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こどものころに予知していた?

おはようございます!
チャイルドマインダーのみぎたです(*'ω'*)

先日は自身の幼少期における不思議な出来事
消えたバナナとおじいさんという記事を書きましたが、振り返ってみるとこどものころというのは人には見えないものが時々見えたり、聞こえない声が私には聞こえたり、夢で見たことが実際に起こったりと、なんだか不思議な出来事が多いこども時代を送っていたように思います。
そんな私に気づいていたのかどうかはわかりませんが、祖母はいつも私に
「呼ばれてもついて行ったりしたらいけん」と口うるさく言っていました。

そしてここからは4、5歳くらいの頃の話になります。

物心もつき、未来のことを考えるようになったり、人や動物の”生き死に”が少しずつ分かるようになってきたある日のこと、近所でよくあそび相手をしてくれていたおばあちゃんの息子さんが亡くなるという出来事がありました。”ジサツ”だったそうですが、当時の私はその意味がまだ分かるわけもなく、ただ、死んだということは理解ができました。

そんな出来事があったため、しばらくはそのおばあちゃんのところへ行くのは控えていましたが、ある日原っぱのようなところで一人で遊んでいると、おばあちゃんがトコトコとやってきたのです。表情などを見る限りいつもと変わらないにこやかな様子でしたが、私の名前など、すっかり忘れてしまっていました。息子さんが亡くなったショックで呆けてしまい、それまでの記憶もあやふやになっていたのです。
それでも私は今までのようにそのおばあちゃんの話を聞いたり、お花を摘むなどして過ごしていましたがふと、「息子はいつ帰ってくるかなぁ。出かけたきり戻ってこないのよ」と言い始めたのです。

周りで大人たちが話をしているのを聞いていたので、亡くなったことや”ジサツ”したということは知っていましたが、とてもじゃないけど本当のことを伝えるのはこどもながらに胸が痛み、できませんでした。
なので私は、「戻ってくるといいね」とだけ言い、その場から離れてしまいました。 

生き物の”生き死に”がようやく分かってきたころだったので、死というものがこんなにも人を呆けさせたり、色んなことを変えてしまうものなんだと知りとてもショックを受けたのです。

そしてその日だったか少し後になってからだったか、自分の死や祖母の死を考えるようになりました。


命ある限り”死”はいずれ訪れるもので、私たちは避けることのできないものであるというのは理解していました。
ただどんなに考えてみても、祖母が亡くなる日が来るなど受け入れ難いものでした。

それでも幼い未熟な頭をひねり、自分の年齢と祖母の年齢を照らし合わせ、祖母に何歳まで生きてほしいか、祖母が何歳になったら死が訪れても受け入れられるのか、自分が何歳になればそれを事実として受け入れられるのか、よく考えてみました。
そして導き出した年齢が、
自分 34歳
祖母 98歳。
自分がそんな年齢になるまで受け入れられないのかと笑われてしまいそうですが、これは当時の私が真剣に考えた結果です。
とにかく祖母には98歳まで生きていてほしかったのです。
そして祖母がその年まで生きていてくれれば、祖母の亡骸を見るのはつらいから、自分は34歳、そこで人生を終えようとすら思っていました。
当時5歳くらいのこどもだった私がこんなことを考えていたなんてびっくりしてしまいます。それからなぜだか、自分の34歳という年齢にどうしてもとらわれるようになってしまいました。

自分が34歳くらいになれば、どんなつらいことも受け入れられるかもしれない。それとも、34歳まで生きたら自分で人生を終えることも考えようか。いやいや、そんなことしなくても、大きな病気になって死ぬかもしれないな。そうじゃなくて、何か大きな出来事が起きるかもしれないな。
などなど、このような変な思想が湧き上がり、年を重ねてもずっとずっと頭から離れることはありませんでした。



20代の後半に差し掛かり、こどものころから毎年引き継いできた変な思想が色濃くなってきた29歳の1月、祖母はなくなりました。93歳でした。

十分に大往生なのですが、やはり私はショックが大きすぎてふさぎ込み、たった1時間半という勤務時間での保育園の仕事に復帰するのにも半年かかり、引きこもりから脱するのには2年かかりました。そして34歳になった今でも夢に見るし、もしかしたら帰ってくるんじゃないかと考えてしまっています。自分が何歳になったって、身近な人の死は到底受け入れられるものではありません。何年たってもそれは変わりません。


しかし今年というのは、新型コロナウイルスで世界中がパニックに陥り、ワクチンや特効薬がないせいでもしかかってしまったら隔離され、誰にも会えないまま最期を迎えるかもしれないという不安と恐怖に押しつぶされそうな日々を過ごすこととなってしまいました。


今年で祖母が亡くなって4年になります。
こんなことを言うのはとても不謹慎で申し訳ないのですが、コロナ禍で今も不安が渦巻く中、祖母がいなくて本当に良かったと思っています。
祖母がもしまだ存命で家にいたとしたら、介護疲れでフラフラであっても自分がウイルスを家に持ち込んでしまうかもしれないと怯えながら、必死で毎日消毒をしなくてはいけなかっただろうし、デイサービスや老人ホームを利用していたとしたら、そこでの感染が怖くて、おちおち預けていられなかったと思います。
コロナ禍になって、ようやく私は祖母の死を納得し、受け入れることができたのです。自身が34歳。4年もたってやっとです。


不思議なものです。
こどもの頃に未来がどうなっているかなどわかるはずがないのに、その年に何かある、その年になれば受け入れられるようになる、そう考えていたなんて。

病気になったり自分で人生を終えるという事態にはなりませんでしたが、実際に世界を揺るがす大きな出来事が私たちを襲い、そのせいで物事が大きく変わり、時代が急速に進み、人生の送り方にすら変化を求められるようになりました。

無理やりなこじつけにはなりますが、こどもの時の私はこのような時代の変化をもしかしたら予知していて、34歳の年が人生のキーポイントになるんだと、ずっと考えさせてくれていたのかもしれません。
どうしてもそう思えてしまいます。


おばぁちゃん ありがとう。
私をいつも見守ってくれていた方々 ありがとう。


人生において次のステップを踏みます。

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