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「まだ足りない」くらいが魅力的

学生時代の旅行と言えば、とにかく行きたい観光地を1日のスケジュールにぎゅうぎゅう詰めて、真っ暗になるまで出歩き、夜にようやくホテルへチェックインをしていた。そんなわけだからホテルは眠れれば正直どこでもいい。当時はゲストハウスが今より格段に少なかったので、安いビジネスホテルを渡り歩き、「観光すること」に注力していた。

社会人になると、観光はもちろん「泊まる場所」にも注目し始める。めいっぱい遊ぶよりも15時にチェックインしてホテルでゆっくり過ごしたり、何度も何度も温泉に入って疲れを取ることがメインになる。またはお仕事旅行なんて名目で、宿に入って仕事をすることも多かった。新しいことに触れあう時間よりも、日常の世界から切り離されて、自分のペースを作ることが旅に求められる要素になっているのだと思う。

令和元年、5/1~5/5まで青森を回った。私が恐山に行きたいと言い出し、友達を誘ったことがきっかけで始まったこの旅行では、とにかく移動距離が長かった。

恐山が青森の上の方、八戸からも車で2時間半の場所にある都合上、青森市周辺の観光地へ行こうと思うと必然的に長旅になってしまうのだ。さらに誘った友達は、学生時代一緒に観光旅行をしていた仲なものだから、自然と当時に似た旅のプランを作ってしまったのかもしれない。

もっと話が聞きたいと、後ろ髪引かれる思いで後にした恐山。ここで友達が高熱を出し、むつ市の病院で4時間の診察。八戸で一時解散、私はこれから一人旅か……なんてアマゾンプライムを見ながら懸念していたけれど、少し寝たら熱が下がったという友達の言葉を信じて、2時間かけて青森市へ。到着したころには19時をまわっていたし、体調を考え0時前には寝てしまったので待ちと移動で終わってしまった。

次の日、移動時間1時間だと思っていた青森→弘前の移動は2時間にも及び、さらに弘前から白神山地、それも行きたかった青池までは2時間半の道のり。

それでもせっかく遠くまで来たのだからと足を運び、夜は化粧も落とさずに寝落ちしてしまう日まであった。

けれど、それがすごく楽しかった。

やりたいことがたくさんあって、どこも時間が足りなくて、ちょっと満たされないままその地を後にする。

弘前公園でやっていた津軽三味線の演奏者ともっと話をしたかったし、白神山地に行く途中で見つけた千畳敷からのサンセットも気になる。車移動と友達の体調不良もあってお酒の楽しみが残ってるし、温泉だって入っていない。広範囲をつまみ食いしたが故に、その先々で見つけたおもしろスポットをちゃんとめぐり切れていないのだ。それはまるで、"次また来るための理由"を残してきているような気もした。

非日常を味わい、しっかり満足リフレッシュして岐路につくのは満たされる。けれど「満たされないまま終わる旅」も、それはそれで魅力的だなと思う。次に行ったらどんな景色があるのだろうと、心をときめかせて想いを巡らすことができるから。

青森に未練をたっぷり残し、「良い旅だったな」と言い合って東京に戻った。


去年の毎日note


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