サトウキビの花2

トゥジたちの焼酎造り

かつて、家庭の焼酎造りは女性の仕事だった。明治以降の産業化に伴い、九州では黒瀬や阿多の男性杜氏集団が台頭したが、奄美の島々では現代まで多くの女性杜氏が活躍してきた。

奄美の焼酎蔵で最老舗の朝日酒造は、大正5年に喜界島で初代杜氏・喜禎ハツエ氏と夫により創業された。同年喜界島で石川酒造(現・喜界島酒造)を創業した石川すみ子氏は、酒造が免許制となり集落単位で焼酎造りを行う島民たちに、沖縄から移り住み技術を教えたと伝わる。

大正11年弥生の月に大島で弥生焼酎醸造所を創業した川崎タミ氏は、大島紬の織元で財を成し、慈善事業の功績により紺綬褒章を受章、名瀬名誉市民第一号となった。他にも大島の住用にあった石原酒造(現・町田酒造)の石原タカ氏、徳之島で三代にわたり女性が蔵を受け継ぐ松永酒造場の松永タケ子氏、沖永良部島では神崎産業の神崎ハツエ氏、竿田酒造の竿田トヨ氏など、初代には女性杜氏が多い。

酒造の最高責任者「杜氏」の語源は酒造りを含め家事全般を司る女性を指す「刀自」だともいわれ、妻を表す方言「トゥジ」にもその名残が息づいている。沖永良部島では妻であり杜氏でもある石原純子氏(竿田酒造)と沖裕子氏(沖酒造)が共に麹を造り、蒸溜までの作業をそれぞれ夫と協力し、焼酎に仕上げている。

奄美大島開運酒造では、渡悦美氏が音響熟成を取り入れた優しい味わいの焼酎で大都市圏の販路を拡大した。軍政下の島で「トモエビール」を造った曽祖母、西平トミ氏の開拓精神を受け継ぎ、音楽活動と焼酎造りをアーティスティックに展開する西平酒造のせれな氏など、奄美の女性杜氏の精神は脈々と現代に連なる。

自家醸造の時代、トゥジたちの酒造りの原動力は日々汗して働く夫への労いであっただろう。愛を込めて酒を醸したトゥジたちの真心に思いを馳せ、黒糖焼酎の甘い香りをゆったりと味わってみたい。

写真:サトウキビの花(奄美大島)

(2019年3月11日『南海日日新聞』掲載)


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