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顔。そしてアメリカ

人間として生きていくときに、顔はどれほど重要か?
ということを、今までの長い人生の途上で、時たま考えることはあった。

美人はいいよな、とか、バカでもかわいきゃいいのかよ、とか、同じ能力ならやっぱ顔がいい方を採るのかな、とか、そんな次元の、顔についての考察。

『ワンダー』(R.J.パラシオ著)を読んで、まずは「イケメンとかブサイクとか言えることの、なんとお気楽なことよ」という幼稚な感慨を覚えた。

主人公オーガストは、日本の小学校5年生にあたる年齢だが、その、見る人に強烈な衝撃を与える顔ゆえに、それまで学校に通ったことがなかった。 
しかし、家族と本人は、精査、検討、逡巡、熟考の末、学校に入学する決意を固める。オーガストは、この美しくも恐ろしい世の中へ、ほんのちょっとの期待と、無限大の不安を抱えて一歩を踏み出す。。。

まあ当然、学校において、反応がいろいろ起こるわけです。
べらぼうなものを見たときに、その人の本性が出るというのか、まあまだみんな子どもだしね、容赦ない「チーズエンガチョ」(『グレッグのダメ日記』参照)とか、良家のご子女が通う名門私立学校においても、いじめは勃発し、本人や仲良くしてる子は当然傷つくよね。もう学校に行きたくなくなくなるよね。

でも、安心して下さい。
このオーガストの家族と友人たちは、愛の塊であり、本当に強く正しく美しい人たちなので、大丈夫なの。
この「大丈夫」を揺るぎないものにして行くプロセスには、当然、それはそれはたくさんの涙も流されるのだけど。
自分は母親なので、どうしてもこの子のお母さんに気持ちを重ねて読んでしまった。
この家族の底なしの迷いのない愛に、救われる。

この物語で関心したもう一つのことは、アメリカの学校のカリキュラムや授業の内容、先生の優秀さや器のデカさ。まあ私立だからかもしれないけど。
こういう教育を受けて育つ子たちとは、到底同じ土俵で勝負できなかろうと思わされる。

主人公オーガストくん、10年後くらいに「TED」で演説してそう…と思ってしまった。

#読書 #顔 #YA文学 #児童書