ネズミが走る。ネズミが走る。どこまでも走る。あっ。振り返った。私の事を見た。「なんでビデオなんか撮ってんだよ。馬鹿やろー。」ネズミは絶対にそう思った。そういう目をしていた。真昼間のセントラルロンドンの大通りの歩道をネズミが走ってるのはまず見たことがないからビデオを撮ってみようと思った。腰骨が突き出ていて痩せ細っていた。ロックダウンであさるゴミがなくてきっと他のネズミとの争いに負けて外に出て来たのだろう。あっまた走る走る。そしてふと誰かのフラットのドアの前で止まった。入りたそうにしている。撮影を止めない私。またこちらを見た。「まだ撮ってるのかよ。」ネズミの目はそう言った。そしてまた走り出してスーパーマーケットのドアの前まで来た。人が２メートル間隔で３人ほど列を作っていた。パンデミック中は２メートル間隔で離れるのが決まりだ。一人の中年の女性がネズミに気が付いた。「うぐっ。」と顔をしかめふと足を引いた。ネズミはふと止まりまた先に走り出した。どこまで走るつもりだろう。「眼には眼を」という昔の映画を思い出した。真夜中に妻が産気づいて医者に連れて行くのだが、医者が勝手な理由で助けなかったため、妻も子供も死んでしまう。そのリベンジに夫は医者を誘拐してグランドキャニオンまで連れて行き極暑の中をどこまでも歩かせ、最後に置き去りにする。残された医者は帰り道を見つけようとして高台まで登り見渡すと、キャニオンが果てしなく続いているのが見えるのみで、救助される可能性など有り得ない事を知り絶望に陥いる。確かそんな話だった。このネズミも、セントラルロンドンのどこへ行っても空のゴミ箱しか見つからないだろう。あそこまで痩せていたら、死ぬのも間近だろう。それでもネズミは走る。そしてまた振り返った。「どうなってんだ。」ネズミには人間もゴミも突然なくなってしまったロックダウンの事を理解するのは無理だろう。街のネズミは走っても走ってもどこにも辿り着けない。死ぬのを待つばかり。じゃあ人間はどうなんだろう。パンデミックが終われば普通に戻るのか？パンデミックが始まる前の普通は一体普通だったのか？人間が肉を食べる為、殆んどの動物が家畜となり野生の動物は4パーセントのみ。薬剤にまみれた家畜を食べてどんどん病気になる人間。その人間たちを狙う保険屋。その保険屋たちとグルになる政治家。その政治家たちを動かす大企業。貧しい国の安い労働力を利用して私腹をこらす。そしてバタバタと森林の木を切り倒す。そんな普通に私たちは戻るのか？ネズミはもう遠くに行って見えなくなってしまった。人間もいつか遠くに見えなくなってしまうんだろう。