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ブラック企業で働くあなたに伝えたいこと ‐人間は籠の中の鳥ではない‐

私は「日本人は高望みをしなさすぎだ」と常日頃思っています。
与えられたもので満足することを覚えすぎている。飼いならされた鳥が自ら鳥籠に戻っていくように。

人間には誰しも、自分の幸福を追求する権利があります。
つまり、飼い主はほかのだれでもない、私たち自身なのです。


「子供2人を育てられる給与と環境」を社員に与えない会社は滅ぼすべき

単純な話が、雇用条件に大卒以上の学歴を設定するなら、企業はそのひとの子供2人が大学に行ける程度の給与と福利厚生を与えないとおかしいんですよね。
そのひとが結婚しているかいないのか、お相手が働いているか専業主婦(夫)かにかかわらず。

だって、そうじゃないと人口、減少していくじゃないですか。

この場合の「子供2人が大学に行ける程度の給与と福利厚生」というのは、
たとえば給与が低い代わりにフレックス制でコアタイムなしとか、福利厚生は薄いけど代わりに家事代行雇えるくらい給与高いとか、相互補完は可能だと私は考えています。
その会社で働いている人が1馬力で子供2人を養えるならOK。

「子供2人が大学に行ける程度の給与と福利厚生」を与えないで雇用を続ける企業は、
正当な対価を払わず、社員のパートナーの親か会社か、税金を使った政策か、はたまたその全部かにタダ乗りしてるに等しい。なので滅ぼすべきです。社会にとって害悪なので。

で、大事なことなんですけど
「自分と同じ能力の子供を2人育てられる」は、社会の持続可能性を考えると、等身大すぎてむしろもうちょっと望んでいいよ?ってレベルの望みなんですよ。
この程度の給与なり福利厚生に、努力とか、本来求めちゃいけない。

なんなら「子供2人」しか育てられない程度なんだったら
全員が子供産むわけでも産めるわけでもないし、人口維持するにはちょっと足りないんです。全然、高望みでもなんでもない。

「普通」って、本来はもっと望んでいいこと

日本は「失われた30年」という、資本主義始まって以来の、完全な政治の失敗による不況を長いこと味わってきました。
なんならアラサーの私は、「失われた30年」の時代しか生きてないので、政治が機能していた時代を知りません。

その終わりの見えない不況に際して、多くの日本人は、「普通」のレベルを下げることで順応してきました。

「自分と同程度の能力の子供を2人育てられる給与と福利厚生」とか、たぶん私たちの世代にとっては、言うのも憚られるレベルの贅沢なんじゃないかと思います。

でも、これが「贅沢」になったのって、本当にこの30年間の日本だけ

親世代はむしろそれに加えて、年1回家族旅行しても老後の不安とかなさそうでしょ?

海外では今も、「自分と同程度の能力の子供を2人育てながら年1回家族旅行して、65歳でリタイアしても老後資金が十分蓄えられる給与」が標準です。アメリカのスタバのバイトは時給2500円で「生活できない」って言ってストしてます。

タダ乗り企業の滅ぼし方

じゃあ、どうすればいいのかっていうと
転職です。

できれば、同僚と一緒に辞めると吉。
働き手がいなくなれば企業は倒産します。

で、辞めたあとは、その企業の製品は金輪際買わない!って、周りにも言いふらすと尚良しです。

いいですか。
給与水準というのは、企業がこちらの意図を汲んでうまい具合に設定してくれるものではありません。
企業と労働者の妥協ラインが交わるところにあるのです。

給与水準をあげるには、労働者、すなわちあなた自身の妥協ラインを引き上げること。
企業側と交渉の余地がないなら、転職一択です。
妥協ライン以上を提示してくれない場所では働かないこと。

大事なことなのでもう一度言いますが
実際に産む産まないにかかわらず、自分と同程度の能力の子供2人を育てられない給与と福利厚生しかくれないのであれば、それはその企業が社会にタダ乗りしてるのと同義です。

この考え方は、給与以外にもあてはまると思っています。
あなたを搾取する人や場所に、あなたが黙って従ういわれはどこにもない。
日本国憲法はすべての人に幸福追求権を保証しています。

あなたは籠の中の鳥ではない。翼をもった、生き物なのです。
そのことを忘れないでください。


『書く習慣』内で紹介されている、1ヶ月書くチャレンジに挑戦しています。
今日はDay26 ♯今日1日にあったモヤっとしたこと について書きました。

書く習慣

Day16まではInstagramのハイライトから見れるので、お時間あるときに読んでもらえると、とても嬉しいです。

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