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卒園しました。

我が子が幼稚園を卒園した。
約4年間通った馴染みの場所をついに旅立つというのは、やはり感慨深いものである。
せっかくの機会なので、少し幼稚園生活を振り返りたいと思う。


誕生日が比較的早い時期に来る我が子は、年少になる約一年前、満3歳クラスから幼稚園に通い始めることにした。
我が子がそれまで普段関わってきたのは祖父母、曾祖母などの大人ばかり。公園に行けばその場で出会った子と遊ぶことはあるが、特定の友達はいない。私が比較的早く子を産んだこともあり、同世代で子持ちの友人なども少なかった。子どもの集団に入った経験があまりに少ないのが少し気になっていたので、満3歳クラスというものを知ってすぐ、これは3歳になったらぜひ行かせてみようと思ったのである。

何回か園の開放日に遊びに行き、入園を申し込もうと思ったものの、我が子はまだ一向におむつが取れそうにないのが気がかりだった。そんな私に、当時の園長先生は笑って言った。

「卒園までにはみんな取れますから、大丈夫ですよ」

年少まで、とかじゃなくて、卒園まで。
私も笑ってしまった。それならまあうちの子も大丈夫だろう。そのおおらかさが最後の決め手になった。ここなら子どもをのびのびと育んでくれるような気がしたのだ。

誕生日の次の月曜日が我が子の最初の登園日だった。
少しでも楽しい気持ちになるようにと、園グッズは当時我が子が何より好きだったアンパンマンで統一した。(この頃はアンパンマンへの熱中を卒業する日が早々来るとは想像もつかなかったのである)
背負ったリュックが大きく感じて仕方ない。まだよくわかっていない我が子よりむしろ私の方がドキドキしながら、幼稚園の門をくぐったのを覚えている。
最初のクラスメイトはたったの5人。対して先生2人。人数は段々と増えて年度末には30人近くなり教員も増えると聞いていたが、初めて集団生活というものに触れる我が子には少人数からのスタートが有り難かった。

初日は意外にもすんなり登園し、泣くこともなく帰ってきた。「がんばったね!」と声をかけると「たのしかった!」と返してくれた。
しかし数日して「もしや毎日母と離れてここへ通うのか」と気付いたらしく、朝のお別れに泣くようになった。ぐずる我が子を置いていくのはやや気が引けたが、帰ってくるといつも「たのしかった」と口にしてくれるのが幸いだった。そのうち読み聞かせてもらった本や覚えた歌、手遊びを教えてくれるようにもなり、我が子なりに園生活に馴染んでいっているのが伺えた。

3歳なんてまだまだ小さい。クラスメイトがいるとはいえ、始めは皆個々に好きなことをして遊んでいる、という感じの印象を受けた。
それが、時が過ぎるにつれ、徐々に“おともだち”という関係を築いていくのが面白かった。少しずつまとまって一緒に遊んでいる姿を見る機会が増え、おともだちの名前が家でも出るようになり、年度末に近い頃になるとちょっとしたルールのある集団遊び(椅子取りゲームなど)もできるようになってきた。
心配していたおむつについても、一年が過ぎる前に完璧にとれた。お友達が「おねえさん(おにいさん)パンツ」(普通のパンツのこと)を履いているのに憧れて徐々に自分もパンツを履きたいと思うようになったらしい。トイトレに積極的になり、それからはあっという間だった。幼稚園様々である。

そんなこんなで驚くほどの成長をした我が子もついに年少、いよいよ本格的な園生活!と意気込んだ出鼻をくじいたのが新型コロナウイルス感染症の蔓延である。
入園式の翌日、たった一日登園しただけで幼稚園は臨時休園に入った。

季節が春で過ごしやすい時期だったのが不幸中の幸いだった。
幼児とずっと家で過ごすというのは難しい。体力を使い切れなければ食事や睡眠のリズムすら整わないからだ。近所の公園に顔を出したり、人が多そうな場所を避けてお散歩をしたりして毎日過ごした。しかし日中子どもが幼稚園に行くのが当たり前になっていた日々が突然なくなったのは精神的にかなりまいった。あとまだ仕事をほんの少ししかしていない頃だったので本当によかった。今くらい働いてたらどうしようもなくて詰んでたと思う。

しばらくののち幼稚園が再開してホッとしたが、行事はそのほとんどが縮小になった。保護者の参加は1名か2名。中には保護者の参加無しになった行事もある。直前で感染者が出て中止になった行事もある。
話を聞くとどうやら他の園よりはかなり色々頑張ってくれていたようだったが、それでも例年通りとはいかないことばかりの3年間になった。これはあまりに想定外だった。

それでも子どもたちは無邪気である。
限られた行事でも全力で楽しみ、黙食が推奨されればジェスチャーやアイコンタクトでコミュニケーションを取り、マスクの着用基準がコロコロ変わってもちゃんと順応して生活していた。

年中では「お兄さん、お姉さんである」という自覚が芽生え始めた。まだまだ小さい子どもたちが下の子たちに優しく接している姿は、本当に微笑ましい。自分で出来ることも増えてきて、朝のお支度を手伝うことはほとんどなくなった。それでも、送っていってお別れの時にはちょっぴり泣きそうな顔をするのが可愛かった。

そして年長はやっぱりすごい。最上級生という自覚は子どもたちを一段と成長させるようだった。
登園したら提出物を出し、着替えて、所定の場所に荷物を置く。満三歳クラスの子がもたもたしていれば世話を焼きにいくし、先生のお手伝いも一生懸命やる。生活のルールを覚え、友達と協力して何かをするということにも積極的になった。運動会では負けて悔し涙を浮かべる子もいた。時に喧嘩をしながらもたくさんの子と交流を深め、特に仲良しのお友達も何人かできた。
すっかりお姉さんになった我が子と、幼稚園に入ったばかり頃の我が子の写真を見比べると、それだけでなんだか感無量になってしまう。
それでも、朝のお別れにハグは欠かせないし、私が見えなくなるまで一生懸命手を振ってくれるのだけは最後まで変わらなかった。甘えん坊で困ってしまうが、同時にとても愛らしい。卒園前の最終日には思いっきり抱き締めた。

話が少し変わるが、PTA活動もコロナ以降かなり縮小されてきた。
親としては負担が減って助かった面もあるのだが、実は園としてはこれはかなりの大ダメージである。問題は、蓄積されてきたノウハウが継承されないということ。今年度は一部なくなっていた行事を少しずつ復活させる動きも出てきたのだが、何せ丸々2年何もやってこなかったので経験者がほとんどいない。残されている資料を見ながら試行錯誤の運営となり、揉め事もそれなりにあったそうだ。私自身は比較的巻き込まれずに済んだ平和な部門に所属していたので風の噂にそんな話を聞く程度で済んだのは助かったが。
これは、小学校などでも起きている問題らしいというのは知人から聞いた。続いてきたものが途絶えるというのは、思った以上に恐ろしいものである。


さてそんなこんなで卒園式当日。
泣くだろうと思っていたが、意外と凪いだ気持ちのまま最後まで見てしまった。それでも、なんだかいい感じの歌を皆で歌っているところを見ると周りにつられて少し目頭が熱くなった。

幼児の4年間というのは本当に大きな時間だ。赤ちゃんに毛がはえた程度だった小さな子が、まもなくランドセルを背負って一人で学校に通おうとしている。本当に多くのことを学び、成長した4年間だった。その日々を温かく見守ってくれていた園に別れを告げるのは、やっぱり寂しいものである。

次のステージは我が子にどんな経験と成長をもたらしてくれるのか、不安もあるが期待に胸を膨らませて待つとしよう。

我が子よ、卒園おめでとう。
小学校生活もどうか楽しくなりますように。


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