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名前や使命や縛りについて

星の数ほどの投稿がある中、
ご訪問くださりありがとうございます。

本来は、わたし「らしさ」なんてものはないとこちらで書きました。

わたし達もエネルギーであるとはよく耳にする言葉かと思いますが、そうであるならば、本来は実体がなく、どこからどこまでという境界線もないことになりますし、自分の想いや記憶だと思っているものさえもどうなのかと考えると、本当のところは怪しくなってきます。

これもよく聞く言葉ですが、わたし達は【名前】も自分で決めて生まれてきたと言われていますね。

カタチなきモノの名前を《決める》=《立ち位置を宣言する》=だから《形》として存在できるというわけです。
*この《決める》については、前回の投稿をお読みいただけると嬉しいです。

だから、【名前】=氏名は、【使命】を表すとも言われるのだと思うのです。

【使命】は、あると思えばあるし、ないと思えばないモノです。

なぜなら、名前を持って生きていること自体がすでに使命を生きていることになり、そもそもが誰も神な(みな)、自分の使命を生きちゃっているのです。

その音(名前)を響かせて、みな(神な・神名)生きています。

ただそれに無自覚か、自覚しているかだけの違いでしかありません。

《誰も神な》と表記した理由なのですが、スマホで「だれもみな」と打ったところ、予測変換で《誰も神な》と出てきたので、そのまま使ってみました。

【名前】は、本来はわたし《らしさ》などない《カタチ》なき自分を存在させるための【魔法】と思うか、視点を変えれば、【縛りや制限】とも言えるので、自分で自分にかけた【呪い】と捉えるかは、自分次第ということになりそうです。

そして、こちらで書いた、「龍神さんに名前を付けるともっと仲良くなれる」のはどうしてなのか?についてですが。

神様が先に存在していたわけではなく、その存在を信じる人がいるから存在できるので、カタチなきモノに名前を付ける=わたしの中の立ち位置を決めてあげることで、わたしの中でよりハッキリ現象化できるから、もっと仲良くなれるってことなのかなと。

余談ですが、映画『すずめの戸締り』に登場するダイジンが最初、やせ細っていたのは、そういうことかと思いました。

自覚していても自覚していなくても、信じる気持ちがカタチなきモノを存在させているのです。

それは、神様に限らず、「あなたってこういう人」「わたしってこういう人」もそうなのかもしれません。

ここまで書いていて、ふと「恐ろしきは、人の集合意識」との言葉が頭に浮かんだのですが(汗)、今日はここまでにしたいと思います。

今日は、おひつじ座新月ですね。
そんなタイミングで昨夜、嬉しいお知らせがあったこと、ワクワクすることがすでに始まっていることを自分への備忘録に。

みなさんも、素敵な新月をお過ごしください。


本当に望みさえすれば人生の再設定は可能です。
過去だって書き換えられる。
「あなたが見てる世界は、あなたが創っている」のだから。

読んでくださった優しい魂のあなたへ。
明日が来る「奇跡」に、全ての存在と出来事に、感謝を込めて。
大地と宇宙のエネルギーを取り込んで、わたしからのマゼンタ色の愛をミックスして送ります♡



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