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平凡な1日1日を積み重ねて生きていく

大きな成果はなかったけれど、平凡な1日を、今日も積み重ねた。
そのことを誇りに思おう。

日常は平凡なことの積み重ねだなぁ、ということを、ずっと考えている。
毎日毎日、魅力的なイベントや、驚くような事件がある訳じゃない。ごはん作って、食べて、家のことやって、また、ごはん作って、食べて、買い物行って、仕事して、子どもの学校のお便りを見て、ごはん作って、食べて、台所をきれいに片づけて、あぁ今日も大して何もしないうちに1日終わったなぁ、なんて思う。

そういう平凡なことの積み重ね。その平凡さを、くさすのではなくて、嘆くのでもなくて、それを淡々と許容できることって、生活にとても必要なこと。

そして、平凡さを許容しているからこそ、その合間合間に、ちょっとしたハレの日があったりすると、とても楽しい。昔のお祭りって、それくらい、頻度が低くて、特別感の高いものだったのだろうと思う。
 
でも、「平凡」と「つまらない」は違う。「平凡」と「変わらない」とも違う。特別じゃない日常の積み重ねだけれど、平凡の中にも楽しみはあるし、彩もあるし、変化もある。
というよりも、特別じゃない毎日の中に、小さな楽しみを創りだすことが、自分らしい日常を重ねていくコツなんじゃないかと、考えるようになった。

SNSで作り方を見かけたおかずを作ってみる。駅までいつもと違う道を通って行く。コンビニのお菓子コーナーを物色する。昔読んだ本を読み返す。

子どもと一緒だと、小さな楽しみはもっと見つけやすいかもしれない。朝早くの霜柱。道端のどんぐり、落ち葉、たんぽぽの綿毛。散歩している犬とすれ違う時のドキドキ。雲を色々な生き物に見たてる遊び。月を見つける。おかずを顔の形に盛り付ける。ラップで握るおにぎり。デザートのみかん。

「特別じゃない遊び」という記事もそんな思いで書き始めた。

子どもの存在は、特別じゃないことが、魅力的に思えるような視点を教えてくれるなぁ、と改めて思う。

平凡な毎日を退屈せずに楽しむことって、人生の達人みたい、って思っていた。身の回りの小さなこと1つ1つに感動できる子どもたちは、世の中を分かったような気になって感動を忘れている私よりも、ずっと人生の達人なのかもしれない。

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