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異邦人一家、弥次喜多旅行 その3 牧之原大地

12月23日。夕方5時。掛川駅で新幹線を降りると、湯たんぽのように暖かく迎えてくれる懐かしい夫婦。まっさんとすずみさん。笑顔に温泉の湯気のようなオーラがかかってる。彼らは、私を赤ちゃんの頃から世話をしてくれた老夫婦の長男夫婦。おじいちゃんとおばあちゃんはもう随分前に他界した。でもまっさんとすずみさんは、おじいちゃんとおばあちゃんの愛情を受け継いで、私の帰郷する家族でいてくれる。

彼らの車で牧之原に向かう。夜なので茶畑は見えない。見えなくても私の目にはお茶畑が映っている。とめどなく濃い緑にうっすらと霧がかかる風景。ゆっくり空気を掻き回す背の高い風車。

牧之原のお茶は有名だが、歴史は意外に浅い。1867年の大政奉還後、版籍奉還で失職した武士たちが力を合わせて荒地だった牧之原を開拓したのだそうだ。武士が農民に?と思うかもしれないが、歴史をくるくると1000年くらい巻き戻し、無法地帯だった日本に戻ると、武装した開拓者がいる。彼らは他の開拓者たちから自分たちの領土を守るために武装したのだ。それが武士の始まりなのだそう。だから武士はもともと土地開拓が上手い。

真っ暗な山道を車で通り抜けるとポツポツと家並みが見えてくる。小さな橋を渡るとすぐにまっさんたちの家に着く。何年たっても全然変わらない家。大きな玄関。調味料やら食料やら鍋やらが絵のように並んでいる台所。縁側から見える庭と畑。もっこりとした裏山。立派な神棚。数えきれないほど飾られた家族の写真。孫たちの阿波踊りのようにひょうきんな絵。色々書き込んであるカレンダー。あっピアノが消えてる!ピアノは孫娘のところに引っ越したそう。

すずみさんがおでんを作っていてくれた。真ん中に大きな鍋が入るテーブルを囲んでみんなでおでんを頬張る。美味しい地酒が出されて、普段あまり飲まない娘も調子良くおかわりする。風邪をひいてぐずっていた夫もホクホクとしている。柚子の浮かぶお風呂も沸いていて、ふっかふっかな布団も敷いてある。まるで幼少時に戻ったかのよう。観音様の手のひらに乗っているよう。

「この後の予定、全部キャンセルしちゃうか?」一気に軟弱化した私がそろりとこぼす。「もうどこにも行きたくない!ここにいたい!」と、疲れた音大生の娘。「やっぱり静岡は実家って感じだよね。」とあれだけ静岡以外の場所に行ってみたいと主張し続けていた夫が手の平を返す。一家揃っていっきに怯みまくり。「行った事ないところ旅行しようぜ!」という誓いはおでんの湯気とともに消えていきそうになった。

翌日はクリスマスイヴ。「あたしらークリスマスなんかやらないダイネー。」とすまなそうなすずみさんの島田弁が懐かしい。私は隠れクリスマスファンの夫に「日本だし、クリスマスは諦めましょう。」と冷たく告げる。「フxxク、クリスマス。」とカムデンの女子校時代ガラの悪い言葉を覚えた娘が中指を突き出す。彼女がこんなに立派に成長してくれたおかげで、あのクソ面倒臭いクリスマスからやっと解放された私。じゃあクリスマスなしねってところで、さあ、とりあえずみんな解散。集合時間に遅れるなよ!って具合に全員個人行動に移った。

日本蜂の巣

そして。。。縁側にあるおじいちゃんの特等席で夫は本を読み即座に寝落ちする。台所では娘がすずみさんと一緒にお餅を作ってる。私は玄関の金魚を眺める。「この金魚どうしたの?」でっかい金魚が水槽の底にひっくり返ってアップアップしているのだ。テンプク病なのだそうだ。いつかYouTubeで泳げない金魚の為に飼い主さんが補助器を作ってあげた動画を思い出した。まっさんだったらあれが作れる。まっさんはおじいちゃんに似てマジシャンのように何でも作れる。裏庭にまっさんのワークショップがあって、そこがまっさんの隠れ基地だ(みんな入れてくれるけど)。まっさんにまずYouTubeを見せてから、二人で図案を書いた。久々に楽しすぎる。私が小さい頃、まっさんはこうやって私と遊んでくれたものだった。80歳になったまっさんと60歳の私がまたあの頃のように一緒に遊ぶ。真剣に遊ぶ。そしてついに補助器が完成した。装着にかなり苦労したが、やっと補助器に乗った金魚は戸惑って「何なんですか、これ!」という顔をして硬直。しかし、しばらくすると、自分が浮いている事を自覚し始め「いいっすね、これ。」と泳ぎ出した。「いいじゃないっすか。」と行動範囲も広がる。私は言いようのない満足感で胸が一杯になり、ずっと水槽にへばりついて夕飯時まで金魚を見ていた。

底に沈んでいた金魚を乗せた補助機第一号

クリスマスの朝。「やっぱり計画通りに行こう。」と夫が新たな決心を告げる。「えーーーーっ!」娘が暗い顔をする。少し間をおいて、「じゃあ静岡は今日が最後だ。」いつもと違う事をしたいという自分がそこにいた。

「じゃあ、水汲み行くか。」というすずみさんのランダムな一声で、私たちはみんなで近所に湧水を汲みに出かけた。日本って凄いね。地域の人たちがみな湧き水を汲みに来ていた。「あらーお久しぶり。」と、誰かがすずみさんに声をかけた。すずみさんが立ち話をしている間、私たちは水を汲んだ。家に戻ってお昼の支度をしている最中すずみさんが先ほどの女性の話をした。「あの人、カラオケバーをやってるだよー。そんな風には見えないじゃんねえー。お父さんがそのバーでウクレレを習ってるじゃん。ときどき歌を唄いにいかしてもらうだいねー。」島田弁が納豆のようにつるつる糸を引く。まっさんはカラオケが大好きだ。でも、恥ずかしがり屋だから「カラオケ行こう。」って自分からは言わない。だから私が言った。「カラオケ行くか?」まっさんの顔が朝日のように明るくなった。

というわけで静岡最後の日、夫がいつの間にかこっそりスーパーから買ってきたやけに美味しいクリスマスケーキをみんなで食べて腹ごしらえをし、よし!っとカラオケに向かった。客は私たちだけだった。

カラオケバー貸切り!幸先いいぜ(いいかよ)!

カラオケが初めての音大生の娘がどう反応するかと見ていたら、ブリタニースフィア、竹内まりや(なんで知ってんだ?)松原みき(どこで覚えたんだ?)等、店においてあったサンタクロースの帽子と髭をつけて惜しげもなく唄いまくっていた。「カラオケって、下手なのが楽しい。」と、音大とはかけ離れた浮世の喜びを味わう娘。そう、カラオケはスポーツなのです。ゴルフの打ちっぱなしみたいなもの。というわけで私たちはがんがん打ちまくる。カーペンターズなんてなんのその。ビートルズなんて朝飯前。クイーンのコーラスなんてギャグのネタ。デビッドボーイだのジョニーキャッシュだのを北島三郎のように心の底から唄い上げる夫が、娘と二人でカリフォルニアドリームをデュエットで唄い出した頃には全員でなんと40曲に達していた。ママさんも踊りまくり。店中、すっかりクリスマス。「クリスマスなんて忘れましょう!」と言った私が馬鹿だった。

そして次の朝。悲しいお別れ。いつも悲しい。何度も何度も来る別れ。そういえば、私はまっさんがすずみさんを初めて家に連れてきた時の事を覚えている。とても若かった二人。ませガキの私はこたつに座ってニタニタ見ていた。二人は恥ずかしそうに二階に上って行った。遊んでもらえない私は「イエイ、イエイ。」と下から冷やかした。あの二人がもう80歳。

掛川駅で、手を振るすずみさんがだんだん小さくなっていった。

また来るよ。








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