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どんな経営コンサルタントか?

現在は㈱アバージェンスという経営コンサルティング会社で、ディレクターをしています。コンサルタントとしての経歴は17年となりました。ちょっとこれまでの経歴を少し紹介させて頂きます。

ざっくりの略歴

岐阜県岐阜市出身⇒横浜国立大学工学部⇒大明株式会社(2年8ヵ月)⇒米ジョージア州立大学MBA⇒プラウドフットジャパン㈱(8年)⇒㈱シグマクシス(4年)⇒PwCコンサルティング(1年)⇒㈱アバージェンス 4年

自己紹介

書籍との出会いから即留学を決意

社会人になってから、最初エンジニアをやっていました。携帯電話の基地局の関連する設計業務、無線機の調整業務や現場監督業務。仕事は面白かったけども、その当時の先輩を見ていて、凄く優秀なのに、給料が自分と殆ど変わらなかったことに違和感を感じた。「自分も5年後にそうなる可能性が高いな。それでいいんだっけ、俺」と。

そんな中、衝撃的な書籍と出会った。大前研一さんの『サラリーマンサバイバル』

”これからサラリーマンが生き残るには、①財務、②IT、③英語が必要”

と書かれていて、「自分はどれも持っていない」と本当に焦った。また、そこには”MBA”という知らない言葉が出てきて(20数年前のエンジニアだった人間には縁のない言葉だと思ってください)、

”米国のビジネス界ではMBAが成功するためのパスポートになっている”

と。早速、MBAなるものを調べて、貯めたお金を全部つぎ込んで、MBA留学をすることを決意。その時はまだコンサルになろうとは思っておらず、ただただ危機感の方が強く、ビジネス知識や思考を身に着けたいという気持ちの方が強かった。ちなみに当時の英語力はTOEIC420点くらいだった。方向性が見えたら、行動をするのが早いのは自分の長所かもしれない。

まずは英語脳創り

英語力がまるでなかったので、カナダのバンクーバーにまず語学留学。早く英語力を高めたいと思っていたので、日本語を日本人とも話さないと決めていた。その当時のバンクーバーは、日本人や韓国人の語学留学生が多く、アジア人同士でつるむことも多かったけども、私は「英語しか話さない」を貫き通した。その効果もあり、3ヵ月で、TOEICは700点を超え、半年ぐらいで900点を超えた。また、次第に日本語に訳さずに、英語を聴いて、英語で考えて、英語で話すという回路が出来上がっていき、ついには英語で夢を見るようになった。日本の中学や高校や大学の英語教育に何年かけても、聴けない・考えられない・喋れないが、半年でできるようになった時には「日本の英語の教育方法は間違っている」と感じたものだった。

刺激だらけのMBA留学

米国での留学は非常に刺激的だった。ポイントは、①論理的思考、②議論、③人脈作り

正直、”論理”なんて言葉をあまり聞いてこなかった自分は、非常に苦労をした。「帰納法?、演繹法? 何それ」って感じ

また、ケーススタディがその当時は主流で、資料を読み込んできて、クラスでディスカッション。しかも発言しないと評価が下がる。自分の意見を主張することの難しさ、相手の意見を聞いてそれに上乗せの議論をすることの難しさを痛感した。結局、「自分には意見がないんだ」と。

人脈については、それなりに野心のある方が集まっているし、クラスのグループワークがあったので、自然と交流が増えていった。自分は、日本では人見知りだけども、海外ではあまり気にしないという特性があることも新たな発見に繋がった。今でもハンガリー、アメリカ、インド、台湾、中国、韓国、タイのクラスメイトとは交流が続いている。

もう一つ。戦略の教科書に大前研一さんが出てきたのに驚いた(自分が知らなすぎだったのかも)。しかも図書館にも大前さんの書籍があり、大前さんの本や記事を読み漁ったのを覚えている(もちろん英語)。その頃から、大前さんのように経営コンサルタントになりたいと思うようになった。

経営コンサルとしての原点

日本に戻り、晴れて、経営コンサル会社に入社。コンサル会社では、求められる水準の高さに圧倒されながらも、仕事ができる・尊敬できる集団にやりがいを感じた。

ただ、最初の上司に言われたのは

”MBAなんてこれっぽちも役に立たない”

と。でも本当だった。何にも役に立たなかった。最初のプロジェクトが、『10年間赤字の事業所を黒字化』。しかもたった2ヵ月で。ホントに自分には何も引き出しがなかった。それでも、熱量はあった。1週間まるまる睡眠しなかった時もあったけども、たった一つの武器(熱量)で勝負した。分析・観察・施策・行動・成果を短期間で事業所メンバーと一緒にぐるぐる回した。その結果として初めて単月黒字化を達成し、コンサルタントとしての良い体験はできた。ただし、「自分が貢献したな」と胸を張って言える状態ではなかった。先輩方の貢献によるもの大きかったから。

その次のプロジェクトが米国にある日系企業の工場の建て直し。初めての工場、初めての英語での仕事にワクワクとドキドキで胸が一杯だった。私の役割は、工場設備のダウンタイム(故障停止やチョコ停)の半減だった。当然のことながら、何をどうしたらいいのか分からない状態からのスタート。本を読み漁り、現場を観察しまくり、現場の管理職と議論をしまくった。朝のチームMTGが終わると、夜のMTGまで現場にいて、観察・分析をし、管理者と議論をし、対策行動を決めていった。その時に分かったのは問題には現象と原因があるということ(コンサルタントとして大丈夫?という感はあるけども)。現場でやっていたのは現象への対処療法だけだった。だから、原因を掘下げて、根本対策を打って、再発防止をするということを徹底してやった。技術的な領域だけども、論理的な繋がりは確認できたし、相手に考えさせることはできた。それでも最初は上手くいかない。なかなかダウンタイムが減らないので、上司に追求された時もあった(⇒助けてはくれなかった笑)。でも、自分の中ではアプローチは間違っていないとも思っていた。そして、根本対策を打ち続けていたある週、突然、ダウンタイムがガクンと減った。やっと「キタ~!」と。その後は、減っては増え、減っては増えを繰り返しながら、最終的に半減目標は見事に達成した。それも嬉しかったけども、一番嬉しかったのは現場の方々から掛けられた言葉。最初は反発していた方も最後には

「あなたが現場に来てくれてありがとう」
「工場に行ったら、俺の仕事がなかったよ、ダウンタイムが減ったからね」

と言われ、めちゃくちゃ嬉しかったし、それが私のコンサルタントとしての原点になった。

現在と将来

ずいぶん端折ってますが、コンサルタントして、様々テーマを扱ってきたし、今でも扱っている。営業力強化や製品開発の生産性向上などの「オペレーション改善」、従業員のモチベーションを高めるための「職場活性化」、新たなビジネスを生み出していく「新規事業創出」など。今は自分ががっつり入ってやるというよりは、他メンバーに任せて、スーパーパイザー的な位置づけで関わることが多くなった。

http://avergence.co.jp/

という本業もやりつつ、今はオンラインサロン「右腕倶楽部」のオーナーとして、様々なビジネスパーソン(社長、管理者、一般社員、フリーランスなど)の悩みや課題を『皆で解決しよう』というオンラインコミュニティを運営しています。コンサルとは違った側面があり、非常に熱量を持ってやっています。

ご興味がある方は気軽にご参加ください。

https://lounge.dmm.com/detail/1830/

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