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vol.7 きっかけ

百貨店の1階中央にあるイベントスペースでの開催は、初めは困難に思えた。
しかし、回を追うごとに右肩上がりに売上を作ることができ、そのうちに安定してきた。
レジ担当スタッフは、私達が精算に訪れると怯えたような表情を見せた。
理由は、1階での取り扱い商品が小物やバック、コスメ商品が主で、単価が一桁違ったからだ。
金額を伝え、レジを打ち込む姿を後ろから眺めていると、毎度桁を間違えて確定ボタンを押そうとする。
私はその都度、慌てて止めるのだった。


利用客が最も多い低フロアは、そこに常在するスタッフも増える。
これまで宝飾に関係する百貨店スタッフしか私達の会社を知らなかったはずが、いつの間にかそこに勤める多くの方々に認知されて行った。
同時に私は行く先々で〝宝石のお姉さん〟と声を掛けられるようになっていた。
お昼の食事をデパ地下に買いに行った時、

「あらーー。なんだか1階が売上がかなり上がってるって聞いたけど、お姉さん来てたんだー」

と、惣菜売り場で言われた時には目を丸くした。
ある時、社員通用口で入店申請を行なっていると警備員から、

「上?1階⁇」

と、確認するように尋ねられた。
私は何かあったのかと不安に駆られ、

「1階です」

と、怖々と答えた。
すると、

「またいっぱい売れるねーー」

と、強面の警備員はニヤリと笑い、急に顔を綻ばせてそう言った。それからは、通用口を通る度に警備員達にも歓待された。
どこに行っても誰かしらに話し掛けられ、とても親切にしてもらい有り難い限りだった。
元々、百貨店と言う場所がそう言う居心地の良い場所であるからかとも思ったが、百貨店スタッフも人間だ。お客様の前以外で、何時でも親切な態度で居れる訳でもあるまい。
恐らく、桁違いの数字がもたらしたマジックのようなものなんだと感じていた。


1階での展示会は数ヶ月に一回、定期的に行うようになった。
私達は、客数は多いが通りすがる方が殆どだった当初の経験を生かし、元々は買い上げ顧客にしか出していなかったダイレクトメールを、百貨店利用顧客にも送ることにした。
上階には来られないお客様が、1階だったら立ち寄る可能性があるのではないかと考えたのだ。

予想は的中した…
開店早々、ダイレクトメールを持った方々が次々と来店した。けれども、予想以上に来店客が押し寄せ、接客する暇がない。
お昼を過ぎてもその状態は続き、途中、〝早くしてよ!〟と言わんばかりの顔付きで仁王立ちしている方まで見受けられる始末。
疲弊してきた私は、その様子に若干苛立ちを覚えた。

呼んでおいてそんな感情を持つとは、なんたる不届き者だろうか…

午後になるとそんな状態からやっと抜け出した。そんな中、何とか売上を作ることが出来たのは幸いだった。
動員し過ぎて、粗品配りだけで終わってしまったら大変な事だ。


その方は、1階のイベントスペースでの展示会が定着して半年くらい経った頃、百貨店利用顧客へと出したダイレクトメールを持って来店された。

「あのー、このハガキはこちらでよろしいでしょうか?」

偶々、作業台の方に目を向けていた私の背中越しに小さな声が聞こえた。
後ろを振り返ると、そこには白髪の上品なご婦人が立っていた。手にはダイレクトメールを持っている。

「申し訳ございません。気付きませんで…こちらでお間違いございません」

私は慌てて粗品を準備し、渡しながらそう言った。そして、こちらから声を掛けられなかったのを取り繕うようにその方へと話し掛けた。

「……………」

が、その方は無言で佇んだまま動かない。

あれ?

2メートルほど先にあるケーキ屋さんにまで届くような声だ。
聞こえていない訳はない。
けれど、その方は優しい表情をして物珍しそうに私を見ながら、一向に話す素振りを見せなかった。しかも、そっぽを向く訳でもなく、ただひたすらにこちらを見つめていた。
どうして良いか分からなくなった私は、勝手に会話を運び、似合いそうなおすすめ商品を持ち出した。
それでも全く反応を示さない。
私は次の手段とばかりに、トレーに載せていたペンダントを首に着けさせてもらった。
その方は嫌な素振りも見せず、ただじっと為されるままに立っている。
鏡を見せながら商品説明をしている間、話しは聞いてくださっているようだが表情も変わらない。等々、困り果てた私は、

「とても良くお似合いです。お客様でしたらお普段から素敵にこちらのペンダントをお着けこなしいただけると思います。この機会に如何ですか?」

一か八か、話しを締結へと持ち込んだ。
そうした所、漸く声を聞くことが出来た。
その方は、

「今日はいいでしょう…」

と、見た目同様、気品のある最小限の言葉でお断りをされた。

ですよね…

その方の答えはごもっともだった。
何故なら、気に入ってくれているかどうかの自信がこちらに持てていないのだから…
私は、

「こちらのペンダント、お好みではございませんでしたか?因みに、お客様はどのようなジュエリーをお普段お着けになられますか?」

と、振り出しに戻ったような問い掛けを行なった。これで応えて頂ければ会話が成り立つ。
そう思い、次の言葉を待ちわびながらその方の顔を覗き込んだ。
すると、

「普段は宝石は着けないんです」

と、今度は即座に応答しポツリと呟いた。

えーー⁉︎

せっかくボールを投げ返してくれたのにも関わらず、この答えに私は更に頭を抱えることとなった。


その方を見た時、シンプルな装いではあるが仕立ての良い高級な洋服を纏っているのは直ぐに分かった。
姿勢の良さと言葉遣いから育ちの良さを感じさせる。〝宝石を持っていない方じゃない〟と、私は直感でそう感じていたのだった。

この時点で既に一時間近くが経過していた。

その方の好みを知ろうと話し掛けてから小一時間、誰も立っていないバッターボックスにボールを投げ続ける如く喋り続けた結果が〝着けない〟とは…
これでは好みは勿論、どんなジュエリーを持っているのかさえ見当もつかない。

気に入ってもいない商品の説明を延々と聞き、表情すら変えず共に時間を過ごしてくれたその方の心境とはどんなものなのか…
そう考え出した私は、奇妙な感覚に陥った。
その上、先程の問いに対して応えてくれた後、帰ろうとする気配も見せないのだ。
私は表情を確認しようと、横並びに立っているその方の顔色を屈むようにして窺った。

驚いたことに、その顔付きは来店時と全く変わっていなかった。

これじゃ駄目なんだ…

おすすめしていた商品を全く気に入ってないことにここに来てやっと気づいた私は、今更ながら焦りを感じた。
〝それにしても、こんなにも気持ちが表情に反映されない方は珍しいわ…〟
往生際悪く言い訳がましいことを思いながら、私は慌てて違う商品を取りにケース内へと戻った。
すると、私が席を離れた途端、それを合図のようにその方はゆっくりと背を向け、歩き出そうとした。

あっ⁉︎

私は飛び上がり、

「お待ち下さい!もう一点だけお見せしたい商品がございます‼︎」

と、その横顔に向けて、自分でもびっくりするほどの声を放った。私の大声にケーキ屋のスタッフまでもがこちらを向いた。
すると、その方は何事もなかったかのような顔付きで、一旦見せかけた背中を元に戻してくれた。

私は大慌てでもう一度宝飾ケースから外に出て、再選定した商品の説明をし着けてもらった。

最初におすすめしたのはプラチナの製品で、次に持ち出したのはピンクゴールドにダイヤモンドをあしらったペンダントだった。
如何にも宝石をたくさん持っていそうな方が普段は着けない。けれども、ジュエリーを見に来た。ならば、あまり目にしない商品をお見せするべきだったと思い改まったのだ。
帰りかけた姿が目に焼き付き、そこからは無心で接客に没頭した。
そうしていると突然、

「こちらいただきます」

と、何やら耳に聞こえた気がした。

えっ⁉︎

商品を着けてから、僅か五分ほどのことだった。
あまりにも早い展開と集中していたことから、私はその言葉を聞き漏らしてしまった。
妄想かと思い、その方の顔をジッと見つめたが微笑みを浮かべたまま微動だにしない。
〝今、何と仰いましたか?〟と聞くわけにもいかず、自分の耳を信じてみることにした私は、

「お包みして宜しいですか?」

と恐る恐る、その表情を見ながら尋ねてみた。
そうしたところ、その方は、

「はい、お願いします」

と、これまた一言。
私はこの時、何故今日はこんなに自分が間が抜けているように感じていたのかを悟った。
その方のあまりに少ない言葉数に、会話のペースが掴めずいるのだ。
最後までしどろもどろのまま、

「あ、ありがとうございます!」

と、私は言葉に詰まりながらお礼を言った。
その方は、お包みしている間も、顧客情報を記入してくだっている間も一言も発さなかった。
一時間数十分…
その方が交わされた会話は、僅か5行だった。
どれだけ私が一人で喋っていたか、容易に想像出来るのではないだろうか…


その方が帰られた後、私は一人、居心地の悪さを感じながら売り場に立っていた。
通常ならば買い上げが決まった喜びを感じている時間帯だが、そんな気持ちには到底なれずにいるのだ。何故ならば、お買い上げ頂いたお客様から高揚感をまるで感じなかったからだ。
あれだけ時間を費やしてくれ、最後にはお買い物までしてくださったお客様から何の感情も感じなかったのは初めての経験だった。

もう、二度と会えないかもな…

私はどうした訳か、そんなことをふと思った…



それから数ヶ月が過ぎた時のこと


偶々、私が事務作業でお客様側にお尻を向けている時の出来事だった。
後ろに気配を感じ振り返ると、ピンクゴールドのペンダントを購入していただいたお客様が忽然と立っていた。
いつからそこに居たのか分からない程、静かに佇んでいるお客様。出会った時と同じシチュエーションに私は正直驚いた。

「いらっしゃいませ。先日はありがとうございました!お求めいただいたペンダントはお使いいただけましたか?」

私はまた、直ぐにお声掛け出来なかったことを取り繕うかの如く、不自然なほどにハイテンションでお客様へと話し掛けた。

「……………。」

お客様は何も答えない。

あっ⁉︎

〝そうだった、そうだった…〟
口数の少ないお客様との温度差を思い出した私は、湧き上がるエネルギーを重石を載せるようにぐいぐいと押さえつけた。
そして、品の良いお客様に少しでも合わせようと声のトーンを落とし、

「あちらのペンダント…○○様でしたらお普段でもお着けいただけると思ったのですが、お普段もお着けになられないと仰っていらっしゃいましたよね。○○様はお綺麗なので宝石が映えるんですが、TPOに合わせていらっしゃるんでしょう?さすがでございます」

なるべく返答をしてもらえるように気をつけ会話を進めた。
それでもお客様は、微笑んだままで何も言わなかった。

ふふっ…

第二ラウンドに突入したかのような現象だが、もう会えないと思っていた方との再開に心を躍らせた私は、その状況を愉しく思った。
私は咄嗟に思い浮かんだ商品を持ち出し、またもや勝手に商品説明を始めた。
〝この商品ならお客様もお持ちじゃないだろう〟
そう思ったからだ。

「○○様はたくさんジュエリーをお持ちの方とお見受けします。豊かさが滲み出ていらっしゃいますから…こちらの商品でしたら、ご興味を示してくださるかと思いまして。如何でございますか?」

そんな会話を投げかけながら一人舞台を続けた私であったが、お客様の様子が前回とは違って来ているのを感じた。
途中、途中でお客様が頷きを見せるようになったからだ。

「○○様はスポーツか何かなさっていらっしゃるんですか?」

私はふと、気になったことを知る為にそう尋ねた。
百貨店に来られるお客様は大概、ワンピースやスカートにアンサンブルなどお洒落着の方が多い。それに比べ、お客様は高級素材には違いないがどちらかと言うと軽装で、前回同様、Tシャツにパンツ姿だったからだ。
どの道反応はないかな?と思い、次の会話に移ろうとしたその時、

「主人の母親を看病しておりましたので、動きやすい格好に慣れてしまって…先日、亡くなるまでずっと家で面倒を見ておりましたから」

お客様がこれまでで初めて、自分から話しをしてくれた。それも、こちらの心を見透かしたような答えに心底驚いた。
私がお客様に、

「先日ですか…それはお辛かったですね。何年くらい介護されていらっしゃったんですか?」

そう尋ねると、

「五年間です。ずっと寝たきりだったもので、私も中々外に出て歩くことも儘ならなかったんですが…今日は、少し気分転換に出て参りました」

と、話してくれた。

「宝石は心を安らげてくれますから、たくさん遊んで行ってください!五年間も寝たきりでしたら、お客様も大変だったんじゃないですか?」

私がそう言うと、

「介護する方も勿論大変ですけど、される方がもっと大変だと思うんです。寝たきりになるとおトイレも他人にお願いしなければならないでしょう?気の毒で…」

と、お客様は何かを思い出すような表情を浮かべ少し俯いた。
私はその話しを聴いて、このお客様ならそう言う考えを持っていても不思議ではないと思った。
初めてお会いした時、私の話しに一時間近くも付き合い、私の話しが終わってから(終わったと思ったから)帰ろうとした。
自分よりも他者優先的な考え方が、行動の一部始終に現れていたからだ。


お客様の話しを聴きながら私は、自分の祖母が寝たきりになった時のことを思い出していた。
そうして、

「私、お客様のお話を聴いて感動してしまいました。これまで介護をされて来られた方のお話を聞く機会がありましたが、介護される方のことを気になさった方にお会い出来たの初めてです。私なんかが申し上げるのも生意気なようですが、お辛い気持ちを理解しながら向き合ってあげられる方って、中々いらっしゃらないような気がします。特に〝しも〟のことになるとその処理をやっている方が大変だと聞きますが、されている方はどんなにお辛いか…そう思ったら、オムツ替えなんかは人に気付かれないようにしないと…とか思いますもんね。お母様、絶対お客様の気持ちを受け止めていらっしゃったと思いますよ。お客様に看ていただけて、お幸せだったですねー」

と、祖母との思い出も加勢して感極まった私は、少し興奮気味にそう話した。
すると、お客様が初めて私の方を向いて、澄んだ瞳をキラキラと輝かせこう言った。

「寝たきりになったからプライバシーが無くなるなんてあって言い訳がありません。私からされるのも嫌だったでしょうけど、〝私だけだから許してくださいね〟って、女同士を武器に何とか許してもらったんです」

と、お客様。
これほどの感覚は持ち合わせていないが、祖母から経験させてもらったことと重なった私は、自分の祖母の話しを始めた。
そして、

「お客様とお会いして、あの時、もっと出来たことがあったんじゃないかと思ったら泣けてきちゃいました。私も〝私だけだから許してくださいね〟って言えるような女性になりたいです」

と、涙ながらにそう言った。
お客様はそれを見て一層優しい表情を浮かべ、

「貴方、若いのにしっかりしていらっしゃって…私もこんなことを人様にお話ししたのは初めてです。大丈夫、貴方なら成られますよ」

そう言って微笑んだ。
続けて、

「あら、お仕事中に全く違うお話ししてしまってごめんなさいね。では、こちらいただいて帰りますのでお包みいただけますか?」

と、話しのついでのように何十万円もする商品をお買い上げくださったのだった。
いつの間にかお客様と会話をしていたことにさえその時は気付かなかった。

こうしてお客様とのドラマの幕が上がったのだ…


お客様と私を結びつけてくれたのは、またしても〝魔法の杖〟をくれた盲目の祖母のおかげだった。祖母との経験がなければ、このような会話に至ることは間違いなく無かっただろう…
次週はその貴重な体験談を書き記そうと思う。


〜続く〜


















百貨店を舞台に、出逢えたお客様に販売を通して教えてもらった数々の〝気づき〟による自身の成長記録と、歳を重ねた方々の生き方を綴っています。出会った順で更新していますので、私自身が少しずつ成長していく変化を楽しみながら百貨店の魅力も感じて頂けたら幸いです。 日曜日に更新します!