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未就学児からの英語教育は 意味がないと思っているんだよね

昨日は、公立の小学校での英語の授業を見学した時のことを書きました。

未就学児からの英語学習は、珍しいことではなくなりました。私は2005年に、「英語学習をテーマにした玩具」の開発を担当した時に、未就学児からの英語教育について調べたことがあります。本も読んだし、英語の早期学習に関するシンポジウムにも行きました。既に賛否両論でした。
あれから20年近く経ち、英語の学習を始める年齢はどんどん下がっています。

英語を学ぶ必要があるご家庭も増えたかもしれません。両親のどちらかの母国語が英語だとか。親戚と話をするために英語が必要だとか。海外に住んでいるとか、住む予定があるとか。

ただ、両親ともに日本語が母国語で、日本で生まれ育ち、今のところ当面は日本国内で暮らすつもり・・・というご家庭については、私は未就学児のうちから英語を学ばなくてもいいのになぁ、と思っています。

英語を学ぶ時間があるなら、その時間で母国語の絵本を読むことを、ずっとおすすめしたい。

まずは母国語

言葉には、〈他者に伝える〉側面と、〈自分の内面を整理する〉側面があります。
〈他者に伝える〉という面から考えれば、小さいうちに経験したいことは、母国語を使ったコミュニケーションの経験を重ねて、〈言葉を使えば、他の人と関わることができる〉ことを実感することではないでしょうか。その実感があるからこそ、もっともっと言葉を使いたい、という気持ちが湧いてくると思うのです。また、他者に伝えたい「何か」を持っていることも必要です。話の中身の部分です。話の中身がないと、どんなに言葉が達者になっても、言葉は活用できません。

また〈自分の内面を整理する〉というのは、感情や抽象的な概念に名前をつけることです。例えば、心がもやもやして、機嫌が悪くて、モノに八つ当たりしている時に、「うまくできなくて、くやしかったんだね」と声をかけられることで、「あぁそうか、こういう気持ちのことを、くやしい、って言うんだな」って学んでいくんですよね。自分の心の中にあるふわっとしたものに、名前を付けて、気持ちを整理したり、折り合いをつけたりしていく訳です。言葉って、他者だけではなく、自分自身とのコミュニケーションにも必要です。
だから、自分が信頼のおける母国語をしっかりと身に付けることって、本当に大切だと思うのです。外国語はその後からでいい。

中学校の時、ご家庭の事情で言語の違う親戚のお家で育った、という同級生がいました。2か国語が話せましたが、どちらも小学校中学年くらいの会話ができるくらいだと、本人が話していました。
最初は気づきませんでした。ただ、休み時間などに話をしていて、本の感想だとか、在りたい自分の姿、理想の社会と現実とのギャップの話、などなど、少し込み入った話になってくると、彼女がすーっと会話から離れるのが分かりました。私たちは、少女小説のマネをして小説を書き、それを読みあうことを楽しむ、言語優位な中学生でした。概念的な話に面白さを感じるような時期でもありました。彼女が話の輪に入れるような話題を選ぶと、それはそれで私たちが物足りなく、いつしか、休み時間一緒に過ごすことが減ってしまいました。仲間外れにしたかった訳ではないのですが、悪いことをしたな、と今でも思い出します。

そして、自分自身が拠りどころにできる「母国語」を学ぶことの大切さを改めて思います。

未就学児からの英語教育はあんまり意味がない

ごく小さい時は、外国語よりも母国語の方が大切だと思っていますが、それだけではなく、未就学児のうちから英語教育を始めても、語学習得のためにはあまり意味がないと思っています。意味がない、とは、「子どもには英語で苦労させたくない」と考える大人が期待するほど、英語が身に付くとは限らない、ということです。

子どもたちは、英語のシャワーを浴びるだけで、自然に話せるようになるよ、なんて言う人もいます。
ほんとかなぁ?
6歳と2歳の子どもと一緒に、1年間ボストンに滞在したことがあります。外国人の多いエリアに住んでいましたので、英語が母国語ではない子どもにも何人も何人も会いました。私の個人的な観測にすぎませんが、周りに「自然に話せた」子はいませんでした。どの子も、学校では英語のサポートをしてくれる特別クラスに入り、一生懸命努力していました。

もちろん、子どもたち同士のことですから、彼らなりにコミュニケーションを取り、一緒に遊ぶ姿は見られます。
ただ、想像して欲しいのです。
6歳同士のコミュニケーションで使う英語を、どんなに不自由なく話せたとしても、その英語は中学生や高校生になっても通用するでしょうか。6歳の会話は6歳なりの言い回しだし、語彙だって少ない。英語力としては、そんなに期待する程のものではないのです。

英語スクールに通うとしたら

ただまぁ、英語スクールに通ってはいけない、と言いたい訳ではないです。

例えば、週1日の英語スクールがすごく楽しいのならば、それはそれでいい。日本の幼稚園や保育園とはちょっと違う工作やアクティビティが楽しかったり、先生のことが大好きになったりして、通うのが楽しいのなら、それはそれで幸せなことだと思います。

ピアノを習う子どもが全てプロになる訳でもないし、水泳を習う子どもが全てオリンピック選手を目指す訳でもない。英語スクールに通う子たちが、みんなバイリンガルみたいに話せなくてもいい。楽しいから通う、でいいのです。(だからこそ大人は、こんなに小さいうちから英語の勉強を始めているんだから、きっとぺらぺらになるわー、とか、無駄な期待をかけない方がいいですね。)

「大人になって英語学習で苦労しないように小さいうちから習わせよう」という目的ならば、未就学児からの英語教育は 意味がないと思います。

ただ、世の中には日本語以外の言葉もあるってことを肯定的に受け入れるとか、日本以外の文化を知るとか、そんな風に、英語スクールを入り口に、「世界」に対して想いを馳せることができる良さはあるのかもしれません。それは、言葉がちょっとくらい話せるよりも、ずっとずっと意味がある、すてきなことだと思います。

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