う。
描きたいイメージがはっきりしてるとデッサン多少おかしくても強烈なイメージにいい意味でやられて好きになるものも多数ある。
だから描きたいイメージに対して全力で描くことが一番だと思う。

一番最悪なのは描きたいイメージもないのに無理矢理描こうとすること。
本人のメンタルにも良くないし描きたいイメージがないのに無理矢理描こうとするとどうしたって他人のイメージ頼みになる。
これは上達しない道への第一歩です。
他人の絵をカンフル剤として使わないと描けない状態は、下剤がないとお通じがない状態と同じだからです。
まあ不健康ということです。

私が思うに、上っ面が綺麗であることより「これが描きたい!これが見えてしまって描かずにいられない!!」っていう本人の描きたいイメージが一番大事。
でもそれは他人の絵から貰ってくるもんでも況してや盗めるもんでもない。
だって「自分の脳内で描いたイメージ」なのだから。

そして、

そのイメージを理想通りに描くにはどんな技術が自分に足りてないのか、そのイメージを描き現すチャレンジを繰り返しながら体感するしかない

と思う。
足りないところが体感で把握できたら苦手な箇所の、例えば手のデッサンなどを繰り返すといいと思う。
もしくはその描き方に長けた絵師を敬意を払いつつ見習うといいと思う。

あと、視野狭窄状態とシンクロしてると思うんだけど、実際描いてる絵をずっとズームインして細部に気を取られてると全体像がバランス崩れがち。
なので私はいつも意識して極小サムネイルになるまで表示倍率をめちゃくちゃ下げる、ということを描画中にたびたび行う。
極小サムネイルにすると以下のことに気づきやすくなる。

  • 全体の陰影のおかしいところ

  • 全体バランス、デッサンの崩れ

  • はっきり描けてない箇所

そんなわけで、「こだわりを持つ自分」に拘泥しすぎたり義務感で自分を追い込まない方が結局上手くなれると思う。

上手くってのは他人と比べての話じゃなくて、自分の脳内イメージに対して、より理想に近づくって話ね。


いくら他人と比べたって、目の敵にしてる神絵師(が具体的にいるとしたら)に罷り間違って追いついたとしても、それ以上の神絵師なんて世界中に唸るほどいるんだから、永遠に勝利なんて来ないと思うのよ。
つまり、

他人と比べてたら永遠に満足することはできない。
自分の理想に対してなら、以前よりちょっとでも近づけると達成感がある。


そんなわけで、

  • 比べるなら他人ではなく、過去の自分と

  • 近目になりすぎて木を見て森を見ずにならず、時々遠くから描画中の絵を見直す

  • 「絵を描くこと」から時々手を離して空白期間を作る

方が多分総合的には早く理想に近い絵が描けるようになるのでは、という話。


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