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僕たちはどう生きるか

残暑ですね。ここまで残暑は暑いものですか。
9月は涼しいと勝手な期待を抱いているから暑く感じるのでしょうか。
非常に憎いです。
暑苦しいほど生き難い社会だとは思いませんか??

皆さんのバイタリティーはなんですか。
成長したいですか?
何かに飢えていますか?
この社会は人を区別しようとする習性があります。
優と劣、勝と負、何億ともの人から成り立つこの惑星はたった2つの区別でフットボールを表現させようとします。なんて残酷なんでしょう。
そんな区別の中で僕たちは自分を勝ち(価値)取らないといけません。

指導者としてどう生きるか。今回は自分が最近感じていることをダイレクトに書いてみます。



『核』

指導者のキャリアをスタートしたキッカケはありますか?
そのキッカケから生まれた炎を絶えず燃焼させる理由はありますか?

僕は、、、

興味あればこちらにとんでみて下さい。

最近、30歳を目の前にして厚かましくも20代前半の指導者が生きていくサッカー界が心配になります。
育成年代においては一種の習い事のサービスとしてサッカーに求められる要素が強まり、スポーツの観点から考察すると指導者がフットボールの競技性に集中しづらくなる時代に突入していると日々現場で感じます。

例えば、、
パワハラと感情を表に出したコーチングの境目はなんですか??

そもそもこの考えこそが区別主義だと思いますが、社会が高度化すると責任を定める為にルールを厳格化します。曖昧さを出来るだけ無くしてYes or No で全てを解決できるように人間は仕組もうとします。
ただ、フットボールの中では1秒前にYesであったプレーはその1秒後にNoと変化します。

普及、強化、育成年代、トップチーム、様々な立場の指導者がいますが、スペインと日本の2つの国の現場に立ってみて感じることは日本は自らのスポーツ文化を苦しめていく将来を感じています。

その中でも生きようと思える『核』は皆さんにはありますか?
なければなくても大丈夫です。有るならあるで構いません。
ただ、無くても有っても、素手で顔面を殴られるような経験は風が吹くように襲い掛かって来ます。
それでも指導者として生きますか。



『チカラ』

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660字

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