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vol.4 備えあれば…

私は前回粗品を受け取りに来たお客様が、次も来るような予感がしていた。

その予想通り、次の展示会もお客様は来店した。驚いたことに、今度は誰からも案内されず一人で私達のブースに到着していた。
お客様と出会ってから4回目。
私達は同じ場所に出店していた。
なるほど…
お客様は、来店する毎に場所の間隔を掴んでいるのだ。宝飾ケースに指を少し掛け、静かに佇んでいるお客様。
それを見ても、他のスタッフはどう動いていいのか分からず近寄ろうとしない。
私は待っていましたとばかりに、先日と同じ定位置に着いた。

「◯◯様、いらっしゃいませ。今回もお越しいただけたんですね。嬉しいです」

そう言うと、お客様が持っていたダイレクトメールを受け取り、前回のように粗品を手渡した。

「ありがとうございます」

お客様が口を開いた。
と、同時に

「ご案内状に載せていた商品、見ていただけましたか?」

そう問いかけた。
そして、受け取ったダイレクトメールをお客様の指に少し触れさせた。

その頃は冬が過ぎ、春の風を感じるようになって来た季節だった。
この開催のダイレクトメールは、これから暖かくなるに連れて咲き誇る花々をイメージして、ルビーやサフィアなどの色石を掲載していた。
その中のルビーを見ていて、ふと、お客様に見せてみたいと思った。

そう…
今回の私には準備があったのだ。


「はい、拝見させていただきました。素晴らしい作品がたくさん載っていて、素敵だなぁと思って見ておりました」

と、嬉しい反応を見せてくれたお客様。
ペンダントの修理の時、広告を見て来店したと言っていた。家でそれを見る術があるのだと知ってはいたが、DMの掲載商品の内容も見ていてくれたことを有り難く思った。何故なら、ダイレクトメールの案内に来店プレゼントとして粗品を掲載すると、粗品部分だけを見て、掲載商品を見ていない方も大勢いるからだ。

「その中でも、このルビーのお指輪を◯◯様にお見せしたかったんです」

今回の掲載品のコンセプトを話し、私はダイレクトメールの写真を指差しながら、お客様へ早々にお薦め商品があることを伝えた。
お客様は、どれ?と言うような顔付きで指に触れていたダイレクトメールを左手に取り目元に近づけたが、どこを見ているのかわからない。
そこで、準備しておいた拡大鏡を空いている右手にそっと手渡した。
お客様は、手に持たされた小さな道具を何に使うのか想像出来ていないようだった。私は再度、お客様の右手の親指と人差し指の間にその道具を置き、摘むように持ち替えてもらい自分の手も同時に添えた。
そして、ダイレクトメールの写真のルビーの指輪の上に重ね、お客様の目元に持って行った。

「見えますか?」

恐る恐る尋ねると、

「とても良く見えます。うちの拡大鏡よりも良く見えます。綺麗なデザインですね」

と、嬉しそうに言って笑った。
お客様の2回目の笑顔が見れて、私も自然と笑顔になった。



前回失敗してからずっと、どうやったらお客様へ商品を見せることが出来るのかを考えていた。そこでDMを眺めていて思い付いたのが、拡大鏡で写真を見せること。
これは、お客様が日常的に行なっている動作故、ストレスにはならないだろうと判断した。写真の方が立体感が無い分、商品説明も分かりやすいとも思った。
その拡大鏡は〝ハートスコープ〟と言って、本来はカットに優れたダイヤモンドのルース(石)にだけ見える、ハートと矢を見せる為に作られたもので、小さな万華鏡の筒を覗くような形で見てもらう道具だ。お客様にそのような動作をしてもらうこと、そして、写真を見せることに多少の抵抗もあった。
見える、見えないのストレスが不確かな分、道具を使って見てもらうことへの不安も大きかった。
それでも、やってみないことには分からない…
大きめの拡大鏡を準備することも思いついたが、〝見る〟と言うことにだけ焦点を当て、負担が少ない方がストレスも少ないのではないかと考えた。
そうして、敢えて小さい方を選んで臨んでみたのだった。



「◯◯様は、ルビーが良くお似合いですが、一番好きなお石は何ですか?」

のぞき穴を覗くように何度も写真を眺めているお客様に向かって聞いてみた。

「そうね…やっぱりルビーは好きかしら。あの方も言ってたけど、ルビーは、女性の身を守るって言うから余計に好きになったのかもしれませんね。病気をしてからと言うもの、すっかり臆病になってしまって…」

何かを思い浮かべるようにゆっくりと顔を上げ、天を仰いだお客様。
その表情を見ていると、祖母の顔が頭に浮かんできた。何故だか急に、胸が締め付けられるような気分に襲われた。
お客様の表情が、祖母と同じ表情をしているように見えたからだ。
いや、違う…
来店当初からそう感じていたのだと、その時に確信した。

見えていたものが見えなくなる絶望感…
どれほどの不安や恐怖を乗り越えてきたのだろうか…

祖母の顔を思い出すと、どんな想い出を振り返っても笑顔が思い出せない。
好きな食べ物、嫌いな食べ物、好きな歌手やよく聞くラジオにテレビ番組、思い出せることはたくさんあるのに、ケタケタ笑ったところや、楽しそうにしている場面が思い出せない。
あんなに一緒にいたのに、祖母が日常的な動作で何をしたいのかは分かっても、何を感じているのかを解っていなかったことに、お客様と出会ったことで気づかされた。それ故に、お客様の見せてくれた笑顔と笑い声は、私にとってとても意味のあるものだったのだ。
亡くなった祖母へはもう、何もすることは出来ない。でも、今、目の前に居るお客様には、宝石を通して喜びを感じてもらうことが出来るかもしれない。もちろん、それがお客様の快楽に繋がるのかどうかは分からない。けれども、それもやってみないと解らない事。そして、それが私の仕事だ。

次に会えたら…
今度こそは、自分がやれる事を絶対にやってのける。そう心に決めていた。



私は、写真の商品を手に持ち、

「こちらのお指輪は、特殊な加工が施されていて、金属の爪がないんです。ちょっと触ってみてください」

そう言って、お客様の手元に持って行き、指先で石が入っている表面を触ってもらった。

「あら、本当。全く引っかかりがありませんね」

と、お客様。
特殊な加工の説明をしながら、今度はその留め方を立体図で書き、それを拡大鏡で覗いてもらった。
そうしてやっと、現品を覗いてもらった。

「わぁ…綺麗ですね。ルビーがたくさん並んでいてとても綺麗、綺麗だわ…」

お客様は、本当に万華鏡を覗いているかのように〝綺麗〟と言う言葉を連呼した。

お客様の指に指輪をはめようと思い、輪っかの部分と指先を照らし合せてみると、小指の先の第一関節にしか入らないようだった。これでは着けてもお客様に恥をかかせるだけだ。
私は、お客様の左手の甲の薬指部分に指輪を充て、

「こうやって見ると着けているように見えますよ。思った通りとっても良くお似合いです!」

と、言った。
お客様は何も話さない。
が、そうやって一人ではしゃぐ私を、優しい目で見ているような、そんな温かさに包まれているのを肌身は感じていた。

「◯◯様?お指のサイズを気になさっていらっしゃいましたが、このお指輪でしたら◯◯様のサイズにぴったり合わせることが出来ます。それと、デザインが縦長で指の幅と同じボリュームですので、指への収まりが良いと思います。お手持ちの指輪が全て入らなくなったと仰っていらっしゃったので、この機会に新しい物を着けてみられませんか?」

思い切ってそう言い、反応を待った。

「でも、サイズを合わせるの大変じゃないんですか?私のようにこんなに大きなサイズの人、いないでしょう?」

と、心配そうに尋ねたお客様。

「そんなことありませんよ。私が担当させて頂いたお客様で一番大きな方は、リングゲージにサイズが無くてメジャーで測ったこともあるんです。号数にすると、31号でした。◯◯様は23号ですから、まだまだ上がいると言うことです。それよりも、◯◯様のお指の痛みが無くなったことの方が本当に良かったと思います。ここまで腫れられたのですから、相当な痛みだったと思うので…サイズ直しの方は、ご安心ください。私達は製造会社なので、◯◯様用の指輪を◯◯様のサイズでお作りすることも出来るんです。ただ、そうなると余程の信頼を頂けないとお作りをお任せ頂けないでしょうから、このお指輪はおサイズ直しをさせて頂きたいと思っているんです。如何ですか?お着けになってみられませんか?」

もう一度尋ねた私に、

「そうね…着けてみましょうか…」

と、お客様は穏やかに返事をした。
優しく漂う空気に、心地良くそよ風が吹いたようだった。
手元に置いていた視線をお客様の顔に合わせると、私の目を一直線に見て微笑みかけてくれているように思えた。
一瞬、見えているのかと勘違いするほどに…

こうしてお客様は数年を経て、再び私達の会社の商品を購入してくれた。
このお買い物はお客様と私にとって、大きな、大きな一歩となるのだった…

これも祖母がくれた魔法の杖のおかげだと思っている。



〜続く〜







百貨店を舞台に、出逢えたお客様に販売を通して教えてもらった数々の〝気づき〟による自身の成長記録と、歳を重ねた方々の生き方を綴っています。出会った順で更新していますので、私自身が少しずつ成長していく変化を楽しみながら百貨店の魅力も感じて頂けたら幸いです。 日曜日に更新します!