文章を書くということ
「四十にして惑わず」
という言葉がある。
自分は何をしたいんだっけと思うくらいに、世間や周囲に基準を求めては、惑うことばかりだった30代。
振り返ると、「三十にして立つ」ために、私なりにもがいていたと感じる。
仕事、パートナーとの関係、結婚、出産といった、社会的に求められる姿や30代の理想の形のようなものを、知らず知らずのうちに意識していた。
(正確には仕事を始めた20代半ばから、その傾向はあった)
それだけでない、自分の考えや思いをじっくりと巡らせることを、止めていたと気付いて、ようやくそれを取り戻しているような、40代の直前の今。
例えば、本を、必要から読むのでなく、読みたいから読むこともできていなかった。
本だけでない、日々の多くを、必要から選んだり、必要に迫られてしていた。
こうして必要を言い訳にするくらい、世間や周囲に惑う私だった。
そんな30代の終わりかけ、去年くらいから、自分のやりたいことが見え隠れするようになった。
それは結構しょうもないことが多くて、そのしょうもなさも久しぶりで、新鮮で。
で、去年の終わり頃には「文章を書くこと」を目標にしていた。
10歳くらいに日記を書き始めていた私が、個人的な文章を書かなくなったのは、やはり30歳前後だった。
一度書かなくなると、なかなか書けない。
目標とした今年1月から何度もnoteに書こうとしたが、言葉が出てこないし、文章としてまとまらない。
なんとか書いても、変な文章だなと思って消してを繰り返し。
で、やっと今日は書き終えられそうだ。
もう書きたいように書けば良い、自然体でいいのだけど、まだ、ぎこちない。
文章を書くという目標には色んな含みがある。
書くために ーじっくりと考えたり感じたりしたい。
考えるために ー学びたいし、読書もするだろう。
読書のために ー落ち着いて読める時間や場所がほしい。
その全てを目標に含んだから、結構大変なのだけど、そのどれも今の自分が心から欲している。
文章を書くことは、私が私たるためのことのように思う。
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