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【実録】幼少期の奇行(この世界は自分か人間しかいない)閲覧注意※書ける範囲で書いてます


こんにちは。見える男です。

書こう書こうと思ってはいたけれども
なかなか書くタイミングがなくて1年くらい後回しにしていた事を書こうと思う。

実録編〜幼少期小学生まで〜

この世に生を授かったのは1987年の事
小さいながらに記憶していることは
多分世の中は浮かれていた時代だと言うこと

バブル景気とは、1986年12月から1991年2月頃までの期間を指し、1988年頃から好景気を一般の人々が実感、株価の急上昇、不動産価格の上昇、また個人資産なども増大し、社会全体が今までにない好景気を実感した時期でした。

と歴史が示すとおりバブル真っ只中に
この地球の日本に産まれ落ちた

1番古い記憶はおばぁちゃんの田舎家の畳の部屋で
親族たちに沢山の笑顔を向けられ
所謂、愛を注がれていた頃だ
多分1歳くらいだと思う

不思議なもんで35歳になった今でも
その映像は薄ら覚えている
当時シェパードを飼っていてそれが産まれて始めて見た動物である

我が家の当時の家系は
父親
母親
自分


の5人家族で構成されている
後に離婚して片親になり
私は高校生になる頃から親も兄弟も離れ
おばぁちゃんと暮らす事になる
それはまた今度書く

当時の話をする

父親はスレート屋(屋根工事)を当時生業にしており
母親のお父さんの所で働いてた
この父親もかなりの問題野郎で職を変えていき
いろいろ変化の激しい生活をしていくのだが
当時はスレート屋に従事していた

母親は当時何をしていたのか知らんが
まぁ家で母親業を行っていた

最初の頃は団地に住んでおり
この団地は地元の低所得者優遇施設て
公共の抽選によって選ばれる低賃料の宅だ

一番最初の我が家はその団地から始まった
弟が5つ下だからその弟が産まれてからも住んでたので最低でも5年はそこが拠点だった

親父は屋久島出身の島人で
サーファーで剣道の県選抜で不良で
性格は明るく友人も多い人間だった
その人柄かいつも家には友人らしき大人がよく遊びに来てたり
友人家族との交流も盛んで、これはかなり珍しいと思うが
友人家族と2世帯でデカい一軒家に住んでいたこともあった

普通では無い環境で生活していくわけだが
当時の私はとにかく親族初の初孫で
まわりから溺愛されていた

保育園に通いだしそこで初めて他者とのコミュニティに属していく訳だが
その時初めて年上の園児に痛みをもったイジメ?みたいなのを受ける。
言ってもイジメというレベルでは無いと思うが
私の手の爪を年上の園児がギュッて爪を立てて押し付けるというなんとも可愛らしい内容のものなんだが
5歳くらいの私はそこで初めて他者による痛めつけを経験し初めて怖さや恐怖みたいのを感じた瞬間だった

しかし記憶上それは2回くらいしかなく
保育園生活が怖いみたいなレベルのものでは無い
なんでこんな事するんだろう?と思っていた
その痛みというのは大人になっても覚えているもんだ
不思議だね

そしてその保育園生活の時に初めて好きな人もできた
自分で認識するほどに好きという感情が明確にあった

みさとちゃんて同い年の女の子だった
保育園生活は園児がみんな一緒にお昼寝の時間に寝るのだが、その時に初めてファーストキスもそのみさとちゃんと行っている

今思うと私の人生はこれまでなんでも早く経験していたのだなと痛感する

まるでワイルド・スピードのドミニクみたいに
フルスピードで走るのが俺の人生だった。
と私も言えるくらいスピードが早かった

特に問題なく保育園を卒園し
小学生に成って行く訳だが

その頃には団地から引越し
母親のお父さんの事務所がある広い敷地に
平屋の家が2個並び
私の家と隣におばぁちゃんの家が並んだ所に住み出した

そんな時期から私の歪んだ人間性が表にでて来ることになる

兄弟関係について
私が長男で
3つ下の妹と
5つ下の弟
三兄弟で幼少期を過ごしていくのだが

当時は兄弟と言えるレベルの関係ではなく
かなり上下関係が厳しかったように感じる

それはまるで北朝鮮のような
ヒトラーのような
独裁政権で私の独裁国家であった


ーーーーーここから胸糞に思う展開もあるのでそういうのがキツい人はここで閉じてくださいーーーーー



妹と弟は自分の駒であるかのように
言う事を聞かせ
時には実験じみた事をしていた

ここで初めてタイトルの意味を成すが

当時7歳くらいの頃から
この世界は

【自分かそれ以外の人間か】

サイコパスと化したローランドのような
思想を当時持っていたのだ

なぜこういう思想になったのかは
大人になって自己分析してる今でも謎のまま

進める

良心の欠如であり
純粋な知的好奇心が大きく
その頃からいろんな実験を行っていく

・欠如した実験case01 黒砂糖事件
独裁国家ではあったものの
子供なので兄弟仲は悪くなく下の2人はとにかく
お兄ちゃんの言うことはなんでも聞いていたという事と、2人とも元々の性根が良く明るく純粋だったという事を前提に説明しておく
当時の私達はあまり裕福な家庭ではなく
貧乏界では下過ぎずど真ん中の貧乏だったはず
良く腹が減っていて食べ物は基本取り合いで
私が良く美味しいものは奪っていた記憶がある
それでいつも親には怒られていた
そんな時に3人ともお腹がすいていて糖分はやはり貴重だった
庭で遊んでいた時の事だお腹すいたと常に言う弟に私はこれ黒砂糖だぞって言って石を食べさせた事がある
弟は素直に口に入れすぐに石とわかって吐き出すわけだがこの時の私はこれ食べるのかな?っていう私なりに曲がった純粋な好奇心からであった
これが初めての良心の欠如行為だったと思う

・欠如した実験case02 鼻血噴出事件
男二人に挟まれた妹は逞しく育った
そのひとつに彼女の闘志に火がついた瞬間というものがあった
夜になると親は家にはいなく私の独裁国家は過激化
枕でお互いの顔を打撃する戦争を行っていた
枕投げとか可愛いものではなく
枕でダイレクトに殴打するものだ
それが過激化して妹は鼻血が吹き出した
しかしその時に彼女の中で闘志に火がつき弟と結託し私を初めて制圧した歴史的快挙日となった
兄弟喧嘩ではあるがあの日確実に妹は強くなった

・欠如した実験case03 窓突撃事件
ある休日兄弟で家にいる時の事だった
上に書いた通り過激派の兄弟仲だったので
なにかしらイタズラする時は攻撃があったのだが
ふと私がその時に思ったのは
窓が空いてる状態でカーテンが閉まっている時人はそのカーテンの奥は窓が閉まってると思うのか思ってないのか?という事だ
その時窓は空いててカーテンは閉まってたんだけど
そこに弟が突っ込むのかどうかが気になった
弟にあそこに走って行けと命じて走るのがどうかが気になったのだ
走らないだろうと思ってはいたが
弟は瞬時に走り出したのだ
それはもう颯爽という言葉が似合うように
私にはその瞬間がスローモーションに写り
BGMはクラシックがかかっていた
その後のことは説明するまでもなく
見事に弟は窓の外に転落した
平屋だから段差は全然ないから大事にはなっていないが弟のその勇気を私は称えて褒美に黒砂糖(石)をプレゼントした

・欠如した実験case04 骨折お遊戯会
家というのは不思議なもので大人になった今ではなんの面白みもない部屋ではあるが
当時の私達には公園に見えていた
襖の上の部分この鴨居?って所の上の部分てちょっと凹みがあって掴めるのだが

そこにぶら下がってSASUKEばりにどこまで飛べるかを競っていた
そんな時あまりにも弟が飛ばないものだから
私は苛立ち早く飛べって捨て台詞を吐き後ろからケツを蹴ったのだ
その刹那、弟は和室の宙を舞い
見事に腕から着地骨折
その時もスローモーションに写ったのだが
次の日お遊戯会で弟は園児に不釣り合いの片腕ギプスをし一休さんの踊りをしていた
とても愛らしかった

・欠如した実験case05 頭穴あき事件
私は当時犬を飼っていて
その犬というのも私が拾ってきた野犬なんだけど
その犬の散歩をしている時
犬が元気でリードを引く力が強いので
散歩ダルいなって思っていた
私についてきていた弟は自転車に乗っていたのだが
自転車で引いた方が楽だなと思い
自転車に乗っている弟のハンドルにヒョイとリードをかけたその刹那
爆速で犬と自転車が駆け出し
蓋のない側溝に見事に転落
弟は怪我をし犬はどこかへ消えていった
弟は泣き怒り
俺はとりあえず家帰るかと帰路に
その何分後かに犬は忠犬で家に戻ってきた
私は捕まえ家の敷地内で自転車に乗る弟のハンドルに再度リードをかけた
その刹那
光の速さで自転車は壁に激突しコンクリートの角に弟がぶつかり頭から流血した
結果、頭に穴が開き5針くらい縫っていた
もちろん私はコテンパンに親から叱られ
家に入れずずっと外に立たされていた
あの時の夜空の星は一際輝いていた

・欠如した実験case06 腐ったハンバーガー事件
真夏の飢えというのは強烈で
冷蔵庫を開けてもいつも腹を満たすような物はなく
車の中を弟と漁っていたらいつの日か車内で食べていたハンバーガーの残りが落ちていた
飢えた弟に不憫を感じそのハンバーガーを与えたところそのまま下痢になる珍事
美味しかったのかなあのハンバーガー…

・欠如した実験case07 トランク監禁事件
家の敷地内には事務所と倉庫があり
屋根付きの駐車場にはおじいちゃんの車しか停めれなく兄弟3人で隠れんぼする事に
もう敷地内を熟知している我々にしてみれば
全ての場所がバレるのだ
そこで妹が鬼だった時に私と弟は隠れることに必死になっていた
私は弟を車のトランクに隠れさせ私は車の下に隠れていた
いつもより見つかるまで時間がかかり次第に腹が減って夕暮れになったころ
私は見つかりちょうど食事の時間になった
そのまま私と妹は食卓の着きご飯を食べるのだが
その頃弟は1人でトランクの中に忘れ去られていた

欠如した実験case08 親父襲撃事件
ちょうどエアガンが流行りだした頃
どうしても、欲しくて懇願し手に入れた1番安いエアガン、デザートイーグル
私は嬉しくて色んな物を撃っていた
ただこれがどのくらいの威力で痛いのかがわからず
当時から怒られていた私の怒りの矛先は親父に向いた
度々夫婦喧嘩で物に当たる親父だったので子供ながらイラついていた
ある日ソファで寛いでる半ズボンを履いた親父の太ももを唐突にエアガンで襲撃した
思いのほか痛かったのだろう
親父は激怒し掃除機の枝で私を殴ってきた
この件に関しては確実に私が悪いのだが怒りに油を注がれた私は更に襲撃を開始
もう撃ちに撃ちまくった
ボコボコに殴られ昭和の頃のように
竹刀を膝の裏に設置させられ正座をさせられた
この時の私は精神力が強くなっていたので
この拷問も親父が心配になってやめさせるまで意地で凌いだ。この時にこの親父にはまた襲撃すると決意した

・欠如した実験case09 殺傷殺人仕組み事件
とあるテレビでらよくある凶悪犯罪事件の犯人を探してますみたいな番組が当時はよくやっていたのだが
私はもし私が殺されたら親はどうなるのか気になった
学校が終わるとすぐそれを実行する事になる
母親が帰ってくるまであと1時間
私はまずケチャップを水で薄めて人工血液を作る
それを床に撒きそして自分の服にも大量につける
そして床に包丁を起きその横に私は横たわった
そのまま1時間くらい倒れたまま母親の帰りを待った
帰ってきた母親は玄関をあけキッチンに入ってきた瞬間に大絶叫
軽く失神したんじゃないか?
とにかく子供ながらにヤバいかな?と思い
むくりと起き、私は大爆笑した
大丈夫だよと
その後母親にとんでもないくらい怒られた
当時の私は母親もドラマみたいな絶叫するんだと
人間は本当にそういう現場を目の当たりにしたらああなるんだなと学んだ

・欠如した実験case10 ドッペルゲンガー事件
ある日家に帰ると休みだったのかソファでゆっくりしていた親父がいた
おかえり〜と何気ない会話をし私は急にある実験をしたくなったのだ
制服を着てランドセルを背負って帰宅した私は
部屋に入り私服に着替え
制服とランドセルを窓から外に放り出し
部屋から出て友達の所に遊びに行くと私服の姿を親父に見せ家を出た
そして外に放り出した制服とランドセルを外でもう一度着替えて10分後くらいを見計らって
先程と同じように同じテンションで
あたかも今帰宅しましたみたいな感じで
学校から帰ってきた感じで親父に帰宅姿を見せた
すると親父はキョトン顔をして
お前今遊びに行かんかったか?
と聞かれたので
何言ってるの?今学校から帰ってきたよと普通のテンションで部屋に入った
その後ネタバレをする訳でもなく普通に日常生活をしていたら親父は母親が帰ってきたやいなや
すぐ俺が二人いると馬鹿みたいな話をしていた
それを盗み聞きしていた私は腹を抱えて笑っていた
そこから親父は少し恐怖心を抱いたのだろう
私に対して少し優しくなったのだ

・欠如した実験case11 泥水事件

おっとちょっと思い出したらかなり出てきたから
長くなりすぎるから今回はここで筆を止めて置く

これは私の小学生1~6年生の時の
本当にあった実録

子供というのは純粋が故に怖さもある

大人になった今だからこそ
まともな人間になれてきているけれども
もし私の環境がもっと劣悪で
関わる人達が悪い人達だったのならば
今の私はないだろう

そういう意味で私はこれまで関わってきた
全ての人たちの優しさと良心によって
助けられてきたし心から感謝している

違う環境だったならば
私は全く違う人生を歩んでいたと思う

子供の発想や好奇心は止められない
だからこそ
親としてはそれを強制せずに
いい方向に向くように指南していく必要がある

子供は親のことをよく見ている
当たり前のように感謝しているとは思えない

感謝とは大人になってから初めて
親に抱く感情だ

だから子供の考えは自由に尊重し
間違った道に行かないように
方向だけ示すべきだと思う

子供の知的好奇心は無限大だ

それと同時に
子供は怪物になり得る時があると
今回の記事で読者に伝えたい

怪物も最初はみんな純粋だ


最後まで読んでくれてありがとうございました

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