見出し画像

火曜日の午後

『2020』というnoteを書いたのが1月5日。あれから約3か月。あの頃の私は今の世界を、今の私を想像していただろうか。

未来なんて予想出来ない。そんなことは頭で分かっているし、一年前の自分は今の自分の姿を思い描いていなかったことも自覚できる。でも人はその計り知れない未来の姿を、未来の尊さを、自らや自分のまわりの時制の変化だけでは感じられない。人間は心がけ次第で変わらない日常を過ごすことが出来るし、季節は巡る。同じような毎日を繰り返して知らないうちに歳を重ねているという人もいるだろう。

でも、世界が変わったとき。人はやっとそこで未来の尊さを、未来があるという尊さを感じるのだろう。

“自粛ムード” 

新語流行語大賞にノミネートされるであろうこの言葉を毎日耳にして生き、街を歩けば世の中の人間が全員花粉症なのかと思うようなマスク姿。目元だけで見れば三割増しなのだというから、マスクマジックで恋が始まらないだろうか。人数もまばらだから、すれ違いざまに目が合ってずっきゅんなんてことになるかも。

そんなアイロニーで溢れた言葉も、笑いも、アイデアも、そっと胸にしまって家にこもっていることしかできない。こんな未来を誰が予想できただろうか。

3月上旬。コロナウイルスが静かに私たちの隙間に入り込んできた頃、私は新しい仕事を始めていた。『2020』にも書いたこの仕事は、私の人生のターニングポイントとも言えるベトナム旅を終えてめぐり逢った仕事だ。ベトナム語と日本語の通訳がいなければ成立しない時間で、英語が話せるベトナム人と出会い、はじめて日本の土地以外で自らの言葉で会話できる喜びに味を占め、英語を仕事で習得してしまおうという魂胆であった。

朝日にしては個人情報を晒さないではないかと思われてしまいそうだが、このnoteを書き進めるにあたって最低限必要な情報のみを言うとすれば、空港での仕事だ。(空港という場所に魅了されていたことも一つもきっかけである)

私は12月に採用が決まってやっとはじまる研修に胸を高鳴らせていた。新しい生活に、本業やレッスンも組み込んで、特別な2020への道がキラキラと輝いていた。

それが一転、ターミナル閉鎖。研修の段階からコロナの影響で出勤日数が減っていき、営業が始まっても欠航で会話するゲストの姿は見えないため、自粛要請と共に私の仕事も休止となった。

キラキラ輝いていたはずの2020はバラバラと音を立てて崩れていくようだった。尊敬する上司に会えない。話すゲストがいない。レッスンもヨガも銭湯もやってない。友達にも会えない。そこまでは自分の快楽を脅かされているところまでで留まるが、仕事が無くなり感染者数が増え続けるニュースに触れ、コロナに感染すること自体 “明日は我が身” となってしまっては自分の生活まで脅かされてしまう。空港で働いている私が保菌している可能性は人よりも多いのではないかと思われることが怖くて、容易く人に仕事の話はできないし、その可能性を考えたら実家にも帰れない。

あれ?早めに生理来る?とPMSを錯覚してしまうほどの精神的苦痛にさいなまれた。リモートでもいいから仕事をして忘れさせてくれいいいいいい!!と頭を抱えた。


はたと気づいた。私は仕事は出来ても生活ができない。いや、仕事をしながら生活は出来ても、生活をするのみでは生きていけない。いやいや、仕事のない生活ができない人間なのだ。

芸能活動やバイトを始めて7年。16歳から6日以上の長期休みを取ったことが無かったのだ。自分でも驚愕した。休めないのだ。どこを探しても、朝日美陽の辞書に“長期休み”という言葉が載っていないのだ。コロナの自粛ムードでの精神的な落ち込みよりも仕事ができないことが原因での精神的落ち込みがひどかった。

“生活が出来ない”を言い換えれば、仕事のない生活を送れないということだった。


今しかないと思った。生活をしてみるチャンスだ!


割と綺麗好きな私は休みになると掃除はしたが、必要最低限のものしか家には置いていなかったため、ものをそろえるところから始めた。バスマットやシャワーカーテン、グラス、あらゆるもので代用していたキッチン用品。掃除道具などなど。日本は便利グッズで溢れている。百円ショップが天国に思えてきた。

“食べられればいい” や “ダイエットのため” ではない、“おいしく食べたい”自炊をした。料理にかける時間と調味料が増えた。

好きな本や映画に触れた。好きなことを仕事に直結させた私はこれらで頭をフル回転させてしまうため、休みの日はやってこなかったことだ。今は仕事をしてないから活力になる。

好きな化粧や髪形をした。TPOや見られ方、“朝日美陽” になるためのものではなく、ただ好きな自分になるための着飾り方をした。アイシャドウの色が変わった。


私は、仕事がないと生きられない人間で仕事のために生きていると思っていた。私の人生はマズローの五段階欲求でいう最上級に位置した自己実現欲求で溢れていて恋愛よりも家族よりも仕事が一番。だから卵子が古くなったり出産子育てでキャリアを中断させなければならなかったりする女性に生まれたことを時々恨むことがあった。(私にとって結婚出産は成し遂げたいことなのだ)

でもコロナによって五段階欲求の第一・第二欲求が脅かされようとしている今、私はこれらの欲求を満たし生きることの楽しさを知った。


それは、ベトナムで過ごす時間と似ていた。おいしく食事が出来て、掃除をして人と元気に挨拶が出来て、メイクや髪形を楽しめる。ただ生きることに感謝できる時間。そこでは、仕事だと思っていた映画や本が生活を鮮やかに彩るスパイスとなった。


未来があるという尊さを知ったいま。

仕事をしていない自分を愛せるようになった。この生活を送れるこのタイミングは、神様がくれたプレゼントだと前向きにとらえられてた。

生憎、補償のある空港職員になった今はコロナで破産寸前の人があふれる中、仕事に追われていた時よりも裕福なのだ。おかしな話である。

世界が元通りになるにはきっと時間がかかる。もしかしたら元通りなんて言葉自体、人間に当てはまることはないのかも知れない。でも確実に言えるのは、この神様からもらったプレゼントを私の生きる未来で無駄にはしないということ。強烈に感じた生活できる喜びを風化させないで生きていけることだ。


今日という日を生きていることに最大の喜びを感じ。

また仕事をして沢山の人に会い、様々な場所へ行けることを夢見て。


今日もご飯を炊くことにする。

料理の腕がますます上がる火曜日の午後。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?