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「ミニマリスト」に私はなれない。

かつて、私も夫も割と荷物は少ない方だった。
小さいワンルーム暮らしを経て、シェアハウス暮らしをしていた私と、単身の社宅アパートに住んでいた夫の荷物は引越し屋さんの単身パックに収まるぐらいの、スイスイといつでも引越しが叶う可愛らしい量だった。

結婚して、新しい家電や家具を迎え入れ、少しずつ生活感が増す。
60㎡3DKの新居は私たちには贅沢すぎて、広さを持て余していた。せっかくだからと、収納場所に食品や日用品のストックを並べて、主婦っぽさに浸るのもなんだか好きだった。


突然の引越しで、対面する可愛らしくない現実。

「私たちの荷物は、少ない方」だと思い込んでいた。だが、突然の夫の転勤で、東京への引越しが決まり、現実を突きつけられる。
引越し業者さんの見積もりに”荷物多い”とのメモが書かれていた「ニモツ、、オオイ?」なんだなんだそれ。訳が分からなかった。元自称ミニマリストの私のプライドが許さなかった。

時間もない中、荷造りや新居先の調整、私の仮住まいの契約(1ヶ月間は仕事の兼ね合いで単身住まい)等で、慌ただしい日々を過ごした。

10月末、ようやく東京での夫婦生活がスタート。そんなことより、荷物が全く片付かない。同じ3DKの間取りでも、広さが50㎡になり、収まるものも収まらない。一度手にした広さを手放すことはなんと難しいことか、、。


とにかくメルカる。

勿体無くて手放し難いモノも、メルカリさんを介して次のひとの手に渡ってもらえるなら、そんなに有難いことはないし、自身のモノへの罪悪感も半減する。

そんなこんなで、自称専業主婦ニート、1ヶ月の本気のお片付けにより、暮らしていけるお部屋と懐が温まるお小遣いを手にした!


「ミニマリスト」になれないという結論。

独身時代、モノを買うことが怖かった。食料品や消耗品は生きていくための必要経費だと認識はしていたが、それ以外の家具や服、本までも所有する恐怖が少なからずあった。
今振り返れば、それは”我慢”だったのかもしれない。マキシマリストであったかつての自分に戻ることも当然怖いし、お金を使う自分への罪悪感や今後モノと共に生きていく覚悟みたいなことを本気で考えていた。

そもそも、「ミニマリスト」とは何か明確な定義があるわけではなく、完全な自己満足の領域によるものだと私は考えている。私たちがある人から見ればミニマリストだし、また別の人から見れば全然ミニマリストではないかもしれない。

では”自称”はどうなのかというと、「ミニマリスト」ではないという結論になる。引越しにより、減ったモノもたくさんあるが、新しく迎え入れたモノもある。よく言えば、モノの交換を行ったので、物理的には減ったのだが、モノがあることでの豊かさも知ってしまったから。また別のモノを迎え入れることになるかもしれないから。


(まとめ)
所有したいものを吟味して、生活を共にしていく仲間になる。時には、「必要でなかったかも」と思うかもしれないが、その時は心強い味方メルカリさんに頼らさせてもらう。
大事なことは、「ミニマリスト」という生き方に縛られないことじゃないかな。

モノに追われる生活も決して望ましくないので、
夫と相談して、二人の”ちょうど良い”を探りながら、少しずつ生活を創っていきたい。

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