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水引を結い始めたら、自分の生き方を見つけた話


こんにちは。mihoです。

noteを始めて最初に書きたかった

「未婚パートナー証明書でドイツに入国した日本人の話」を書き終え
(こちらの記事はコロナ収束で証明書が失効されたため、削除しました)

さて次は何について書こうか、しばらく考えました。

現在進行中のビザ関連やドイツ生活についても書きたいことがたくさんありますが、

やはり最初は水引について書きたいなと思いました。


なので今回は、肩肘張らず、ゆるめに、

私と水引のお話をしていこうと思います。

お付き合いいただけましたら幸いです。


(追記:そんなことを言っていたのに書き進めたらかなりの量になったので、お暇がある方は最後までお付き合いください。。)



はじめに

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noteの自己紹介では自分のことを「水引アクセサリー作家」とかっこよく名付けていますが、実は私自身そんな大層な者ではないんです。

水引を結い始めたのも、今年の4月から。

それまでは「水引」も「アクセサリー作家」もやっていませんでした。

それどころか自分で何かを作って売るなんて、全くの未経験。

いわゆる「ハンドメイド」の世界も知らずに、アクセサリーを買うと言ったら

H&Mなどに行って、5点で1000円ぐらいのイヤリングやブレスレッドを買って満足する人間でした。(今でもH&Mはよく行きます。アクセサリーも普通に買います。安いし、かわいい。)

そんな私が何で突然この職業?活動?を始めたのか。


それは今年の1月に遡ります。


水引との出会い

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私は九州のある旅館で短期の仲居として働いていました。ドイツ移住のための資金準備と、以前から伝統的な旅館の接客マナーを学んでみたいと思っていたので一石二鳥と思ったからです。

その旅館はかなり格式が高く、客室は13部屋しかない、いわゆる「高級旅館」でした。常連のお客様が多く、夕食時は仲居が着物で料理を一品ずつお部屋に運ぶような所でした。(ここで初めて自分で着物を着れるようになりました。それだけでもすごく貴重な体験。)


そしてまだコロナの余波が日本を襲ってくる前。

私は運命の出会いを果たしました。(ちょっと大げさかな。)


仕事にも慣れ、休みの日に近くのスーパーまで歩いていこうとした時。

寮のアパート前の路地に小さな雑貨屋さんを見つけました。

そこはいろんなハンドメイドのアクセサリーを少しづつ置いているお店で、

店内にはピアスやイヤリングのような装飾品だけでなく、おしゃれな鞄やキッズ向けのアイテムなど、幅広いジャンルの作品が並んでいました。

そして、

そこで私は一つのバレッタに目が釘付けになったのです。


何かの紐で作られたオレンジと白色のお花が3つ並んだモチーフに、透かしの入ったシルバーのプレートが添えられているバレッタ。

繊細な数本の細い紐で、複雑に結われた花の形に、

思わず「素敵」と声に出していました。

形やデザインもそうですが、綺麗に並んだ複数の紐が、柔らかいカーブを描いて5つの花弁を作っている。その整然とした美しさに、一瞬で魅了されたのです。


小さいお店だったので店員さんはすぐに私に気がつき、

水引で作られてるんですよ、これ

と教えてくれました。

それまで水引という存在、名前は知っていましたが、ご祝儀袋についている紅白の紐程度にしか思っていなかった私は、このバレッタがあの水引と同じものだとはにわかに信じられませんでした。

「かわいいですよね、ここにあるピアスやバレッタも、同じ水引作家さんが作った物なんです」と、

別な棚にあった色とりどりの、様々な形の水引作品を見せてくれました。

どれも本当に繊細で、複雑に結われた線の美しさを感じずにはいられませんでした。


多分、この時すでに私は水引の世界に惹きつけられていたんだと思います。


水引の魅力

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後で調べて分かったのですが、

水引はその昔、中国から来た縁起物にくくりつけられた紐がはじまりと言われています。(諸説あります。)

そこから、紐を結ぶことで「固く縁を結ぶ」という比喩として、

今でも結婚式やお祝い事、弔辞の際ののし袋等には欠かせないものとして添えられています。


そんな水引を使って作られたアクセサリー。

何だか本当に、見た瞬間「」を感じました。


ただ、残念ながらその日私は持ち合わせがなくそのバレッタを買うことが出来ず、次にお店に行った時、そのバレッタは無くなっていました。

でも買われたのは中国から来たお客様だと知った時、ああ、そっちにご縁があったんだなと何となく納得。


また少し時間を開けてそのお店に行くと、バレッタを作った水引作家さんの新作が並んでいました。

私はそこから、同じようにお花(「梅結び」と言うことをその時知りました。)で作られた、ベージュ色のヘアクリップを購入しました(写真。ここちよさんという作家さんの作品です。)落ち着いた色ながら、小さい小花も添えられていて、着物で仕事をする時にぴったりだと思ったのです。

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結局、買った次の日から旅館での仕事が終わるまで、ほぼ毎日この水引のヘアクリップをして仕事をしました。着けていると自分でも気分がとても穏やかになり、周りの仕事仲間にも「かわいいね。似合ってる。」とよく褒められたので、ますます嬉しくなって肌身離さず着けていました。

そしてその後もお店に通い、同じように水引で作られたピアスなど数点を迎え入れ、私の水引愛はどんどん溢れていったのです。



水引を結う

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こうして穏やかに、でも劇的に私の生活に「水引」が溶け込んできた頃。

私は予定よりも大幅に早く、仲居の仕事をやめなければいけなくなりました。

コロナで旅館に来るお客様が急激に減り、3月の中旬には私たちの仕事はほとんどなくなりました。そして4月の初め、私は実家がある新潟に帰郷しなければいけなくなったのです。

緊急事態宣言が出され、県を跨いだ移動、旅行などは制限され、世の中の空気的にも必要最低限の買い物などにしか行けないようになっていました。

いわゆる「自粛」ですね。

記事を読んでいる皆さんも経験済みかなと思いますが、私もこの自粛中、空いた時間に何をしていいのかさっぱりわかりませんでした。

最初は部屋の壁を一気に白に塗り替えてみたり、大幅に模様替えしたりと、流行りのDIYに手を出していましたが、

ある日ふと購入した水引アクセサリーを眺めていた時、


「そうだ。こんなに素敵な作品が生み出せるのなら、私も水引を結ってみたい。」


と思い始めました。

考えたら即行動タイプなので、その日のうちにネットで手ごろな水引のセットを購入、届いたその日にはyoutubeで作り方を見ながら自分で結っていました。

こうして私の水引を結う毎日が始まったのです。



必要とされる感覚

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色んな結い方を覚え、作品もいくつか作っていく中で、

次第に自分で身に付けるだけに飽き足らず、仲の良い友達にプレゼントしたり、自分の作品をmai_smという屋号を付けてInstagramで投稿するようになりました。


そのうち、もっと水引の魅力、アクセサリーにした時の美しさを別の誰かにも実感してもらいたいと考え、フリマサイトでの販売を始めました。

最初は作品を載せても殆ど売れませんでしたが、

いつだったか、お昼のテレビ番組で「ハンドメイドの飾り紐」が紹介されたことをきっかけにその日だけでピアス5点の注文が入りました。

これがほぼ初めての販売体験で、その時は嬉しさでかなり気持ちが高揚したのを覚えています。


「自分が作ったものが誰かに必要とされて、その対価としてお金がもらえる」


物を売る仕事をしている人にとっては当たり前のことかもしれませんが、当時無職で次の仕事すら決まっていなかった私にとっては、自分の大好きな水引を作って売れるということが本当に嬉しかったです。

タイミング的に10月にはドイツへの移住が決まっていたので、日本で活動できたのは約半年間。

ただ、その半年の中で私は本当に、真剣に水引と向き合いました。

毎日試行錯誤を続け、いろんな作品を生み出して販売活動をしました。

初めてハンドメイドのイベントにも参加し、対面で水引を販売することも経験しました。お客さんに直接水引や作品を説明したり、実際に結っている様子を見てもらうことも出来、気に入って購入してくださる方の顔を直接見てお話したりすることは本当に楽しかったです。

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(写真はイベントのブースの様子。自分で什器を手作りして、なんとかお店としての雰囲気を作ろうと頑張りました。)




水引を結い始めたら、見えてきた世界

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唐突ですが、

私はこれまでの人生をかなり利己的に生きていました。

誰かのためよりも自分のため。自分の利益や成長のためだけに人生を使ってきたような気がします。ただ、ここ数年はそんな自分に本当に嫌気がさしていました。


そんな時、水引に出会いました。

水引を作っているとこれまで感じたことのない、自分が何かに夢中になれる時間誰かに貢献しているという気持ち、そして人の心の温かさが身に染みて感じられます。

水引を買って身につけてくださるお客様の存在はもちろん、同じ水引を作っている作家さんや他のハンドメイド作家さんとSNSを通して交流できることや、

私の活動を応援してくれる家族や友人がいることへの感謝を強く感じるようになりました。


先にも言いましたが、水引は元々「人と人を結びつける象徴」として使われています。

さすがにスピリチュアルや迷信だと思うかもしれませんが、

私はこれがかなり的を得ていると思っています。

そのぐらい、水引を通して誰かと縁を結ぶことができるのが心から嬉しいです。



これからの話

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私は今ドイツという新しい場所で生活しています。

水引を始める前はドイツでの生活にとても不安があり、言葉もわからず生活もままならない異国で何を目標に生きていけば良いのか悩んでいました。

でも、今は違います。

私は水引に出会い、新しい目標ができました。


それは、


水引で自分を表現し

水引で世界の人と縁を結び

水引で人を幸せにする


ことです。


まだ水引の存在すら知られていないこの地で活動をしていくのはかなりチャレンジングだとは思いますが、今はとてもワクワクした気持ちでいっぱいです。

ドイツに来る前に決断したある大きな挑戦も進行中なので、それについても徐々にお伝えできればと思っています。


こんな風に今私が考えている未来を、そう遠くないうちに実現するために、

これからも日々精進していきます。



最後までお読みいただき、ありがとうございました。

何気なく記事を読んでくださった方にも、写真や内容を通して水引の魅力が伝わっていれば嬉しいです。

Instagramで他の作品もupしていますのでよろしければこちらご覧ください。


それではまた。


miho













水引を世界に届けるため、海の向こうドイツの西の端で日々活動を行なっています。いただいたサポートは水引制作や今後の活動の資金に当てさせていただきます。投稿を読んで少しでも良いな、と思っていただけましたらぜひサポートいただけますと幸いです。