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『「電のバリエーション」のバリエーション』

「電」という漢字の成り立ち

漢字書de現代アート作品、今回は「電」です。

例によって、まずはその文字の成り立ちから!

白川静 新訂「字統」 P658

「電」という字はもともとは、いなづま、いなびかりのことを指していました。
近代になって電気が発明(発見)されて、それにこの字を当てられるまでは。

そう!いわゆる「電気」の意味でこの漢字が使われるようななったのはつい最近のことなのです!!

雨かんむりは気象のことに関係していることを表す符号のようなもので、その下部は「申」が屈折した形。
そしてその「申」こそが「電光・稲妻」のことを指していたのです!

白川静 新訂「字統」 P484

「申」には「かみ」の意味もあります。
太古の人々は、雷の轟きやいなびかりという自然の驚異に畏れをなし、それを神鳴り様、雷様と崇めたのでしょうね。

今でこそ稲妻やオーロラ、蛍光灯などが、電子とイオンの化学反応であるプラズマという現象によるものだということは知られてはいるけれど、「申」の元々の字(甲骨文・金文)から、その遥か昔に稲妻が「陰陽」のなすところであるということが分かっていたんだ!ということが見てとれるところがとても興味深いです。

漢字って、ホント太古の人のものの見方、捉え方をその文字というカプセルの中に保存し、時を経て今に伝えてくれているんだなぁって思います。

漢字「電」の説明はこの辺にして、「電」をモチーフにした自作品の話に移りたいと思います。

新作『Telepathy  - 電』

では、なぜ「電」なのか。

それは冗談でも、大袈裟でもなく文字通り「電光石火」の如く、突然脳裏に浮かんできたのです。
それ以前に、他にもモチーフにしたいと思う漢字のアイデアはいくつもあったんですが、なかなか作品にするまでに至らずにいたそんな時、急に私の脳裏に現れた新入りが先客の漢字を押しのけて、一番手前に躍り出たのです!

以前にも自身の作品の作り方を述べている記事でも書いたのですが


そうやって時折り、日常生活の中でふと浮かぶ言葉が漢字となって脳裏に映し出される時があるのです。

考えて考えて浮かんだというのではなく(もちろん思いつきたくて考えたりはしますがその時に出てきた試しはありません)、何か他のことをしていたり、ぼーっとしている時にそれは降りてきます。
そして、その漢字に思いを馳せていると、「んんっ!?」と何かにピン!ときて、その原因を確かめようと分厚い字書を開き、一人でふむふむ!それでかぁ、ととても納得した気分になるのです。

それは、その漢字の成り立ちを知るとその文字が象徴している(していた)ことと、自分が日々漠然と思っている現代社会のことやそこに生きる人々のあり様とがシンクロしている!ということを確認できるからなのだと思います。

そうなると後は、そのうつろいやすく朧げな脳内の風景を、紙の上に墨と筆(時にはiPadとアイペンシル)で書き出して作品を創っていくのみなのです。

「電」という文字と、私の日々の感情・思考とがどう関係しているのか、それは作品画面と作品ステイトメントで感じていただけたなら、と思います。

『Telepathy - 電』
2024年
墨・紙
50.5cm×90.5cm(作品サイズ)
132.5cm×111.5cm(軸装サイズ)
ART SHODO THIRTY-THREE in三鷹 2024/4.12-14出展作品

【作品ステイトメント】

かつて『電』とは「いなづま・いなびかり」のことであった。
近代に入りelectricityが発明(発見)され、それにこの字が当てられるまでは。

太古の人々が雷の発光や轟きに畏れをなし神格化したかの如く、私たち現代人は日々の生活を驚異的に便利にした電子機器たちを崇め奉り、すっかり依存しきって生きている。

しかし、私達の体の中にも電子が存在し電気が流れている。
この肉体をデバイスとし宇宙に無尽蔵にある電子を媒体に、もっと自由にいろいろなモノと交信することは可能なのではないだろうか、などと時折りSF的な想像をしてしまう。

昔ながらの以心伝心という言葉を思いながら『電』の字を書いた。

※  「電」の下部「申」はもともと稲光のことで、それが屈折している形状。
  雨冠は気象と関係があることを示すメタ記号。

最初の非文字書『電のバリエーション』

「電」の作品を創ろうと、あれこれ試行錯誤していたある時、これまた「あっ!!」と電気が走りました。
それは過去に「電のバリエーション」という有名な書作品を遺した先達を思い出したからです。

その方の名は比田井南谷という主に戦後活躍した書家です。
南谷の父は比田井天来といって、現代書道の黎明期に「書は芸術である」と主張し新たな世界を開いた大先生。

その跡を継いだ南谷が第二次世界大戦直後に、長い書の歴史の中で初めて文字を書かない「非文字」の書作品を制作したので有名なのですが、それが次の『電のバリエーション』という作品なのです。

心線作品第一・電のヴァリエーション(1945年)

比田井南谷オフィシャルサイト
心線の芸術家比田井南谷より
https://www.shodo.co.jp/nankoku/life/isthissho/isthissho-02/


すごくユーモラスで私はとても好きな作品です。

この比田井南谷は、今年の香港バーゼルというアートフェアで、日本を代表する前衛書家の一人としてその作品が紹介され、没後45年を経て更に話題を呼んでいる人です。

昨年1月、東京の神楽坂にある√k(ルートk)というギャラリーで南谷生誕110年を記念して展覧会が開催されたのですが、そこに足を運んで沢山の南谷の肉筆を拝見できたのはとても良い経験でした。

そんなえら〜い大先生と同じ文字をモチーフにするのは畏れ多いことなのですが、思いついてしまったものは仕方ない。

偶然にも(頭の片隅に南谷のこの作品のことがこびりついていたから、という可能性も拭い切れないかも)、取り組む文字が同じ「電」であるとしても、比田井南谷と滝沢汀では全くアプローチというかコンセプトが違っているのです。

戦後の新しい書の形を模索して生まれた南谷の「電のバリエーション」は、「電」とはいっても書かれているのはその文字の一部(電の下の部分)であり、尚且つ文字の意義性とは関係なく、筆跡のおもしろさや全体のバランスを目論んだ図形的連関として創られた「非文字」の作品であり、

一方、自作品「Telepathy -電」は、漢字本来の意味とその形(成り立ち)に重きをおき、その一文字一文字、全て違う書き方で複数の「電」の字を書いて現代社会とリンクさせていくというスタイルの「文字を書いた書作品」なのです。
絵の様にも見えるらしいですが・・・

ということで、ここからあと暫くは「電」のバリエーション、いえ、比田井南谷にリスペクトの念を持って『「電のバリエーション」のバリエーション』作品(非文字ではない、という意味でのバリエーション)を創っていこうと思います。

「電」の字が私にビビビッと新たなインスピレーションを送り続けてくれる限り・・・

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