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よくばりな自分を肯定する材料あつめだった春の日帰り京都

これは、新年度始まって間もない週末、関東から日帰り京都旅を敢行したお話です。京都はどの季節に訪れても混んでいる印象があるけれど、桜がどんぴしゃな上に、外国人観光客が戻ってきて、なんだかすごい混みようだ、とも聞くタイミングでした。

The京都の要素は少ないけれど、自分のミッションが達成できて、とても満足度が高い1日でした。行けてよかった!

達成できたミッションと次につながるかもしれない想いや欲を順番に書いてみます。

ふたばの豆餅を手に入れた!

耳にしていたけれど、ずっと食べたことがなかった憧れの和菓子、出町ふたばの名代豆餅。こしあんの豆大福で、タイミングがよければ京都駅や百貨店でも入手可能。そして、関東の百貨店ではオンライン予約もできるという。

予約ができることを知り、電話をしたものの、前日では間に合わず、迷ったけれど、朝イチに行列覚悟でお店に向かった。

早起きをして新幹線で8時前に京都へ到着。駅中のキオスクで一応豆餅を探すも、さすがに入荷しておらず、バスでお店に向かう。

今回の旅のミッションで唯一、時間が読めなかったのが、この行列だ。

でも、せっかくお店まで来たからには少し並んでもいいから食べたいな〜と思いながら歩いていくと、あった!お店の前に4列ほどの行列。普段、行列に並ばないので、一瞬ひるんだけれど、ここまで来たのだからと思いながら近づいて行くと、最後尾はなんと、横断歩道を渡り、道路を挟んで向こう側だという。

ミッション達成スイッチが入った私は、横断歩道を渡り、最後尾についた。なぜか3と書かれた整理券が渡される。

これは横断歩道を渡るときに呼ばれる番号だった。

週末の朝8時半すぎ、暑くも寒くもない気温、桜が見頃を迎える日に京都まで来て行列に並んでいる。自分の欲に忠実であれと、誇らしい気持ちと私は何をしているのか?という少しあきれた気持ち。

後ろの親子は大阪から来たようだ。「あと30分早起きしたら違ったかな。でも、家の近くでは買えないからね」という会話を繰り返していた。何組か前の3人組は交代で並びながら鴨川を見てきたりしているようだった。うらやましい。

私は1人なので、ひたすら並ぶしかない。手持ちの文庫本を読んだり、あと数日早く予約をすればサクッと豆餅を受けとり、鴨川でまったりできたのになぁなどと思いながら、並ぶこと約1時間。

いよいよ最前列になり、自分の番が近づいてきた。初めて商品がちゃんと見える位置になり、心躍る時間、気のせいか列の進みが速く感じる。

季節のおこわ、お赤飯もおいしそう、三色団子もかわいい、まだ4月前半なのに、もう柏餅も売っているではないですか。

賞味期限は当日かぎり。お腹とスケジュールと相談した結果、今回は豆餅・福豆大福・桜餅に決めた!次はよもぎ餅であんこを包んだ、田舎大福も食べたい。

バスの時間が気になるけれど
どうしても撮りたかった1枚


鴨川をサラッと見て、早歩きでバス停に向かう。次の予定が今日の本命なのだ。時間の都合により、鴨川で豆餅を食べるのはお預けになったけれど、次のミッションに間に合うバスに無事乗れて、わくわくしながら向かう。

ちなみに、豆餅と福豆大福は2つ目のミッション達成後に公園のベンチで少し遠めのお花見をしながら頂きました。

はじめての豆餅、あっという間にぺろり!おいしかった。

桜餅は旅の締めくくりに、帰りの新幹線で夜のおやつとなりました。

桜の葉の塩気が絶妙だった。また食べたい!


写真展でギャラリートークを聴く

今回、京都に行こうと思ったきっかけは、世界中の自然を撮っている写真家高砂淳二さんの写真展「この惑星の声を聴く」の開催を知ったこと。

入り口で目が合う


数年前に見つけた高砂さんのカレンダーがとても気に入り、SNSをフォローしていたら写真展の情報が流れてきた。カレンダーは今年も購入し、料理をしながら目に入るところに貼っている。

写真展は2024年の4月6日から5月19日まで。そのうち、4月には数回、高砂さんご本人によるギャラリートークが行われる。特にカメラは詳しくないけれど、なんだかおもしろそうなだと思い、旅の日を決めた。


無事、ギャラリートークの開始に間にあってほっとした。

展示の1枚目がバオバブの写真でテンションがあがった


老若男女20人くらいだろうか、大きく印刷された写真を見ながら話を聴くにはちょうどよい混み具合だった。

入り口には大きなバオバブの写真だった。前に買ったカレンダーにもバオバブの写真があり、それもお気に入りの1枚だった。空の色のグラデーションと木のシルエットが美しい。


普段、自分が目にするものとはスケールが違う世界の写真、こんな景色を観てみたいと思う写真が次々に現れる。それだけで、深呼吸がしたい気持ちになる。

加えて、写真を撮ったときの詳しい場面、フレームの外側にある、写っていないものの話、撮ったときの気持ちを聴くことができて、とてもよかった。


これが聴きたくて、この日この場所に足を運んだのだ。と思えた。


この風景がこの世にあって、肉眼で見た人の話が聴ける幸せよ


ウユニ塩湖で2時間かけてフラミンゴに気づかれないよう、気を向けないようにしながら近寄っていったこと、天候や水面の水深がとてもいい条件であったこと。
ペンギンがたくさんいる写真、かわいいなぁと思っていたけれど、実はその場所は昔戦争があり、まだ地雷が残っている。皮肉なことに、ペンギンだけが入れるから数が増えた話など。

話を聴くことで、同じ作品が少し違って見える感覚があった。

写真展の後半、虹の写真について聴いたことばがとても心に残った。

撮った人にしか見えない景色がある

「虹は人が見て、はじめて在ることができる」
「隣の人と自分が見ている虹は、同時に出ているものでも少し角度が違うだけで、違って見える。全部がマイレインボーなんです。」

「全部がマイレインボー」って素敵な響き、そしてなんだか大事なことばのような気がして、すぐにメモをした。

最後に物販コーナーで虹という文字がタイトルにある本と「セイシェルの空が一番青かった」というキャプションが気に入った写真の絵葉書を購入した。めずらしくサイン会にも参加して、握手もしちゃった!


ごほうびのお灸

さて、最後のミッションは今回の旅で唯一、予約をしたところ。お灸を据えに向かいます。新年度がんばっている自分にご褒美を与えるのだ!
京都駅からぶらぶら歩き、桜と鴨川をチラッとみてお灸堂に到着。

鴨川でぼーっとしてみたい
さくらがちょうど満開だった
お灸堂の院長 すきさんは音声配信Voicyのパーソナリティもされていて
普段は放送でゆるませてもらってる

こちらに来るのは約半年ぶり、2回目。
年度末年度はじめ、どうしても緊張したり仕事が次々にやってくるので、身体も気持ちもパツパツであることが予想されたので、予約をとった。3月の自分、えらいぞ。

施術着に着替えたら、「似合いますね」とほめられて一気にゆるみ、ちょっとした体操のような動きを教えてもらってから、お灸でさらにゆるんで、頭も身体もぽわぽわ心地よくなった。


ここまでで、今回のミッションコンプリート!
早めの夕飯を食べて帰ろうと思っていたので、追加ミッションを実行することにした。

追加ミッションに挑戦

追加ミッションは京都ラーメンを食べること。
「パーソナル編集者」をお願いしているみずのさんと月1セッションをしていた時、最近のあれこれを話しているうちに、「どこか旅行の予定とかありますか?」と聞かれた私は、迷っていた京都行きを話した。

すると、みずのさんは「京都駅の近くに第一旭っていうラーメン屋さんがあるんだよね」とラーメンの画像を画面共有するではないですか。青々とした九条ねぎがこんもりのったラーメン、あぁ食べたい~!ということで、できたら行こうとひそかに追加ミッションに加わった。

結果としては、USJ並みの行列といううわさ(USJに行ったことないけれど)にひるんで、並んでいることは少ないかも、味はあっさりめでおすすめと聞いた「ラーメンゆう」さんへ、足を運んだ。京都駅から西側へ歩いて10分ちょい。

上に九条ネギ、中にチャーシューが隠れた醤油ラーメン。
うむ。満足です。

京都ラーメンというジャンルをはじめて知った


旅の前をふりかえる(きっかけ、軽やか、照準をあわせること)

写真展をきっかけに行くと決めた京都、新年度が月曜日から始まるので、本当に行けるのか2日前まで迷っていた。
仕事終わりに新幹線に飛び乗り、崎陽軒のシュウマイ弁当を夕飯に京都へ向かうプランも考えて、宿の予約も考えた。週半ばにはヘロヘロで、現実味がないなぁと思ってきたタイミングで、人に話す機会があった。

こんなことを考えているのだと、夢物語というほど遠くはなく、でもまだ固まりきっていないことを話しているうちに、迷っているけれど、やっぱり行きたい自分がむくむく動きだした。

人に話したら動くきっかけになった。

前日の仕事をなんとか早めに切り上げ、自分との約束を果たすべく日常を進めた。取り置き期限の本を受け取りに図書館へ行き、夜ごはんはお弁当のための作り置きを大集合させて済まし、早く寝た。

正直、疲れがたまっていたこの時期の日帰り京都は、その後なかなかハードな日々を迎えることにもなったけれど、後悔はなく、行ってよかった。


「行ってよかった」と思うのは、ミッションを達成して、帰ってこられたからであり、その後も無事に日常が送れているからである。
忙しく、時間も体力気力も余裕があまりないこの時期に予定をねじ込んだことで、その後の生活が崩れるようなことになっていたら、私はこの旅をよかったと思えない気がする。

行かないことを選んだ場合は「意外と行けたのではないか」「会期はまだあるから行けるかも」「この時期にねじ込めないのはしょうがない」などあらゆる方向にもやもやしていることは想像に難くない。


「行ってみないと分からないけれど、行ってみたら?たぶん体力的にも、そのあとも大丈夫、なんとかなるよ。」

ふり返って言えることではあるけれど、行く前の迷っていた自分に声をかけるとすれば、こうかな。無責任かつ、とても軽いかんじではあるけれど、言われたらすんなり受け入れるかもしれない。


冷静に、客観的に見れば、行きたい写真展の会期は5月半ばまであるのだから、なにも4月はじめ頃に行く理由は特になかった。
新年度の忙しさが少し落ち着いてから、桜が満開の時期をずらして、桜餅こそ季節限定ではあるけれど、豆餅は通年商品だ。

それなのに、私は今年度の仕事が本格的に始動する時期、この旅に行った。仕事の忙しさで生活を振り回されず、私は私の生活をするんだという意地のようなものがあったのだと思う。

このタイミングで行けたという事実は、ぼんやりしている自分の望みに照準を合わせた結果だ。そしてこの結果は、あれもこれもやりながら、やりたいことも全部やりたい、よくばりな自分を肯定する材料になる。

あのミッションは材料を集めるためだったのかと、ふりかえりを書きながら気づいた。

よきタイミングで、やりたいことをやるために動ける軽やかさと、自分の望みに照準を合わせられる人でありたい。

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