私が育った街について

ここじゃない世界に行きたかった 塩谷舞著


近所に住んでいた塩谷家の舞ちゃん。彼女が綴る、東京 大阪 ニューヨーク、三拠点での生活。まさに私も、この三都市が自分をつくったと思っている人間。だから、どうも他人事とは思えないエッセイになっている。

舞ちゃんの書いた本を読んで、故郷がとても恋しくなった。そして自分のことを書きたくなった。

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私も舞ちゃんも大阪北摂の「千里ニュータウン」で育った。

当時のお互いの実家は徒歩30秒のところにあって、わたしが飼っていた猫ハナは、捨てられたところを舞ちゃんや近所の子どもたちに拾われ、はじめ彼らに公園で育てられていた。


当時塩谷家で飼われていた「ミヤ」が

 他の猫とは仲良く暮らせんと思う

というのが理由だったような気がする。とにかくハナはうちにやって来た。あの子に出会えたのは舞ちゃんがいたから。

そのあと舞ちゃんとお姉ちゃんと一緒に市民ミュージカルに出て、近所なので送り迎えをしてもらったり、小学生のころは塩谷家によくお世話になっていた。

千里阪急 子どもの頃はたまに連れてってもらうのが楽しみだった。


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東京に出てきて出身を聞かれると誇りを持って

大阪です!と答える。

大阪のどこ?と言われると、さらに誇りをもって

吹田です!と答える。

吹田インターチェンジあるよね?知ってるよ

と言われると、

太陽の塔が有名です!あの1970大阪万博の…

と被せる。

吹田市民の誇り!太陽の塔


子どものころ、自分の育った街が大好きだった。静かで緑が多くて公園が多くて、梅田まではたった30分!

世間が思うごちゃごちゃした大阪のイメージとはかけ離れた街。山や田んぼがあるような「いなか」ではないけど、商業施設やコンビニがたくさんある「都会」では決してない。あるのはただ家だけ。まっくらになるから夜道は少し危ない。

裏側もかっこいい


だからなのか、東京で初めて住んだ一人暮らしの部屋はスタバやマクドなど飲食店が立ち並ぶ商店街を抜けた先、夜でも明るい”東京っぽい”街。私の思う”都会”を感じる街。 

今も住んでいてとても気に入っているけど、子ども時代をこの街で過ごしたい、とは正直思わない。刺激は少なかったけど、とても良い環境で育ったんだなぁと思う。

今はなくなってしまった千里中央の複合商業施設‘’セルシー‘’


実家にちゃんと帰ることは少ない。お正月すらもこっちで過ごすことが多い。大阪や関西地方での公演は頻繁ではないけれどあって、そういうときに帰省はするけれども、仕事で帰っている故家でゆっくりすることもなかなかない。


だからなのか、新大阪に着いて、御堂筋線にのるだけでも気持ちは高揚してくる。そのまま北大阪急行に乗り入れたくらいにはスマホもいじらず故郷の景色を堪能する。千里中央に着いて、改札を上がる小さなエスカレーターの右側に並んだときは、毎回決まって幸福感がこみあげてくる。


やっぱり地元が好き。そして歳を重ねるほど、そういう感傷的な気持ちになりやすくなった。

 

でも、将来私がまたこの街で暮らすことは、おそらくない。


阪急バス 今思うと色が独特


舞台を目指すには、ニューヨークではなくてもせめて日本の中心、東京だという確固たる思いがあったので、四季を辞めて、消化不良の私に実家に帰るという選択肢はなかった。それも家賃やなにやらを援助してくれた両親がいたからこそのことだけれども。レッスン代と家賃を払いながら目指すことは簡単ではなくて。私は本当に恵まれていた。

そしてそのまま神奈川出身で東京ではたらく人と結婚してしまい、私が今後暮らす街は関東でほぼ決定的になった。


母は私が戻ってこなさそうなことをいつも寂しがるけれど、父は、私が東京で仕事があることを喜んでいるみたい。

大阪なんか帰ってこんでええやろ

と言う。

都会で働く娘に、何かを託しているんだろうか。


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「ここじゃない世界に行きたかった」

と思ったことは、たぶんない。育ったまちが大好きで、というか好きだとも嫌いだともなく何不自由なく千里ニュータウンで育った。でも自分の目標のために上京し、ニューヨークに何度も足を運んだりしているうちに、気づいたら今いる場所にいて。

ずいぶん遠くまで来たなぁと思うことが最近ほんとうによくある。新幹線でたった2時間半の距離なのに。


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今年は秋までに何回か関西での公演が予定されている。仕事で帰れるのはとても有り難いこと。なるべく友達に会いたいな。でも、両親との時間も大切にしたい。そうやってまた東京での生活と同じように予定を詰め込んでしまうんだろう。普段は封印気味の大阪弁を喋りまくるのが、今から楽しみ。

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