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親友の転勤を前向きに考える

同期入社の親友の転勤が決まり、感傷的になっている今日この頃。
50人近い同期がいる中で、ほとんどが関東の本社勤務である中で、私と彼は唯一の三重県に配属された者同士だった。

大人になるにつれて、一瞬一瞬の大切さを強く意識するようになる。
こんなことを強く感傷的に思うようになったのは、大人になってからだ。

人の生き死にを経験するようになったからだろうか。
私には地元に住んでいる90歳近い祖母がいるが、半年に1回くらい帰省して会う度に、もう二度と会えないのでは?と心のどこかで思いながら接している自分がいる。

または、大人になり、家庭とか社会とか、個人それぞれを取り巻く世界が広がってくるからだろうか。

とても盛り上がった飲み会があったとする。
終わった後にグループLINEで、
「今日は楽しかった。ありがとう!また今度集まりましょう!」
と、みんなが書き込む。その言葉が社交辞令でなく本心からだったとしても、次の機会が訪れるとは限らない。
次の機会にみんなが集まれるとは限らないし、またその機会が訪れたとしても、全員の置かれた環境条件(結婚とか転職とか)はまた違う。

小学生は明日も小学生だし、今日の友達は明日も友達だ(と思っている)。
でも今日のサラリーマンは明日もサラリーマンだとは限らないし、今日の同僚は明日も同僚だとは限らない。特に会社組織はテンポラリーだ。

大人になるというのは人生の不確実性を知る過程、ということだろうか。

そんな中でも、瞬間を精一杯味わえるようになること、いつでも後悔なく全力で取り組むこと、それが大人になることの素養であると思う。
今日の楽しさを明日に持ち込ませる必要などない。

それでも一方では思ってしまう。
またいつか会おう。またいつか乾杯しようと。
今を全力で堪能しながら、未来を願う。大人になるのも悪くはない。

最後に、栄転おめでとう。

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