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母からの手紙

私が今、聞法(もんぽう)させていただけるようになったきっかけをお話いたします。

若い頃はお内仏に手を合わせる、ましてや聞法をすることなど全くありませんでした。仕事に頑張っていれば、安定した家庭を築けば、との思いでした。私が30代の頃、母親にお内仏に手を合わせるように、お内仏にお参りしてから出勤するようにと時々言われましたが「フン」と聞き流していました。そこで母親は私に手紙でお内仏にお参りするようにと、改めて言ってくれたのです。それでもまたしても気に止めなかったのです。手紙をもらったことすら忘れていました。そんな母を40代前半で送り平凡な毎日でした。50代後半に自坊の住職から特伝の話を伺い、内容が良く分からないままお世話になり、2006年に推進員にさせていただきました。本山での三日間(※1)はたいへん充実したもので、大きな感動だったのです。
 家に帰り「宣誓文」の通りに自分としては頑張っていたつもりでした。そんな折、女房から「お婆さんの手紙を覚えているか」と渡されました。その手紙を紹介させてもらいます。

如来様はつきづめ。となえる人も、となえない人も如来様はつきづめ。
信の人も、不信の人も如来様はつきづめ。南無阿弥陀仏。
母の願いを聞いて下さい。心静かにこの度試験大変ですね。このことを機会に(善知識にあうといいます)あなたの父が最後の別れの時に、一歳半のあなたと四人の子どもを残して、死を覚悟で別れた時は胸一杯で言葉もなく断腸の思いだったと思います。
死んでからでも只一筋にあなた方につきづめで守り通していてくれると、私は信じています。朝、お参りをして出掛ける様につとめて下さい。
何となく最初はてれくさいかも知れませんけれど、この母はそんな目ではみません。
ああ良く拝む心になってくれた。仏さまのおかげ、父のおかげと喜ばせてもらいつつ見守ります。
子どもたちもあなたを見習ってきっとお参りするようになるでしょう。
信心は強制するものではありません。拝まねば済まない心が自然に湧いてくるものです。拝む心が湧いてくれば、大難を小難で過ごさせて頂けることを確信しております。
折角親様(仏さま)から与えられた身体、大切に頑張って下さい。
母より  昌夫様

 改めて母の願いを無視してきたことに反省。現在78歳。聞法に心がけていますが、その聞き方が問題。自分に都合の良い聞き方、反省してもその繰り返し。自分中心は続きますが、これからも聞法を大切にしていきます。

※1本山=京都・東本願寺 https://www.higashihonganji.or.jp/
※2本内容は2022年1月テレフォン法話で配信された内容です。
丹羽昌夫(にわ・まさお)/桑名市・慈航寺門徒 


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