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宮沢賢治の作品を ずっと こわいとおもっていた

高校の修学旅行の行先は東北だった。
この時に歩いた奥入瀬の景色は、私は、今でも人生で一番美しかったと思っている。一番仲の良かった友人は、霧が立ち込める八甲田の山中に立つアオモリトドマツの厳しさに心惹かれ、あんな風に生きたいと語っていた。
何と言うか、神の領域に近い荘厳な美しさのある場所だった。

その修学旅行の旅程にあった宮沢賢治記念館を楽しみにしていたことを覚えている。「雨ニモマケズ」の色紙を買った。

でも不思議なのだ。
宮沢賢治の作品は、私の記憶でいつも、湿度の高い薄暗いところにあって、こわかったはずなのに。

最初の記憶は、『銀河鉄道の夜』の映画を観に行った時。登場人物たちがネコのキャラクターとして描かれたアニメ作品だ。(今調べたら、1985年公開らしい。小学校低学年の頃。)
銀河鉄道に乗り込んだあたりから、ずっと不安だった。途中下車するたびに、この間に電車が発車してしまったらどうしようかと、ずっとハラハラしていた。銀河鉄道が旅する世界は、この世のどこともつながっていない、ここに取り残されたら、もう2度と戻れない、って感じていたように思う。だから、ずっと、心落ち着かない状態でいた。
その緊張感の中、何の前触れもなく一瞬のうちに、カムパネルラの姿が見えなくなったのだ。その瞬間、私は、火が付いたように泣き出した。こわかった。そのまま映画館を出て、家に帰ってもずっと泣いていた。映画のメッセージの深いところを理解していた訳ではなくて、不安と緊張のゲージが一気に許容量を超えた、という感じだったと思う。

その次は、小学校高学年の頃。5年生くらいだと思う。宮沢賢治童話集、みたいな文庫本を買ってもらい、読んでいた。何かの作品が読みたかったというよりも、有名な人だから読んでおいた方が良かろう、くらいの感覚だった。(ちなみに〈こわかった映画〉と〈宮沢賢治〉は、この時は私の中ではつながっていなかった。)その全集の中に入っていた『光の素足』は、仏教的な「あの世」を真っ正面から描いた童話だった。猛吹雪の中で遭難してしまった2人の幼い兄弟のお話。薄暗い道を大勢の人がうつ向きながら歩いていく情景が頭の中にずっと残り、薄暗くて、寒くて、とてもツラい気持ちになった。(物語はツラいだけではなく、最後には仏教的な救いがあるのだが。)

そういう「心に重たく残るお話を書く宮沢賢治」と言う人のことを、いつから興味を持つようになったのかは、思い出せない。高校生の頃、教科書に載っていた宮沢賢治作品は『永訣の朝』だったから、「心に重たく残る」という印象はますます深まるばかりなのに。

もしかしたら、その人となりが気になったのかもしれない。物語よりも宮沢賢治の生き方そのものに、もっと知りたい何かを感じたのかもしれない。
確かに一番欲しかったもの・・・手元に置いておきたかった言葉は、迷うことなく「雨ニモマケズ」だった。

特に最後が、考えさせられる。
 ミンナニデクノボートヨバレ
 ホメラレモセズ
 クニモサレズ
 サウイフモノニ
 ワタシハナリタイ

誰かに注目されるわけでもない。評価もされなければ、嫌われることもない。(嫌われるというのは、それだけ強く関心を向けられていることだ。)植物のように、黙って、そこに「居て」、自分が自分であることに誠実な姿。それでいて、辛い状況にある人がいれば、自分にできる範囲でチカラを尽くす姿。
それは、現実を1歩ずつ固めていくタイプの、ちっとも華やかではないヒーローの姿なんだと思う。

東北は、荘厳な美しさのある場所だった。
厳しい気候風土の中に在る自然は、美しくもあったが、厳しくもあった。当然、安易に人間が近づくことができないような、こわさもあるのだと思う。今になってみれば、宮沢賢治に感じたこわさは、そういう、ちっぽけな自分が自然の厳しさに向き合った時の感情に似ている。

石巻に育った宮沢賢治も、また、山や森や雪の持つ荘厳な美しさに畏敬の念を持ちながら、その中で、小さな1人であることを受け止めて生きようとしたのかもしれない。(もちろん、私が勝手に思っているのに過ぎないけれど。)

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