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vol.7 豊かさとは

義母の介護の話しを聴かせてもらえた後、お客様は私達が出店する全てのイベントへ足を運んでくれるようになった。
出会った時と同じく、自分からは全くお話をされないお客様。
毎回、私が一人で喋り続けるのだが、あの日の出来事からお客様に一つだけ変化があった。
私の話しに対し、笑ったり相槌を打ったりと表情で応えてくれるようになったのだ。
しかも、来店される度にお買い物をしてくださり、こちらが薦めるままにお買い上げくださるのだ。私は想定外な出来事に戸惑いながら、お客様との時を重ねていた。

夏に入りお中元商戦が始まった百貨店は、多くの来店客で賑わうようになって来た。
そんな季節の一階でのイベント時。
いつものように早々に来店されたお客様の手には、某有名百貨店の紙袋が握られていた。
通常、百貨店利用顧客は他の百貨店のショッパーを館内で持ち歩くことをしない為、その紙袋は圧倒的存在感を放っていた。
地方百貨店のヘビーユーザーはとくに徹底しているのか、たまに駅向かいの百貨店で買い物をした後にこちらの百貨店に来た時には、他店の紙袋をエコバッグの中に押し込めて見えないように配慮する方も多く見受けられた。
偶然その紙袋が見えてしまった時なんかは、

「これ⁉︎違うの、違うの。催しがあってお宅にはない物だったから仕方なく買って来たのよ」

などと、百貨店の社員でもない私に向かって、言い訳がましい説明まで付いてくるのだ。
私は百貨店内で勤めるようになって、百貨店には、利用顧客が作り上げた暗黙のルールみたいなものがある事を知った。
同時に、顧客のステータスがその百貨店を常に利用すること自体なのだと言うことを教わった。


そんな経験をして来たことから、他の百貨店、しかも都心に行かないと手に入らない有名百貨店のショッパーを堂々と握りしめているお客様の姿に、違和感を感じてしまったのだ。
しかしながら、お客様はそんなことを気に留める素振りも見せず、こちらが話し出すのを待つようにして佇んている。
お客様のその飄々とした態度が妙に可愛らしく見えてしまった私は、込み上げて来たものを堪えきれず、思わず吹き出してしまった。
静まらない笑いと共に、

「○○様、いらっしゃいませ。今日は東京までお出掛けだったんですか?○○百貨店の紙袋が神々しいですね」

と、冗談めかした言葉を放った。
するとお客様は、

「今日はお中元を頼みに行って来たんです。うちはお中元とお歳暮は、全て○○さん(百貨店のこと)にお願いするようにしているんです」

と、いつもと違い、誇らし気にそう答えた。

そう言うことか…

この表情を見る限り、お客様がステータスを感じるのは有名百貨店の方なのだろう…
お客様にとってはこの場所で、その紙袋を手にしている事の方が有意義なのだ。
そう思った私は、以前から気になっていたことを無性に聞いてみたくなった。



お客様は以前、都内にも家があり、ご主人が会社の役員をされていると会話の中で言っていた。
会話と言っても、私が質問した時にお客様が答えてくれた内容だ。
元々、顧客様のプライベートについては尋ねない主義の私だったが、お客様の場合、物静かな立ち振る舞いと厳かな雰囲気から、どのような家庭で育ち、どんな風に時を重ねるとこのようになるのか興味を唆られたのだ。
年齢で言うと70歳を超えられている方にこの表現は相応しくないようでもあるが、少しも姿勢が緩むことのない立ち姿と礼儀正しい言葉遣いは、そうそう簡単に身につくものではない。
何れにせよ、名家のお嬢様には違いないと踏んでいた。


そんな中での出来事…
私は絶好のチャンスがやって来たと、若干浮き足だった。



お客様が自慢気に振る舞った様子を見せたその百貨店は、著名な方々が頻繁に利用する由緒ある店で、業界で言うところの本丸に位置する。
それ故に出店メーカーも厳密に選定され、入店出来る会社は限られていた。
小売業に携わる零細企業にとってこの百貨店に出店することは、会社のブランディングに大きく影響する為、どの会社もこの店への営業にはかなり力が入っていた。
実際のところ、私達の会社が出店するまでに一番労力が掛かった店舗だったが、この百貨店との取引が確立した後、会社は急激に成長を遂げることとなった。
とは言え、出店出来たからと言って継続が決定された訳でもない。
取引が親密になるまで、この店を担当していた私も相当な努力を強いられた。
そのうち入店を重ねる毎に取引が親密になり、外商サロンや催し会場などで一社だけで宝石の展示会を出来るまでに至った。
私はこのことを自分の仕事の成果として誇りに思っていた。
そんなことから、お客様がこの百貨店を利用している事にステータスを感じていることを知り、寧ろ嬉しかった。
込み上げて来た笑いは、その気持ちが相まってからのことだったのだ。
一瞬、担当をしていることを知らせようかと頭を過ぎったが、今現在出店している百貨店に失礼に当たると思い直し、黙ったままでいた。



綻ぶ顔を元に戻した私は、

「○○様は○○百貨店の上お得意様でいらっしゃっいましたか…以前、東京にお住まいだったと仰られていらっしゃっいましたもんね。○○様でしたらやはりご利用されますよねー」

と、はやる気持ちを抑えながら話しを進めた。
すると、お客様。

「○○さん(百貨店のこと)は、祖父の代から利用させていただいておりますので、主人の会社関係の贈りものなどはやはりあちらにお願いするんです。こちらから一時間程度の移動で済みますでしょう?大した時間も掛かりませんから…」

と、私の興味の元へとお客様の方から足を踏み入れてくれた。
そのことに調子付いた私は、

「もしかして、○○様はお帳場会員だったりされますか?」

と、今度はあからさまに尋ねてみた。
するとお客様は首を傾げ、

「お帳場会員とは何ですか?」

と、不思議そうな顔を見せた。

「あちらの百貨店の外商会員のことです。○○様でしたら外商様がついていない訳はないと思うんですけど…」

私が言うと、

「母は外商を自宅に呼んでおりましたけれども、私はそう言うのが苦手で…」

そう言いながら、突然バックの中から財布を取り出したお客様は、私の目の前に一枚のカードを差し出した。

「○○さん(百貨店のこと)のところはこのカードを戴いているんですけど、お帳場会員と言うのはどこかに書いてあるんですか?」

そう言うお客様の手元には、お帳場カードが握られていた。

「これです!このカードがお帳場カードなんです。百貨店のカードはお客様によってお色が違うんですよ。この色がお帳場のお客様って言う印なんです。○○様はこちらの百貨店でも外商のVIPカードを所持していらっしゃるので恐らくそうかなぁ?と思っていたんですけど、やはりそうでしたね‼︎」

私は、想像が確信に近づく気配を感じ、だんだんと愉快になってきた。
お客様からすると〝何をそんなに喜んでいるのだろう?〟と、不可解に思われても致し方ない状態だ。
お客様は私の上昇する温度に気付いているのか否か、いつもと同じ表情で、

「そうなんですか?」

と一言、大したことでもないような様子を見せた。

どうやらお帳場カードの意味合いを理解していないようだな。いや…手にした時からVIPカードを当たり前のように所持している人は、持っている意味合いなど考えたことなどないのかもしれない…

そんなお客様の態度にまで空想が及ぶ。
最早、探偵気取りだ。
私は目の前のお客様を置き去りに、心の中で勝手気ままに妄想を膨らませた。


動じないお客様にちょっとした悪戯心が芽生えた私は、

「因みにお隣の○○百貨店さんのカードもお持ちだったりされます?」

と、更に聞いてみた。
お客様は再び財布をゴソゴソと触り始めた。
そして中からピカピカと光るゴールド色のカードを差し出した。
隣りの百貨店のロイヤルカードだ。

やっぱりね…

自分の瞳が輝いたのが鏡を見なくても分かった。私は、お客様が様々な百貨店から引っ張り凧のようにアプローチされている様子を思い浮かべ、にやつく顔で不自然な笑みを浮かべた。
そしていよいよクライマックスとばかりに、お客様に聞いて見たかったことを口にした。

「○○様のご主人様の会社は、○○なんですか⁉︎」

勢い余って鼻の穴まで開いたようだ。
突然ご主人のことを聞かれたせいか、お客様は目をキョトンとさせ、

「そうです。よくお分かりになりましたね?」

と、ここでもどうと言うこともないような顔つきでそう答えた。
普段と変わらない様子のお客様とは打って変わり、確信を得た私は有頂天になって舞い上がった。

「やっぱりそうでしたか~‼︎○○様のお話をお伺いしていて恐らくそうかなぁ〜と思っていたんです‼︎すみません。プライベートなことを聞いてしまいまして…にしてもご主人様、○○会社のご一族とは…凄いですねー‼︎‼︎その奥様とお話させて頂いていると思うと、恐れ多くてなんだかドキドキして来ちゃいました~」

と、右の手の指先で唇を塞ぎながら一人ではしゃいだ。
著名な人を目の前にすると、なんだか興奮状態に陥るような、そんな変な感情が生まれてくるのは私だけではないはずだ。
お客様の旦那様の会社は恐らく誰でも名前を聞いたことのある歴史深い会社で、その一族の中には名言集に残るほどの偉人もいる有名な大企業だった。しかもその方は、自分が感銘を受けた台詞を残した方だったのだ…

言い訳でしかないが、私が好奇心から顧客様のプライベートを詮索したのは、後にも先にもこの時だけだった。


そんな様子を見せる私を横目に、少し表情を緩めたお客様は、

「何を仰っているんですか…主人のお爺様は凄いお方ですけど、主人は会社を受け継いでいるだけですから…それに主人は主人。私は関係ありませんのよ。ただ、私は主婦をしておりますので時間調整が出来ますでしょう?だからこう言うお中元やお勤めいただいている方々のお世話などには私も関わることもあるんです」

と、またしても淡々と何事でもないようにこう言った。
これだけ有名な会社を作った一族の旦那さんをパートナーにしていれば、得意気になっても良さそうなものだ。それなのにお客様ときたら一向にその様子を見せようとしない。
知りたかったことが明確になり満足した私はやや冷静さを取り戻し、今度はそれを他人に知られても全く態度を変えないお客様に感心を示していた。

ふと、お客様の腕の部分が目に入った。

大事そうに握られた紙袋が、いつの間にかスライドして腕に引っ掛けられている。
その中身の重さからか皮膚が圧迫され赤くなっていた。

あっ…

慌てた私は、目覚めたように飛び上がった。

「○○様、申し訳ありません!私、お荷物をお預かりするのを忘れておりました‼︎」

大急ぎで宝飾ケースの表に出て紙袋を紙底から持ち上げ受け取ると、ケースの上に移動した。
お客様の皮膚には、紙袋の紐の形そっくりの綱のような赤い線が綺麗に転写されている。

やってしまった…

私は顔を顰め、

「本当に申し訳ありません。こんなになってしまって…お越しになられた時に気づくべきでした。痛くないですか?」

と、お客様の腕を摩りながらそう言った。
普段ならばお客様への配慮は一番初めに行うことだ。紙袋を引き金に、興味本位でお客様に接していた先程までの自分を思い出し、恥ずかしさで顔を覆いたくなった。

この馬鹿チンが‼︎
仕事も忘れて何はしゃいでんだろ⁉︎

恥ずかしさが憤りに変わり、心の中で自分に罵声を浴びせた。
するとお客様が、

「大丈夫です。こんなのは日常茶飯事ですから…
歳を取ると直ぐに痕が残るから大袈裟に見えますよね(笑)あ、それでこれは○○さんに渡そうと思って持って来たんです。直ぐにお渡しすれば良かったですね。私はお菓子を食べないので美味しいかどうかが分からないのが申し訳ないのですが、評判が良いと言うお店の物を選びましたので、どうぞ皆様で召し上がってください」

と、少し照れ臭そうに微笑んだ。
それを聞いた私はギョッとしてケースの上に置いた紙袋を振り返り、もう一度お客様へと顔を向けた。
お客様に目を向けていなかったその日の自分の浅はかな考え方が余計に浮き彫りになった…
羞恥心が増し、顔が火照る。
私は熱くなった頬を触りながら、

「私達へのお土産を東京からわざわざお持ちくださったんですか⁉︎あんなに重たい物を⁉︎大変有難いんですけど、重たかったでしょう?それなのに私、ベラベラ喋ってお気遣いも出来ず恥ずかしくて穴があったら入りたいです。こんなに立派なものを私共が戴いてもよろしいんですか?しかも、お世話になっているのは私共の方なんですけど…」

と、込み上げてくる様々な感情を押さえ込み、今更ながらお客様との会話を成立させようと必死になった。
その様子を優しい表情で見ていたお客様は、

「まぁ⁉︎大した重さじゃありませんよ(笑)
そちらのメーカーさんはこの辺じゃ買えませんから…お若い方にどうかとも思ったのですが、甘いものは仕事でお疲れの時に少し口にするのも良いのではないかと思いまして。甘いもの大丈夫でしたか?主人の会社のお中元を頼むついでと言ってはなんですけど、そのようなことですからお気になさらずに受け取ってください」

そう言って、にっこりと微笑んだ。

こんなに私達のことを思ってくれてる人を色眼鏡で見るなんて…
私は何がしたかったんだろう…
ほんと馬鹿じゃないの?

自己嫌悪がピークを達した。
本来ならばお客様の瞳を捉え、目を合わせた上でお礼を言うべき瞬間だ。
しかしながらその時の私は、お客様の澄んだ瞳を真正面から見ることが出来なかった。
私は咄嗟に頬を触っていた手の平で口元を覆い、自分の心を隠すようにその場を誤魔化したのだった。


お客様から戴いたお菓子類はいつもなら売り場のメンバーで分けて有難く戴くのだが、その日、私は紙袋の中身を開けようとして手が止まった。
それにはお中元の熨斗がかけられており、その重量から大人数を想定した贈り物であることが想像出来たからだ。
包装紙は虎屋のものだった。
私は開けるのをやめ、会社に持ち帰り社長に手渡すことにした。
中身は水羊羹だったようだ。
ようだと言うのは、常に会社にいない私の手元には、残念ながら水羊羹は回って来なかったからだ。

その次の開催時

来店されたお客様に直ぐ様お菓子のお礼を伝え、
会社に持ち帰り社長に手渡したこと、社長をはじめ会社のみんなが喜び、美味しくいただいたことを話した。
後悔を引きづらないのも私の性分。
失敗は繰り返さなければ良いのだ。


すると、お客様は珍しく少し残念そうな顔をした。

ん⁉︎

その表情を気にした私が口を開こうとした時、

「あら…私は○○さんにお渡ししたんですよ。お世話になっているから…社長さんに渡したのなら、あまり召し上がられなかったんじゃないですか?
こちらで開けて○○さんが持って帰ってくださったら良かったのに…」

と、お客様の方から話し出した。
お客様が自ら話しを運ばれたのは、この時が初めてだったような気がする。
的を射たその言葉は、私の心臓をドキッとさせた。私は、お客様の想像を掻き消そうと、

「そんなことございません。私もしっかり戴いて水羊羹を冷蔵庫で冷やして美味しく頂戴いたしました。この季節、冷たい餡子は最高ですよね!
あんな高級なお菓子、そうそう口に出来ませんので嬉しかったです‼︎それに○○様の愛情がなりより有難くてより美味しく感じました‼︎本当にありがとうございました」

と、自分の言葉に変えてもう一度お礼を言った。お客様はいつもの表情に戻り、それ以上は何も言わなかった。
それにしても、まるで見ていたかのようなお客様の洞察力にはしばしば度肝を抜かれる。


それから三日後の出来事だった。
普段は一開催で一回しか来店されないお客様が再び来店された。
手には紙袋を握り締めている。
お客様は私の目の前に勢いよく立つと紙袋を差し出し、

「このお菓子は地元で有名な洋菓子屋さんのものなんです。東京や地方に住んでいる方にこれを差し上げるととても喜ばれるので召し上がってみてください。お口に合うと良いんですが…」

と、こちらが挨拶をする隙も与えず、一気にそう言った。
お客様の額には薄らと汗が滲んでいる。

「先日戴いたばかりなのに、こんなにして頂いたらお口が腫れちゃいます」

と、驚いた私が慌てて言うと、

「今度は会社に持って帰らないで、ご自身で開けて食べてくださいね」

と、お客様は満面の笑みを浮かべた。
私は開いた口をそのままに、

「私があまり食せなかったと思ってわざわざもう一度お持ちくださったんですか⁉︎私、水羊羹も美味しく戴いたんですよ⁉︎」

しどろもどろにそう言った。
そんな私を他所に、お客様はいつもの表情に戻り、何事もなかったかのように目の前に収まった。
あたふた騒いでいるのは私一人だ。
そんなお客様を見ていると、これ以上どう取り繕っても無意味だと悟った。
私は、

「そんなにお気遣い戴いたら私のお口が肥えてしまって燕の子のように口を開けて待つようになりますよ。後からこの人に美味しいものを食べさせるんじゃなかったって後悔されるかもしれませんよ?」

そう言い、茶目っ気に笑った。
そして、

「○○様…このお暑い中、私なんかの為にお足を運んでいただき本当にありがとうございます。○○様のお気持ちが詰まったものを口にするのは惜まれますが、噛みしめながら食させていただきますね。有難過ぎて大事に取っておきたいくらいなんですけど…」

と、続けて真顔に戻り、精一杯の感謝の気持ちを伝えた。
お客様はたまに私の悪ふざけのような言葉がツボにはまるのか〝ククッ〟と可愛く吹き出すことがあった。
この時もそのような笑いを吹き出した後で、

「そんなことしたら腐っちゃいますよ(笑)
では、私はこの辺で…」

お客様はそう言うと、ウィンクでもするように清々しい表情を見せ、颯爽と帰って行った。

お客様が帰った後、私は残された紙袋を見つめながら、一人考えを巡らせていた。
私が水羊羹を食せなかったことは誰にも話していないはずだ。
なのに何故、お客様はまたお土産を持って来てくれたのだろう…

誰かから聞いた?私が話した?
卑しい気持ちが私の中に生まれていて、無意識に話したってこと?
いや…いくら私でも水羊羹を食べられなかったと言って、そこまで卑屈な感情は持ち合わせていないでしょう?

自分自身を疑ってみたが全く身に覚えがなく、お客様のこの行動の理由が掴めず困惑するばかり…
当時の私では考えるレベルが所詮その程度で、目の前で起きた出来事について考えていたのでは、お客様の行動を理解など出来る訳もなかったのだ。

私は宙に浮いた状態のまま、お客様から言われた通り今度はお店でその箱を開け、売り場のメンバーと分けて食させてもらった。
正直、こんなお菓子食べたことがないと言うくらい美味だった。
次にお会いした時、私はお菓子のお礼と共に〝あんなに美味しいお菓子食べたの初めてです〜〟と身振り手振りで喜びを表現した。
わざわざ二度も紙袋を抱えて来店してくれたお客様へ感謝の気持ちを伝える手段として、それが私に出来る唯一の方法だったからだ。
その姿を、お客様は目を細めながら見つめていた。
それからと言うもの、お客様は毎年お中元とお歳暮の季節になると必ずそのお菓子を持参してくれた。何年もの間、ずっとだ。
付け加えると、その後、箱に熨斗がかけられたことは一度もなかった…



実を言うと、お客様に限らず顧客様からの贈り物は毎日のように発生していた。
毎度、お断りしていては話の腰を折ってしまうと思い有り難く頂戴していると、1週間のイベントでお菓子が大きな段ボール一箱分にも及ぶ事も度々だった。
自分が美味しいと思ったお菓子や節句に合わせた食べ物、時にはお弁当や手作りの巻き寿司、おはぎなども持って来てくださった。
百貨店の北海道物産展が大ブームになり、花畑牧場の生クリームキャラメルに大行列が出来た時、お昼過ぎから顧客様方が続々と生クリームキャラメルを持って来てくださった時には、正直本気で驚いた。
どう考えても2時間以上は並んだはずだ。
顧客様方はお土産を手渡した後、皆が口を揃えてこう言った。
「いつもお世話になってるから!」
と…私はその度に、
「お世話になっているのはこちらの方なんですけど⁉︎」
と、慌てふためきながらも、喜びと感謝の気持ちで満たされていたのだった。
思い起こせば、そこで出会った数々のお客様方は、自分の生い立ちや自身の行動を自慢するような態度を一度も取られたことがなかった。
間違いなく自慢出来るような社会的地位にいる方ばかりなのに…
それどころか、宝石を購入してくださっているにも関わらず、逆に感謝しているかのような態度で接してくださる。
何故にそれほどに愛情を注いでくださるのか…

お金持ちは皆そうなのか?
宝石を販売しているとそうなるのか⁉︎

私はいつからともなく、その理由を暫し考えるようになっていた。
一過性のものであればそれも納得出来る。
しかし、顧客様方は違った。
何年も何十年も変わらずそうしてくださったのだ。
〝理由〟を考え頭を悩ませたていた私だったが、結局思い付くことは出来なかった。


そんなある日、常日頃からその様子を見ていた販売スタッフが私に向かってこう言った。
〝顧客様が私を慕うのは、私が管理職をしているからで、特に上お得意様は偉い人が好きなんですよ〟と…
それを聞いた私は衝撃を覚えた。
あんなにも温かい眼差しを向けてくれる方々の背後に、損得感情が含まれていたと言うのだろうか?いや、お客様方が利害関係で何十年もお付き合い頂けるとは到底考え難い。
そもそも、私如きに秋波を送る必要性が見当たらない。

あり得ないでしょう?

私は、販売スタッフの考えを心の中で疑った。
販売スタッフは私の職位を重んじ、私が考えていることの答えを一緒に探すつもりでそう言ってくれたのだろう…
それが分かっていた私は、スタッフの言葉をその場で否定するようなことを言わなかった。
否定を裏付けるものも持ち合わせていなかったのも事実だ。
結局その時の私は、持て囃すスタッフに格好付け自分の心に蓋をしたのだった。
管理職として、接客業について語り合うべき題材だったと今更ながら思ってももう遅いか…

それから数年後、私はある顧客様によって〝理由〟に値する真実を聞かされることとなった。
少し話しが前後するが、ある顧客様が私が担当していた店舗を引退する日に聞かせてくれた話しを紹介したい。
その日、顧客様は突然こう切り出された。

「私が初めてお宅を利用した時のこと覚えてる?」

聞かれた私は、その言葉を不思議に思いながら、

「勿論、覚えてますよ。グレーのスタンドカラーのジャケットにロングのタイトスカートのツーピースをお召しでパリッとしてあって、お声掛けするのにドキドキしましたもん」

と、はっきりと記憶に残る顧客様との出会いの場面をこのように表現した。
すると顧客様が苦笑いを浮かべ、

「あの日ね、会社の部下に物凄く腹立つことがあってムシャクシャしてたのよ。で、仕事帰りに宝石見ながら販売員にあたってやろうくらいに思って展示会に立ち寄ったの。で、○○さんが私に話し掛けてくれたじゃない?私、あの時本当に横柄な態度だったでしょう⁇ごめんなさいね」

と、私が想像もしていなかったようなことを口にした。
顧客様は続けて、

「でもね、○○さん嫌な顔一つせずに私を褒めてくれたの。最初は口から出任せ言ってるんだろうと思って余計に苛立ったんだけど、私が何言っても笑顔を崩さないのよ。そして、最後は私にピアスを買わせたのよ。私が何故あの時にそう言う気持ちになったか分かる?」

そう問い掛けた顧客様だったが、私が答える前に先を進めた。

「○○さんがね、〝お客様のような上司がいらっしゃる職場は楽しそうですね〟って、言ったの。何おべんちゃら言ってるんだろ?そんなんじゃ買わないわよ!って思いながら、私が〝会社の子を怒り散らしてるのよ〟って言ったのよ。そしたら○○さん、〝怒るのも勇気が要りますよね。私にはお客様が自分の感情だけで人にものを言われるような方に見えません。余程のことがあってからのことでしょう?〟って言ったの。私、それ聞いた時、なんだか救われた気持ちになったのよね。
私、宝石好きじゃない?どうせどっかで買うのよ。だけどその時、どうせ買うんならこの人から買いたいって思ったの。それで結局、かれこれ何十年とお宅に通い続け、退職金を散財する羽目になってるんだけどね…」

と、涙ぐみながら昔を懐かしむように話してくれたのだった。
そこで私の涙腺が崩壊したのは言うまでもない…


お客様方が愛情を注いでくださる〝理由〟を長い間考えて来たが、結局のところ答えは見つからなかった。
人が人を好きになる理由など、考えても分かる訳がなかったのだ。
一つだけ初めから分かっていたことは、私がお客様方一人一人を理解しようと接客に臨んでいたと言うこと。
今思えば、自身の仕事のスタンスとして一番誇れる部分だったのかもしれない。

お客様方と接する態度は、仕事の一貫でしかなかった。それなのにその姿勢を、
受け取った側の温かい心が何年も何十年も大切に育ててくれ、形を愛情と言うものに変えて私に戻してくれていた。
仕事をしている上で、こんなにドラマティックな話しがあるだろうか。
私はこの事実に心底感動し、人間の豊かさをそこに感じたのだった。

これこそ接客業の醍醐味であり、逆に恐ろしい部分でもあると思ったが…


こうして愛情を注いでもらった私は、今でもお客様方を大切に想い、自身の指標とさせてもらっているのだ。
私は仕事を通して、一生出会うことがなかったであろう貴重な方々と接する機会を与えてもらった。
宝石を販売して来て、本当に良かったと思えることだ。


〜続く〜





百貨店を舞台に、出逢えたお客様に販売を通して教えてもらった数々の〝気づき〟による自身の成長記録と、歳を重ねた方々の生き方を綴っています。出会った順で更新していますので、私自身が少しずつ成長していく変化を楽しみながら百貨店の魅力も感じて頂けたら幸いです。 日曜日に更新します!